012.それは低く払うように腰を入れて

 パンケーキを完食してはじめての満腹を感じながら、ゆったりローブで隠れたポッコリお腹をシニエはさすっていた。

 同じく食べ終えてココアの残りを流し込んだお燐がコトンとテーブルにカップを置いた。

「ごちそうさま」

 立ち上がり洗面台へと食器を片付ける。シニエの食器もついでばかりに持っていった。

「あたしの分は片付けてくれないのさね」

「メディアは運動したほうがいいさね」

 ふん、と森にこもりっきりの魔女が口を尖らせた。


「じゃあシニエのこと頼むさね」

 お燐が扉に向かうのを見てシニエが慌てて追いかけるのをメディアが手を回して止めた。

「お燐!どこ行く!?」

 置いてかれると必死なシニエ。しかたがないね、と戻ってきたお燐はシニエの頭を撫でて言い聞かせるように言った。

「あたしは仕事にいかなきゃいけないのさ」

「ついてく」

「だめさね。シニエはメディアとお留守番さね」

「ついてく」

 頑なに拒むシニエにひげの先と耳が垂れて困り顔になるお燐。助けを求めてメディアに目を向ければ。

「なんだかシニエに嫌われているようで傷つくさね」

 シニエの態度に傷ついたメディアが愚痴をこぼす。当てにできそうに無かった。子の癇癪(かんしゃく)因(いん)を親知らず――子供の癇癪の原因が親にあることを親自身は知らないという言葉があるほどだ。環境に敏感な子どもは親のイライラや不安に引っ張られて癇癪を起こすものだ。この癇癪はあたしが原因と分かりやすい。でもシニエを地獄に連れて行くわけにはいかない。

「あたしがこれから行くのはこの世じゃなくてあの世なのさ」

「あの世?」

 シニエの動きが止まる。

「あの世は死者の国さね。生者のシニエは行ってはいけないのさね」

「じゃあ、死ぬ?」

「死ぬとか簡単に言ってんじゃないよ!」

 死というものの重みを理解できないシニエを叱咤する。幼子に命の重みを伝えるのは難しい。白い塔に閉じ込められて育ち。世間を知らず。自身の死でさえ希薄なシニエには特に難しい。だから叱咤してただごとではないのだと伝えた。

「死んだら今度はこの世にいられなくなるのさね。つまりどちらかにしかいられない。だからここでお留守番していてくれるかい?仕事が片付いたら必ずここに戻ってくるさね」

 いい子にしておくれ、と願いを込めて言う。

「ついてく!」

 駄目だった。

 お燐の耳がペタリと垂れ下がる。

思いっきり腹のそこから声を出して叫ぶシニエは再びメディアの腕のかなで暴れ始めた。やはり子供の癇癪はやっかいだ。子供は癇癪を静めるすべを持たない。子ども自身が癇癪の理由や沈め方を知らないのもある。きっといくら言い聞かせてもシニエ自身が自分の中にある癇癪を静められないのだからどうにもならないだろう。なら方法を変えるまでだ。

「ついてくだって?そんなまともに歩けやしない足で?足手まといにもほどがあるさね」

 ついてこられても足手まとい、迷惑にしかならない、と思いっきり言ってやった。白い塔で実験体として価値がなければ処分される環境にいたからか自身に価値があるかにということにシニエは人一倍敏感だった。

 お燐の言葉にシニエがメディアの腕の中でダランと手足をたらしておとなしくなる。抵抗する意思もないといった様子にメディアもシニエを床に下ろした。

 しかし、ふ~やれやれと安心したのもつかの間。

 ガッ。シニエが机の脚を思いっきり蹴った。しかも四角い足の角を狙って足をぶつける。

「何するさね!?」

 大慌てでお燐は机とシニエの間に入って壁になる。下ろしておくと危険だと今度はお燐がシニエを持ち上げた。両脇に前足を通して吊り上げられた状態で下ろせとシニエがあばれる。

「お燐。下ろして!足折る」

 足を折ってメディアにまっすぐに直してもらう。普通に歩けるようになればお燐についていける。シニエは痛いに慣れている。大きな痛いは嫌だけど。お燐についていけるのなら我慢できる痛みだ。

 子供は加減を知らない。このままだ下ろしたら確実に足を折るだろう。しかも折るために皮膚や内部を無駄に傷つけることにもなる。無駄に腰の入ったローキックで威力もある分性質が悪い。事態は悪化していく一方だった。

「あ~シニエ。足折るのにも正しい折方があるのさね」

 そこに助け舟をメディアが出す。

「正しい折方?」

 つられたまま振り返ってシニエがメディアに顔を向ける。

「そうさね。変な折方をすると別の箇所も治さなければいけないさね。そうするともっと治療に時間がかかるさね。ほらほら、足に赤く線が入って腫れ上がってるさね。もう骨折以外の怪我もしてしまってるさね」

 メディアがローブの裾を持ち上げてシニエの右足を触る。テーブルの足角にぶつけた箇所に主張するように赤い線が走っている。そこを頂上にして腫れあがった山をメディアがさすった。

 メディアの言葉に慌てるシニエ。考えた末の渾身の策は当てが外れてしまったし。このままではお燐が行ってしまう。どうする?どうすればいい?思いつかない。分からない。乏しい経験で必死に考えても答えは出ない。ただ一つの事実が頭の中を満たす。

 お燐が行ってしまう。自分を置いて。お燐が・・・

 つう、と頬を涙が頬を伝った。

 泣いている。痛い苦しいで何度も涙は流した。でもいま体は痛くないし苦しくもない。何で自分は泣いているか分からない。シニエはここで生まれて初めて感情(かなしい)で泣いた。

 ぽろぽろと目からあふれた涙粒が頬にできた道をつたう。えっぐえっぐと嗚咽が漏れた。

 心が苦しいのだと気づいたとき、シニエはただ単純に気持ちを口にした。

「お・・・でぃ、んに・・・つい・・・で、ぐ」

 お燐も鬼になりきれなくなる。完全にお燐の負けだった。

「・・・シニエ。あたしのいうことをちゃんと聞けるかい?」

 シニエがこくんと頷いた。


 お燐は椅子に座る。

「メディア。悪いけど、あと二日厄介になるさね」

「お燐はそれでいいのさね?」

 お燐の意図を察してやれやれとメディアが首を振る。

「しょうがないさね。放っておいたら次になにやることか」

 メディアも四六時中シニエの側にいられるわけじゃない。目を放した隙に家から出て行かれて獣や彷徨う霊、魔物がいる危険な鬼灯の森でシニエが行方不明になる恐れだってある。

「せめて火傷だけでも治すさね」

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