第28話 野次馬の記録


 佐々谷の機嫌がめちゃくちゃ良かった。


 聞けば瀬川さんと付き合い始めたんだとか。ついでに瀬川さんは利き手を負傷していて、今週一週間は佐々谷の家にいるらしい。怪我の功名とはなんか違う気がしたのと、一瞬だけどお前誰だよってくらいに蕩けた顔を見せた佐々谷と、瀬川さんは諸々の被害者なんだなって言うのと、思うことは色々あった。でもこういうのって、当人同士が幸せなら良いんだっけ?


 ちなみに月曜日。プロジェクトの打ち合わせがあって、手の空いているやつが集まった夕方。村で作った菜種油で灯籠に火をつける予定で、その進捗だのなんだのと、それなりにしっかり打ち合わせをした。中には此永さんも居て、彼女は打ち合わせが終わるまで懸命に佐々谷の一挙手一投足を追っていた。


 打ち合わせの内容を佐々谷と俺で文字にしとかなきゃなんなくて、俺はとりあえずこの部屋を出て突き当たりにある自販機でコーヒーでも買って来ようと思って、帰っていく人の流れに乗った。そんで割とすぐに戻った俺の足は止まる。佐々谷と此永さんの「今日この後空いてますか?」「ごめん先約があって。」「瀬川さんですか?」「うん。家で待ってるから。」「え?」なんていう会話を聞いたから。


 俺は扉の前で冷え冷えのコーヒーと一緒に会話の終わりを待つ羽目になった。


 そしたら後ろから「何やってんの」と春川の声がしたのでその場でしゃがんで道連れに。古い大学だからか知らんけど、二人の会話はほとんど筒抜け。以下、俺と春川が盗み聞きした内容です。


「先輩とは付き合いたくないって言ってたのに。」

「それについては解決済だよ。ちゃんと話したから。二人で。」


 此永さんのすごいところは、佐々谷に物おじしないところだと思う。


 あいつは声のトーンだとかを使い分けて、それ以上相手に踏み込ませないようにするとか、人の言いたいことを汲んで反論自体を潰すとか、そういうのをごく自然にやってのける。今もそう。冷たい声で、お前の入る余地はないって言ってる。

 でも納得いかない此永さんは食い下がる。


「ねえ先輩知ってるんですか?あの人がどこで働いてるか。」

「そりゃあねえ。」


 間延びした相槌。佐々谷は苛立ちを押さえてる。


「真面目な顔しておいて、あんなところでお小遣い稼ぎでしょ。」

「何も知らないでよくそこまで言えるね。」


 春川の背筋がちょっと伸びたのは、佐々谷の怒りを察したから。さすが経験者。


「学費の為だよ。」

「だからって、」

「あの店で彼女とどんな話をしたのかも、俺は聞いたよ。」

「あの人、先輩に依存したくないとか言ってたくせに、ちゃんと泣きつくんですね。」

「店長が俺の知り合いなんだ。…俺に話があるなら、もっと言うことがあると思うけど。」

「あれはあの人が、先輩の気持ちに応える気が無いって言うから!」

「俺の為に怒ってくれたの?」

「だって振り向きもしない相手を追いかけるなんて、そんな苦しいこと、」

「自分と重ねてあの子に八つ当たりしたんだね。」

「私はただ、」

「此永さんなら分かるよね、この人じゃなきゃ駄目だって気持ち。俺にとってあの子がそうなんだよ。あの子がいなきゃ、俺は自分と向き合えなかった。瀬川伊月じゃなきゃ駄目なんだ。」


 しばらくの沈黙のあとに、此永さんの啜り泣く声がした。隣の春川がつられるように鼻を啜ったので俺はギョッとした。


「えっ何…?」

「好きな子が振られてんのぉ……!」

「…お前のあたりの強さ、それだったの?」

 背中をさすってやったのに肩パンを返されたのでムカッとした。


 啜り泣く此永さんに、佐々谷は「もう帰りな」と言う。これに対する返答がハイじゃないあたり、俺はまた此永さんに感心する。


「私ずっと先輩のこと見てたんです。高校生の時に先輩と話してから、ずっとずっと好きだった。」

「…俺達似たもの同士だね。」


 佐々谷が低く笑っていた。


「初めて瀬川伊月の絵を見てから、知らないうちに恋してたんだ。俺より歳下で、まだ学生だったなんて驚きだったけど。あの子を知れば知るほど好きになる。箱に閉じ込めておくなんて出来ないから、せめて一番そばに居たい。それが許された今、正直死ぬまで手放す気は無いんだ。…執念深くて重たいところ、此永さんは俺とそっくりだよ。」


 冷たい扉から、同じく冷たい佐々谷の声がする。


「俺は瀬川伊月を傷つけた人間を許さない。だからもう俺達に構わないでほしい。」


 これは俺の推測だけど、この時佐々谷は随分抑えて話をしていたんだと思う。はらわた煮え繰り返ってるのに、恐らく報復なんて瀬川さんが望まないからって、最低限の言葉で済ませようとしていた。此永さんが食い下がるから、泣かせる結果になっただけで。


 泣きながら部屋を飛び出した此永さんと目が合う。盗み聞きに対して軽蔑したんだろう。すっごい睨まれた。俺だって佐々谷に用事があるんです、なんて言えるわけがないのでやり過ごす。


 でも春川は階段を駆け降りて行く此永さんを追った。さっきまで自分も泣いてたくせに、やけに凛々しい顔をしていた。


 この後すぐに此永さんがサークルを辞めたので皆がざわついたけど、皆原因が分からないから話は広がらなかった。話題を振られて「残念だったね」と返す佐々谷は本当に性格が悪いと思ったけど、こいつの逆鱗に触れたのは向こうなので、しょうがないんだろうなぁ。

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