第二章「白蛇村の蛇神伝説」

   

 ワゴン車に揺られながら、女たちの談笑は続く。

 俺と阪木さかき正一しょういちは、ただ黙ってそれを聞いている、という形だった。

「私たちは、特に予定も立てずに旅をしていますから。たまに、今日のような目にも遭うのですよ」

 珠美たまみさんの説明に続いて。

 無邪気な笑顔を浮かべながら、杉原すぎはら好恵よしえが質問してきた。

「予定も立てずに……? つまり行き当たりばったりなのね、なんだか楽しそう! でも、それじゃ今晩泊まる場所も決めてないの?」

「そうですわ。今晩の宿を探すのは、山をくだった後で構わないと思っていましたから……。まさか道に迷って山の中でウロウロするなんて、想像もしていませんでしたの」

 杉原好恵に答えてから、珠美さんは、蛇心へびごころ雄太郎ゆうたろうに声をかける。

「予約も何もしておりませんが……。飛び入りで今晩、泊めていただけないかしら。それとも、もう満室で無理でしょうか? その場合、せめて近隣の旅館やホテルを紹介していただければ……」

 言葉が尻すぼみになる珠美さん。突然「泊めてくれ」と頼み込むことよりも、同業他社の紹介を希望する方が、もっと失礼だと思ったのかもしれない。

 しかし蛇心雄太郎は、全く気にしていないらしく、笑い飛ばすような口調で答えていた。

「ははは……。この辺りに、うち以外の旅館なんてありませんよ。でも安心してください。うちは満室どころか、今日のお客様も、阪木様と杉原様のお二人だけ。いくらでも部屋は空いております。今晩だけと言わず、どうぞ何日でも御宿泊なさってください」

「二人だけ?」

 思わず聞き返したのは、珠美さんではなく俺だった。会話に参加するつもりはなかったのだが。

 いや、それほど驚いてしまったのだ。だって、そうだろう。それほど客が乏しくて、経営が成り立つのだろうか。

 近隣に別の宿泊施設がないということは、競合相手がいないということだが、逆に言えば、旅館を開くには向いていない場所だという意味にもなるのではないか。

「そうなのです。わが白蛇旅館はくじゃりょかんには『邪神城』なんて別名もありますからね。そのような旅館に泊まろうなんて酔狂な方々は、かなり少ないようです」

 蛇心雄太郎は営業スマイルを浮かべているのだが、これでは「阪木正一と杉原好恵は酔狂な客」と言っているようなものであり、少し失礼な話だろう。チラッと二人の方を見てみると、別に気にはしていないようだが。

 それに今の言葉は、聞きようによっては「客なんて少なくても構わない」と言っているようにも思えた。よほどの楽天家なのか、あるいは、収入の心配など必要ないほどの資産家なのか……。

 少し考えてしまう俺だったが、珠美さんの一言で、現実に引き戻される。

「『邪神城』ですって……?」

 聞き返した珠美さんに続いて、便乗するように、阪木正一が口を開く。

「そうそう、是非その話を聞かせていただきたい。僕たち、それが目当てで来たようなものですから」

「ガイドブックにも『宿の主人に聞くように』って書いてあったわ」

 と、杉原好恵も付け加える。

 ならば、いくら閑散とした旅館とはいえ、一応は旅行ガイドの本に記載されるようなランクではあるのだろう。

 そう思っていると、蛇心雄太郎が何か答えるより早く、

「ほら、ここよ」

 杉原好恵が、手荷物の中から一冊の本を取り出し、俺と珠美さんに見せた。

 パンフレットと言い換えた方が良いレベルの、薄っぺらいガイドブック。ただし、その出版社は、俺の元の世界でも「旅行関係の書籍ならば、ここが一番!」というくらいに有名だったところだ。

 彼女が開いて指差したページには、確かに書かれていた。「明治時代末期に起こった惨劇にちなんで『邪神城』と呼ばれることもある」とか「詳しくは、旅館の主人が喜んで解説してくれるだろう」とか。

 旅行ガイドの宣伝文句にしては、少々悪意のある書き方ではないだろうか。これでは、まともな客には避けられてしまい、癖のある客しか訪れないような気がする。例えば阪木正一と杉原好恵のように、オカルトサークルに所属する変わり者……。

 だが、そんな閑散とした旅館だからこそ、俺と珠美さんが飛び入りで泊まれるのだ。そう考えれば、ある意味、旅行ガイドには感謝するべきなのかもしれなかった。


「『邪神城』という呼び名について語るためには……」

 蛇心雄太郎の顔から、スッと微笑みが消える。

「……まず、その前に。この私の『蛇心』という特異な姓の話から、説明する必要があるでしょうね」

 そう言って彼は、真面目な表情で、自身の名前の由来について語り始めた。


――――――――――――


 この辺り一帯は、かつて白蛇村はくじゃむらと呼ばれていた。

 村人たちは「この地を守る神様は白い蛇の化身」と信じており、『白蛇様はくじゃさま』と呼んで祀っていた。

 ある年の夏、白蛇村は激しい台風に見舞われた。河川は氾濫し、田畑にも大きな被害が及んだ。しかも、その傷も癒えぬうちに大地震が発生。山の一部が崩れて、麓の民家が何件か土に埋もれてしまう。

 それ以来、小さな地震が頻発するようになった。地震というものは、当時の村人たちの通説では、大地の怒りに他ならない。何か『白蛇様』の機嫌を損ねたのだと考えて、村人たちは相談の上、器量好しの娘を一人、神社へと向かわせた。


