第6話 祭り


 駅へと向かう電車の中は、浴衣の麗人でいっぱいだった。皆流行りの、レースをあしらったような華やかな装いで、巻いた髪をこれまた器用にまとめあげていた。足元は鼻緒のついた、艶のあるハイヒール。和洋折衷とはまさに。


 彼女達を横目に、私はハルへ連絡する。そろそろ着くよ、という私の短文に、一階の中央改札口で待ってるね、と、可愛らしいスタンプまでくれた。決して筆まめではないと言っていたけれど、そんなことはない。連絡先を交換してから、ハルに返信を先延ばしにされたことがなかったからだ。ハルは人への向き合い方が丁寧なのだと思った。この真摯なところが、いつか大損にならなければ良いな、と、勝手にハルの今後を案じたりした。


 夕暮れ迫る駅前は、祭りの本番が差し迫っているようで。ごった返した人熱ひといきれに気圧されていると、視界の端で、ちょこちょこと振られる手があった。

 

 白のゆったりとしたTシャツに、黒のサルエルパンツ。ハルと服の趣味が一緒ということが判明してからは、よく二人でアジアンショップに通っていた。服を見て回っているうちに、店内奥の鳴り物で遊び始めるところまで同じで、結局べよんべよんと音を立てるよくわからない楽器と、木製のカエルのおもちゃを衝動買いしたりもした。ひと月くらい前のことかな。いまだにハルの部屋に置いてあって、制作に行き詰まると二人で陳腐なセッションをして、けらけらと子どものようにはしゃいでいた。お互い素面なあたりが恐ろしかった。


「……。」

「…えっ、なに?」

「ちょっとそこ座ってくれる?」


 合流した途端、ハルは私を構内のベンチに座らせた。すぐに自分も腰を下ろして、小さなクロッキー帳と適当なペンをとりだした。抗議しようとしたのも束の間、ああそういうこと、と納得して、私はピタリと動きを止める。


「遠目でもすぐ分かったよ。それ、かさねいろめみたい。そんな粋な着方するの、いっちゃんくらいでしょう。」

「それはどうかなぁ。」


 緑の浴衣に紫の帯。古典的な朝顔と、無地の蝶結び。カラコロと音を立てていた下駄は、大人しく描き上がりを待っている。

 

 実は電車に乗ってからずっと、この浴衣だらけの有象無象に紛れて、ハルが私を見つけられなかったらどうしようかと思っていた。粋とはまあ良い言葉を選んでくれたものだけど、歯に絹着せずに言えば地味な着こなし。今更この、ただの三つ編みを丸めたような金髪が目立つなんてこともない。だってみんな、もっと華やかにしている。なんだか急に人と比べて、ちょっと情けなくなっていた。とびきり可愛い私をみて!とかそういうことではないんだけれど、もう少し気張れば良かったかな、と思ったのも事実。久しぶりの夏祭りで、人並みに浮かれていたのだと、私はハルによる褒め言葉で気付かされた。


 クロッキー帳に現れた私は、黒くしなやかな線で、えらく美しい。似顔絵は三割増に描けっていうのが常だけど、これでは五割以上だ。

 でもそんなことより、ハルが今日の私を描きとめるに値すると踏んでくれたことが嬉しかった。


 彼の描く絵は真っ直ぐで、捉えた特徴を最大限に魅せる。そのため下手な描き込みをせず、細部は案外あっさりしていた。彼がいちばん描きたがった部分が分かるような、けれどその為に他をおざなりにはしない、優しい絵だ。私はなんだか涙が出てくる。悟られないうちに飲み込んで、代わりに笑顔を貼り付けた。


「ハルこれ貰っても良い?」

「待ってそしたら写真撮るから。」


 シャッター音は二回した。

 それは言わずもがな。出来上がったクロッキーと、モチーフである私。

 おい、とつっこむ前に、ハルはニコニコしてクロッキーを私に寄越した。可愛い笑顔に私が折れた。


「どこから回る?」

「片っ端から?」

「豪快だねぇ。」


 わざわざ大通りを通行止めにして開催される祭り。出店の数も、人の往来も、覚悟していたよりも多かった。人混みが苦手とかではなく、単純に、迷子になるのが怖い。あの心細さといったらない。そして数日は引きずる。私はそういう奴だった。


