4.How insensitive

お誘いいただいたことは本当にありがたくて。


そして、連れて行っていただいたお店も本当に素敵で。


初めて会社に責任以外で楽しみができたようにも思う。


ところで、あいつは人の注意を何だと思ってるんだ。














水曜日がやってきた。どうやら、この日のための根回しは徹底的に行われていたようで、参加者全員が昼休みに何の拘束もされず、前後に会議などの予定も一切入っていなかった。そうするほどに桑畑さんは皆さんから大切に思われているようだ。


少し、うらやましくも思う。けど、思うだけ。実際には何の意味もない。


そうしてつれてこられたお店は1課のお得意様の創作イタリアンのお店だった。


「じゃ、樹の復帰とこれからの良好な人間関係を祈念して、乾杯」


音頭をとったのは宮下さん。でも、みんな持ってるのは水のグラスなんですけどね。


「でも、すみません。昼休みにしか時間が取れなくて」


「いいのよ。子供放り出して遊びに行くわけにもいかないし、連れて行くにしても遅くまで連れ回すのはちょっと、ね」


ああ。なんて健全な会話なんだろう。先輩ばかりだけど、職場の女性の会話がこんなに健全だったためしなどありはしない。


いや、課内にも女性の営業社員はいる。でも、こんな雑談は忘年会とか新年会ぐらいでしか出てこない。そして、課内の女性営業社員はいい意味でも悪い意味でも男前だった。お酒が入ると下ネタ全開で、がははといったぐらいに笑い出すのだ。男前を通り越して親父になる。


ひどくない? これはこれで。


「それにしても、私はここには初めて来たんですけどいい所ですね」


ここで漸く口を開く私。


「来たことないの? うちのお得意様だし、若い社員からも評判がいいから殆どの人が来てるんだけど」


「はい。ここ、何度か前を通りがかったことはあるんですけど…… 何と言いますか、お一人様には敷居が高いと言いますか」


彼氏なんていないし、男性と2人で外食なんてこの前の松戸さんと残業後のあれしかない。一人で行ける店なんて近所にあるラーメン屋さんとチェーンの牛丼屋とかカレー屋くらいのもの。


そう思うと私って実りのない生活してるのかな。同期もそんなに仲良くないし、職場の先輩は営業さんだからそこまで近くないし、後輩はあんなのだし。


今日はこうして予約もしてあったから普通に来たけど、実のところ我が営業2課においては案の定一悶着あったのだ。


まず、白戸。こいつは定番過ぎる。頼まれた仕事をしていなかった。しかも、課長から頼まれた議事録の修正だ。直すところも、どう直すかも全部わかっていてやらないのはいくらなんでもどうかしている。こいつは仕事をしたら発作でも起きるんだろうか。


次は田上。こっちは相変わらずすぎる。奥さんの目の前で桑畑課長にモーションかけやがった。逆にどうやったらここまで開き直れるのか聞いてみたい。いや、聞きたくない。どういう思考回路をしてるのかだけ知りたい。


白戸に関してはこの前の桑畑さんのお説教が効いてない。寧ろ、無駄に反発してるように見える。そして、田上は桑畑さんを完全に見下している。どうやったら出会ってそんなに経っていない先輩をそこまで蔑ろにできるのか不思議でならない。


「どうかした?」


急に黙り込んだ私に気を遣ったのか、桑畑さんが声をかけてくる。


「あ、ごめんなさい。少しだけ考え事をしていました」


「そう? あ、そろそろ来るみたい」


考え事をしている私をそちらから引き剥がすような絶妙のタイミングで全員分のオーダーがやって来た。


サラダとお好みのパスタ一品にデザートかドリンクというお得なランチセット。全員が迷うことなくこれに決め、食べることに執念を燃やしている和泉さんの要望で真ん中にハーフサイズのピザが一枚置かれる。


私が頼んだのはきのこと醤油バターのぺペロンチーノ。これで結構唐辛子が好きなのだ。


「それにしても、ここのは味があまり濃すぎないからいいのよね」


とは宮下さんの一言。


「どういう意味ですか?」


「どういう意味も何も、こうして働きに出てくると居酒屋とかを使う機会が増えるでしょう」


いいえ、そんなことはありません。


「ごめん。そういえば樹と春夏秋冬さんは違ったわね」


「いえ、お気になさらず」


「うん。で、居酒屋でおつまみとかを頼むじゃない? すると、お酒のお陰で塩味がきつめのが増えるのよ。そういうのに慣れちゃうと、健康のためとかダイエットのためとかで薄味にしたときに続かないのよね」


