第26話 ライオン


 明日は文化祭二日目。


 長くなると言っておきながら、俺は生い立ちを掻い摘んで話した。いっちゃんの睡眠時間を確保したいのと、全てを打ち明ける勇気が無かったからだ。


 俺が一歳の時に両親が離婚したこと。小学校までは母の立花六花たちばなりっかと暮らしていたこと。中学から立花の姓のまま佐々谷の家に移ったこと。高校の時に佐々谷の苗字に変わったこと。ちなみに母が存命で、絵本作家だったことも。


 正座して真面目に聞いていたいっちゃんが、俺の腕を真正面から掴む。


「ゆめいろひつじ、私全部持ってるの。」

「………全部?」


 立花六花のゆめいろひつじ。確かに六花の作品の中で一番反響が大きくて、シリーズ化の話もあったけれど、結局二作目は出なかった。ちょうどその頃六花が筆を取れなくなって、俺は佐々谷の家に預けられた。


「数量限定でぬいぐるみとか出たんだよ。レターセットとか、メモ帳とか…えっ待って知らない?」

「こんなこと言いたくないけど立花六花はそこまでメジャーじゃない……。」

「そんなん重要じゃないもん。」


 左手が俺の鎖骨を殴る。それでダメージを受けるのは手負のいっちゃん。包帯には血が滲んでいた。これのどこが軽傷だと言うのだろう。


「私あんまり絵本とか読まないで育ったんだけど、六花先生のだけは好きだった。…私ね、元々絵を描くの苦手だったんだよ。出来上がるものが人と全く違うから。恥ずかしかった。でも、あの絵本が、人と違くても良いんだって、やりたいようにやって良いんだよって、ヴッ…?!」


 俺にのしかかるようにして捲し立てていた彼女を抱きこんだ。


「六花がいっちゃんの絵を描くきっかけで、いっちゃんが俺のきっかけだったんだね。」

「お母さんって呼ばないんだね。」

「あの人変わってたからね。」


 ぐるりと寝返りをうって、俺はベッドカバーに埋もれるいっちゃんを見下ろす。ついでに後頭部にめり込んで痛いだろう彼女のバレッタを外した。


 ぱち、と鳴った音に、いっちゃんはぎょっとする。勘違いを逆手にとって右手を絡める。いっちゃんは茹で蛸になった。


「アホみたいなこと言うけどやっぱ運命だよ。」

「眼差しと言葉が合ってないよ春彦さん…。」

「俺今どんな顔してる?」


 いっちゃんは少し考えた後に言った。


捕食者ライオンって感じ。」

「自分が獲物ウサギか何かだと思ってんの?」

「うさぎほど可愛くはないので…シマウマとか…なんかそのへんの…あっでもキリンがいいな…キリンでお願いします。」

「いっちゃんはね、争いが嫌いなだけで決して草食動物じゃありません。」


 紺のシャツへ触れる。左手でボタンを一つ外せば、器用だね、と上擦った彼女の声がした。


「ライオン同士のこれは何でしょうね?」


 羞恥に潤んだ瞳が、睫毛を仄かに濡らす。

 けれど瞬きした途端に彼女の顔が迫って、そのまま唇を通り越して俺の喉元へ噛みついた。


「ッ、」


 歯形をなぞった舌が右の耳元へ移動して、キスマークを残して彼女は離れた。いっちゃんは人一倍腹筋がないので、中途半端に体を起こして反撃し続けることはできないらしい。


 息を切らしながら赤い顔をして、彼女は笑う。


「今ね、はるひこくん、って顔してる。」

「…。」

「…。」

「…いっちゃん、今日の髪すごい可愛かったね。」

「おん…?」

「明日は降ろしていったら良いんじゃない?」


 いっちゃんが察する前に、首筋へ唇を降らす。


「待ってハル!お風呂入りたい!」

「いっしょに?」

「馬鹿!!」

「その手じゃどのみち厳しいでしょ。」

「…あっそうかタオル巻いていい?頭と背中だけお願いあと眼鏡外すから私は何も見えません。ハルの挙動を感じたら目をこう、閉じれば…いけ…いけるか…?ええでも私片手使えないから背中流してあげられなくない?…あっ違う私が介助されるから良いんだよねべつに…えっなんで笑ってんの?」

「……動揺してる瀬川伊月面白ぇなぁ…。」

「……………………いつも猫かぶってる?」

「…一応お兄さんだから優しくはしてる。」

「…初めて佐々谷春彦に触れた気がする。」


 感心したような顔をして、いっちゃんは俺の胸へ手を当てる。


「店長に私のこと聞いたでしょ?」

「まぁ一応。」


 恐る恐る、俺の表情を伺う。今聞いた俺の話と見合う自分の話を、と思ったのだろう。秘密、ではないけれど、打ち明け合うべきだと、真面目な彼女は思うのだろう。


「軽蔑しない?」

「えっなんで?」

「えっ?」

「…その歳で、しかも日中は学生で、学費も生活費も稼げるようなことってそれ以外無いでしょ。最初からなんとなく想像は付いてたよ。…でもまあ威親先輩もああ見えて横暴とか嫌いだから、あの人の店なら心配ないと思うよ。」

「よく見てるね…。」

「それだけ思い入れが…いや、いっちゃんのことが好きってことだよ。」

「なんで照れないんですか?」

「ここで照れたらかっこ悪いでしょう。」


 確かにかっこ悪いわぁ、と、茹で蛸は自責する。


「とりあえずお風呂。俺の服貸すから、それ着て入りな。俺は髪と背中洗ったら出るから。」

「そんな…ハルの服をびったびたのあわあわに出来ないよ…。」

「…。」

「……なに。」

「実は一緒に入るの楽しみだった?」

「服借りるね!!」


 名残惜しく彼女を離す。風呂場へ消える背中に、服は洗濯機の上に畳んであるやつどれでもいいよ、と声をかけた。


 自分以外の物音がするのは心地がいい。それが好きな人なら尚更。治るまで、いや治ったあとも、と思う。伝えたとして、彼女は恐らく首を縦に振る。緩む口角を抑えながら、彼女の呼ぶ声に応えた。

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