「はぐれたら二度と会えなさそう。」

「やめてよ……。」

「集合場所を決めるのと手を繋ぐのと、どっち?」

「……はぐれたら噴水で。あとハル左手かして。」

「欲張りフルコースじゃん。」

「二種類でコースっていうな。」


 結局出店を回りきるまで、私はハルの手を離さなかった。両手を使う時は腕を組んで、人波を突っ切る時は袖を掴んで、それこそ欲張りフルコースである。片手で足りるように、買っては即食べ買っては即食べを繰り返して、私の手に残ったのはりんご飴。二方向から噛み跡がついているのは、シェアを続けて諸々面倒になった結果だった。


 その手が離れたのは、星空に提灯が浮かんだ頃。


「春彦じゃない?」

 大人っぽいその声に、二人同時に振り向いた。

 ハルの横顔が、一瞬で厳しいものへと変わる。ああ、ハルもこんな顔をするんだ、と思った途端に、真横のハルが掠め取られていった。


「なにしてるの?」

まどかに関係ないだろ。」

「なぁにまだ怒ってるの、私に振られたこと。」

「…あのさぁ、」


 甘いあまい香水の香り。ローズ系の茶髪を巻いて、きわどいスカートにハイヒール。そんな彼女は私を見て、クスリと口角を歪ませた。


「引率?」


 その揶揄に腹を立てたのはハルの方だった。

 すぐに彼女の腕を振り解き、威嚇するかのような顰めっ面で向き直る。

 ハルが言葉を投げるより先に、彼女は笑って手元のカップを差し出した。


「やぁね、相変わらず冗談も通じないんだから。」


 彼女は至極愉快そうに、ハルの手にカップを握らせた。氷がいっぱい詰まって汗をかいた透明のカップを、ハルは今にも握り潰してしまいそうだった。


「それあげる。あんまり美味しくなかったの。」


 彼女の艶かしい瞳が、私を向いた。唇が弧を描いて、ネイルで煌めく指が、優しくやさしく私の前髪を梳いた。


「…舌が馬鹿なんじゃないですか?」

 ピタ、と、私の額を掻くネイルが止まる。


 私はりんご飴をハルに預けて、代わりにカップを奪って、口紅の付いたストローと蓋を開けて、中身を飲み干した。冷えに冷えた飲み物は私の喉を凍てつかせたけれど、喋れない程じゃない。


「どこの誰か知らないですけど、麻痺してるんじゃない?味覚か嗅覚か、それとも頭?」

「なっ、」

「少なくとも私の好みの味なので。わざわざありがとう。ごちそうさまです。」


 氷だけが残ったカップを、きらきらのネイルに握らせた。それからストローと蓋を丁寧に閉めてやって、私はハルと指を絡める。氷で冷えた彼の手が、同じく冷えた私の手と一緒に、温もりを取り戻そうとしていた。


「ふざけないでよ!」

「こっちの台詞だババアって、言って良いやつ?この人あんまり年上じゃない感じ?」

「……いっちゃんのそういうとこ、俺好きだよ。」

「ハルってば女の趣味わっるいねぇ。」


 艶かしく見せていたのはつけ睫毛かぁ、なんて、彼女の目玉を見て思う。とりあえずニコッと笑って手を振ると、彼女は鼻息荒く退散した。


「……春彦さんもしかしなくてもあれ元カノ?」

「………御迷惑をおかけしました。」

「……迷惑料と言ってはあれなんですけど、」

「……ちょっ、と、いっちゃん?」

「あのババアが持ってたの酒だわ……。」


 目眩。

 雪崩れ込むように抱きついたハルの懐は、心音がとくとくと心地よく揺れていた。慌てたハルのうわずった声と、踊り流しの太鼓の音。そこはかとない満足感に、へへ、と笑って、私は私を彼へ委ねた。

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