ここで世の男性諸氏は言うだろう。宮下さんのようなすらっとした美人にダイエットなんて必要なのか、と。


私たちの減量は男性のように運動量を増やし、食事の量に気を遣うだけでできるものじゃない。というより、もはや減量とダイエットは違う言葉としても捉えられる。


寧ろ、宮下さんのように美人であると言う評価が何年も変わらない人というのはそれだけの努力をしている人なのだ。だからこそ、塩分とかだって気になる。


そして、私はもっとそのあたりを気にするべきなのだ。


「わかります。でも、すでにコンビニやスーパーのお惣菜に生活を支えられてる私は手遅れでしょうか」


「え、春夏秋冬さんそんな生活してるの」


和泉さんが本気で驚いている。


「忍さんは、あんまり人のことを言えないと思うの」


だけどすぐに桑畑さんにばっさり切り捨てられてしまった。


それにしても、私の生活はそろそろいろいろまずい。ファンデーションで隠してるとはいえ肌荒れだって目立ってしまう。絶対に食生活が原因だと言う自信はある。でも、働きながら自炊する生活って結構面倒。何より、帰り道にスーパーやコンビニがあるのがいけないんだ。


うん。誰がどう聞いてもただの責任転嫁だね、これ。


「私はほめられたものじゃないけど、旦那ならいいアドバイスくれるかもね。そっちの松戸君、たしか同期だから、身内だけの懇親会ということでよかったらみんなでうちに来る? そのときにいろいろ話をしてみるのもいいんじゃない?」


「和泉さんの旦那様ですか?」


「和泉新。食品事業部開発課主任にして主夫」


若干の補足説明を宮下さんがしてくれた。


「主夫なんですか」


「そう。主夫なの。忍さんって彼と交際始めるまでは多分今のあなたよりもひどい生活してたと思うわ。いくらなんでも、料理に対する冒涜なんていわれるような腕前じゃないでしょ?」


言われて頷く。私は面倒になってやらないだけで、自炊をしようという意思と能力くらいは持ち合わせているつもりだ。人が食べられない料理を作る能力は持ち合わせていないはず。


でも、料理に対する冒涜とまで言わしめる和泉さんってどういうのを作るんだろう。


「あ、その顔。少し見てみたいかもしれないなんて考えたでしょう? やめたほうがいいわよ、それは」


「そこまで言うことないじゃない」


「あなたの失敗は改善されないし原因がわからないのよ。そんなものに付き合おうとすると命がいくらあっても足りないわ」


目の前で言い合う宮下さんと和泉さんを見ながら、私は思わず笑っていた。こんなに当たり前のように笑ったのは久しぶりだ。


そして、私の隣で桑畑さんも笑っていた。













帰社して、取り敢えず仕事を再開する。


今日は相馬さんが出張することが正式に決まったので旅券や宿泊先の手配が必要だとかで、そのあたりをさせてもらった。大概のことがインターネットでできるというのは便利でいい。ビジネスホテルとはいえ、宿泊施設に勤務時間中に電話をすると間違いなく白戸や田上が食いついてくる。曰く、『春夏秋冬さん、勤務中にホテルに電話だなんていい身分ですね。ご旅行にでも行かれるんですか』だろう。


仕事だ。社員が出張先で不自由しないようにする大切な仕事だ。それに、予め宿泊先とかが決まっていれば予算がわかりやすい分、経費の申請が簡単になる。その辺が私たちの仕事なんだから、それくらいは分かっててほしいし、教えてきたつもりだ。それとも、教えてきたつもり、というのが拙かったのか。


そもそも、彼女たちは出張先で宿泊先がないとどうなるかが想像つかないのだろうか。


「相馬さーん」


「はい。予約大丈夫でしたか」


「はい。往復の切符とホテルの予約は済みました。今、ホテルの予約番号と地図をメールで転送したので確認してみてください」


言われて相馬さんが自分のデスクで作業を始めてすぐにこちらに向けて顔を上げた。


「いいよ、大丈夫。これでプレゼン以外は安心して行けるよ」


「そのための準備はしっかりしていってくださいね」


「わかってるよ」


お昼で少し余裕ができたのか、こうやって少し冗談交じりで仕事のやり取りができる。余裕って大切だね。


そんなことを考えつつ、相馬さんの移動計画書のデータを課内フォルダに保存する。そんなとき、私のPCがピコン、と小さな音を立てた。


今まで一度も使ったことのない社内メッセの音だ。送信者は宮下さんだった。


『樹にばれないように至急女子更衣室に来る事。確認次第、このメッセージは終了すること』


何だか穏やかじゃない。ここで何があったかを聞くのも憚られる。なら、行ってみるしかない。ただ、これにどの程度の時間がかかるか分からないけど。


でも、宮下さんは経理だから。相馬さんの出張の経費について相談もしてみることにしよう。これなら理由付けも問題ない。


「桑畑さん、ちょっと経理に行ってきます」


「わかりました」


これ自体はあっさり。でも、時間はあまりかけられないな。迅速に行こう。


そうして部屋を出た私はすぐにやたらと楽しそうな田上と白戸とすれ違った。どっちも無駄に楽しそうな人種だけど、セットで楽しそうというのは珍しい。そして、いやな予感、というものを全力で刺激する。