 その夜。

 娘が神社の本殿で待機していると、突然、一人の青年が現れる。白地に黒の霞模様という着物で、立ち振る舞いも優雅だった。『白蛇様』の仮の姿なのだと娘は思い、その青年に身を任せた。

 翌朝、青年は立ち去り際、娘に告げる。

「明日も来るがよい」

 その言葉に従って、娘は毎晩、神社へ通ったが……。一向に地震が収まる気配は見られなかった。


「娘の話に出てきた『青年』は、本当に『白蛇様』だったのだろうか?」

 村人たちの中に、疑念を抱く者まで現れ始める。

 ある晩、娘が神社へ行く際、こっそりと一人の若者が後をつけてみた。

 若者が隠れて見張っていると、確かに娘の話の通りに、何者かが現れる。ただしその姿は、娘の目には『青年』として見えていたのに対し、若者の目を通して見ると人間ではなかった。それは灰色の大蛇であり、禍々しい邪気を発していたのだ。

「これは『白蛇様』ではない!」

 叫んで飛び出した若者は、一刀両断、大蛇を斬り捨てた。

 すると本殿の床が光り始めて、神々しい輝きに包まれながら、白い蛇が床下から現れたのだ!

「勇敢な人間よ。汝が『黒蛇こくじゃ』を退治してくれたおかげで、我は解き放たれた。我は感謝する」

 神である白い蛇――『白蛇様』――は語る。


 神の世界に、かつて一匹の蛇がいた。『白蛇様』と同じように真っ白だったが、罪を重ねる度に黒ずんでいき、ついには蛇の神の一族から追放されてしまう。だが、その蛇――『黒蛇』――は、神の力を失った代わりに魔の力を得て、密かに、この地に戻ってきていた。

 しかも妖力を用いて、地中深くに『白蛇様』を封印してしまった。『白蛇様』に成り代わって、この地に君臨しようと企てたのだ。だが、しょせんは神の力を失った『黒蛇』。土地を守護する能力には乏しく、そのため村は、台風や地震に襲われるようになったのだった。


「今より後は、我が再び、この地を見守ろう」

 村の平和を約束するだけでなく、さらに『白蛇様』は、若者に告げる。

「勇敢な人間よ。我の感謝の気持ちとして、汝を我が蛇の神の一族に迎え入れたい。されど我が一存では、そこまでの抜擢は許されぬ。せめて汝に、一族の名前だけでも与えよう。これからは『蛇神へびがみ』と称するが良い」

 神より名を賜ることは、若者にとっては、身に余る光栄。『へびがみ』と名乗るのは恐れ多いと、正直に告げた。

 すると、

「ならば『へびがみ』ではなく『じゃしん』と読むが良かろう」

 そう言い残して、『白蛇様』は消えていった。


 こうして若者は、村人たちから『蛇神様じゃしんさま』と呼ばれるようになった。しかし姓を表記する際には『蛇神じゃしん』ではなく、一文字変えて『蛇心じゃしん』と書くことにしていた。『神』の一文字を名前に含むのは、あまりにも過分な話だと思えたのだ。

 さらに、その子孫たちは「たとえ『蛇心』と表記したところで、『蛇神じゃしん』と同じ読みでは、やはり重過ぎる」と考えたらしい。いつまにか、表記は同じでも読み方が変わることになり……。

 その結果、とても奇妙な『蛇心へびごころ』という名字が生まれたのだった。


――――――――――――


「これが、この地に伝わる『白蛇村の蛇神伝説』です」

 そう言って、物語を締めくくる蛇心雄太郎。

 神より名を賜った者の末裔と考えると、穏やかな笑顔を浮かべるこの男が、とてつもない大物にも見えてくる。あれだけ話をせがんでいた阪木正一と杉原好恵が黙っているのも、圧倒されたからなのかもしれない。

 続いて蛇心雄太郎は、一息入れてから、さらなる話を始めた。

「今お話ししたような経緯で、私たちの一族は『蛇心へびごころ』と名乗るようになったわけですが……。蛇心家の代々の当主のみは、開祖と同じく『蛇神様じゃしんさま』と呼ばれるのが、慣例となっています」

 彼の顔に、照れたような笑みが浮かぶ。

「蛇神様という呼び名は、一族を束ねる責任を意味しているのだと教えられてきました。でも私のように無責任な当主でも、やっぱり蛇神様と呼ばれているのですよ」

 そう言うと、すぐに照れ笑いも消えて、真面目な表情に変わった。

「さて。『邪神城』が建てられたのは、明治時代後期です。当時の蛇神様が……」

 いよいよ、ここからが『邪神城』についての本題のはず。しかし突然、蛇心雄太郎は、話を止めてしまった。

 彼の視線は、窓の外に向けられている。

「ああ、まもなく『邪神城』こと白蛇旅館に到着ですね。話の続きは、建物に入ってからの方が良いでしょう。ほら、あれが『邪神城』です」

 蛇心雄太郎に誘導されて、俺たちも、そちらに目を向ける。

 見えてきたのは、崖の上にそびえ立つ洋館だった。いや『洋館』という言葉では収まらないくらいに大きな、まるで西洋の城のような……。

 そう。

 正にそれは、山中の洞窟で休んでいる時に見た、あの建物だった。

 もちろん、あの時とは異なり、雷の光をバックにしているわけではない。それに、かなり近付いているので、周りの闇に紛れてしまうこともなかった。

 それでも、やはり独特の雰囲気を漂わせていた。『邪神城』という名前に相応しい、不穏な空気を纏っているのだった。

   

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