歩きながら和泉さんと会った。急いでいるところ、どうやら私と同じ用件のようだ。


当然のように私と和泉さんは一緒に女子更衣室に踏み込んだ。


「何これ」


とは和泉さんの言葉。だけど、私も同じ気持ちだし、先に私たちを待っていた宮下さんも同じだろう。


「これ、樹のロッカーなの」


短いながらも、その悲惨な惨状を表情がこちらに伝えてくれる。


何で殴ったのか、スチール製のロッカーは表面はボコボコ。鍵も壊されて中身は散乱。私には嬉々としてそれをしたであろう2人が容易に想像がつく。そして、このままただここにいるのがどれだけまずいかも。


「あの、ここ離れませんか? やった人はあたかも自分が発見したかのようにやって来て悲鳴を上げますよ」


「大丈夫。そこに防犯カメラついてるから」


「そういえばありましたね。意識しないようにしてる所為か、忘れてました」


うん。着替えが防犯目的とはいえ撮影されてるのはちょっと、ね。


だけど、それが真価を発揮する瞬間が来てしまった。そんな日は当然だけど来ないほうがよかった。


「それで、そのあたりへの対処はどうなってるの」


「そんなの、各担当所と警備に連絡済よ。今頃録画されてるのをみんなで見てるんじゃない?」


手が早すぎます。


「じゃあ、私たちは後片付けといったところ?」


「そういうこと」


そんなこんなで、私たちは桑畑さんのロッカーの中身の整理を始めた。


「樹のとこ、まだ子供小さいからストレスもそれなりにあるのよ。だから、こういうくだらないことは何とかしてあげたいのよね」


「そういえば、風ちゃん。やった人って分かるの?」


和泉さんからはいつの間にか名前で呼ばれるようになった。


「分かりますよ。うちの馬鹿どもですからね」


「馬鹿?」


「仕事はしない。既婚者にモーションかける。当たり前の指導を聞かない。これを日常的にする馬鹿どもです。私の指導力の甘さも原因だとは思いますけど」


でも、他の人の仕事とか見ていて何も思わないのが本当に不思議で仕方がない。田上なんて人間的にも桑畑さんに勝てると思っているんだろうか。


私からすれば勝っている点は一つとしてないと思う。社内で自分から不倫を持ちかけること自体がナンセンスだ。どれだけ化粧がうまくても、滲み出るものは隠せない。


「桑畑課長も災難ね。昔から寄ってくるのはそんなのばっかりらしいから」


とは宮下さん。


「そうですか」


そして、それにはなんとなく納得できてしまう。ある程度顔が整っていて性格良し、仕事もできるとなれば食いつく肉食はたくさんいることだろう。


しばらく作業に没頭して、片付いた頃に備品課から新しいロッカーが届けられた。


「でも、馬鹿ね。本当に」


ロッカーが設置され、宮下さんが少ない荷物を収めながら口を開いた。


「ここ、学校じゃないし、私たちは内面がどうであれ大人として扱われる。大人には責任がある。まぁ、厳しい処分は間違いないし、場合によっては警察に被害届くらい出されるんじゃないかしら」


つまり、田上と白戸は大人として当たり前のことを分かっていないと言われているのだ。


でも、私だって入社当初は学生気分が抜けなかった。何かあっても誰かが何とかしてくれる。自分ひとりやらなくたって大丈夫。どこかで誰かがやってくれる。そんな事を考えていた時期があった。


それは甘えだった。幸い、私の場合は桑畑さんの産休という都合もあって悠長なことを言っている場合になかったことでそんな甘えは消えていった。


「さ、風ちゃんはそろそろ戻りなさい。樹が不審に思うし、外回りの人たちが帰ってくるでしょう」


「はい」


言われて戻ろうとして、後ろから和泉さんの声が聞こえて思わず足を止めていた。


「今、修羅場でしょうね」


その声は確信に満ちていた。




























後書く



次回修羅場。


そして、ジャズナンバーで第5回のタイトルとなるとTAKE FIVEしかないでしょう。


取り敢えず。白戸と田上をどうしてやろうかと思案しています。救済してやるべきか。でも、その救済は今のポジションでは絶対に行えないですね。


多分、救済なんてしないでしょうけど。君の裏側の日和くらいには痛い目を見てもらわないと救済なんてできないでしょうね。


今回はブライアン・ディーのClimb every MOUNTAINの収録曲からとりました。このアルバムを勧めてくれた人からは、渋いアルバムで好みに合うかわからないと評価されましたが。


因みに、未央や忍は樹に対してかなり甘いです。なので、今回の件は静季の口からそれとなく伝えられるのでしょう。


それにしても、自分で設定しておいてなんですが。田上とか白戸、特に白戸みたいに生きている女の子ってそこそこにいるんですね。今、身近にいる子で将来が心配になる子をそのまま大きくしてみたのが白戸で、時代錯誤なライバルにもなれない嫌なキャラとして作ったのが田上です。白戸ほど極端な子はさすがにいないでしょうけど、こういう子は本当にいました。だから、本当は白戸だけでも何とかしてやりたくはありますね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る