第45話 神

 しばらく歩いて、見覚えのない河川敷にたどり着くと、先客がいた。

 

その先客は、俺の接近に気づいてか、少しだけ距離を取ったように思えた。


 学生服を着た、俺よりも圧倒的に背の低い男子。多分中学生だろう。


 すると、突然。


 彼は、走り出した。河の方へ。


 「おいっ!」


 俺が来る前から立ちすくんで物憂げに河の方を見つめていたから、まさかな、と

は思っていたが、そのまさかだとは思わなかった。


 両足首の高さまで、河につかる。生ぬるかった。


 俺の手が、彼の手首を掴んだ。


 「なんだよ!?」


 少年は、急に掴まれたことに驚いて、俺を睨みつけた。


 「待てって!」


 「あんたには関係ないだろ!? 死なせてくれよ! 楽にさせてくれよ!」


 「ふざけんな!」


 「ひっ…!?」


 つい、少年の甘ったれた言葉に反応して怒鳴ってしまった。彼が怯えたのを確認し

て、落ち着き払う。


 「話を聞かせてくれないか? その後に、好きなだけ死んでくれていいから…」


 そう言うと、少年は黙ったままコクリと頷き、岸の方まで歩いて行った。






 「…そうだったのか」


 少年は、クラスの人間から報復を受けていたらしい。


 いつも、大人しい人間たちを非難してくるのが許せなかったらしく、今日彼らに

逆らったら、集団で罵られたため、自殺しようと思った、と。


 やり返せばいいじゃないか。強くなればいいじゃないか。


 そう言ってやりたいけど、お前みたいに強い人間には分からないよ、とまた突き放

されそうだったのでやめておいた。


 「僕ばっかり。勉強と部活で優秀だからなんだよ。偉いのかよ。ちょっと目立つ

からって調子に乗りやがって。そいつらの機嫌を取るみたいに集まる雑魚も大っ嫌い

だ」


 少年は、不満を吐き捨てると、黒いガラケーを取り出して、何かを打ち込んでい

た。


 「スマホじゃないんだな」


 「は?」


 俺のコメントが茶化しに聞こえたらしく、少年はまともに取り合ってくれなかっ

たみたいだ。


 「なにやってんだ?」


 俺の質問に、次は、怒ったような態度で答えた。


 「まただ。ネットの世界のやつらだってバカばっかりじゃん。どうせ学校で弱いか

らネットで勝てそうなやつ探して満足してるだけじゃん。こんなやつらも、どうせゴ

ミクズなんだ…」


 「そんなこと言うなよ」


 「こいつらの肩持つのかよ!!?」


 少年は声を荒げた。


 「そうじゃねえって!」


 「じゃあなんだよ…? お兄さんもどうせ普通の人間なんだよ。普通に勉強して部

活して、友達作って彼女も普通にできて。どうせ優等生ぶってお説教しに来たんでし

ょ? からかうならもう帰れよ」


 少年は、俺の本質を勝手に決めつけて自分の殻に閉じこもろうとする。


 もういい、と思った。


 だから、俺は『こいつにしよう』と思った。


 「おい、少年」


 「なに? …えっ」


 俺は、ポケットから果物ナイフを取り出し、刃の部分を出して、少年に見せつけ

る。


 「俺は、普通じゃない」


 そのまま、俺の手の甲を軽く切って、傷口を作った。そこからたらたらと少量の

血が流れだす。


 「おっ、おい! 何してんだよ!?」


 少年は、慄いて逃げ出そうとしたが、後ろに倒れて腰が抜けたまま動き出せなか

った。


 「どうせ死ぬんなら、俺の言うことを聞いてから死んでくれないか?」


 「何言ってんだよ?」


 「五年は欲しい」


 「ごっ、五年?」


 「お前が信じてくれないなら、俺はもう帰るよ。お前には二度と会わない」


 俺には分かる。


 こいつには死ぬ勇気がない。


誰もいない田舎の河川敷。俺の存在を確認してから走り出した姿は、死ぬ勇気など

到底ないように思えた。


そういうやつは、他人を傷つけないし、痛みが分かるほど他人の痛みにも寄り添え

るはず。


もしこいつが、俺のことを信じてくれるなら、俺だってお前を信じて、この力を授

けよう。


「あ、あんた…誰なんだよ?」


未だに立てない少年は、恐る恐る俺の素性を聞いた。


「俺? そうだな…」


深くも緩やかに流れる川と、春の暖かい風、沈みかける夕日が織りなすこの田舎の

河川敷で、言い放った。


「俺は、『神』だ」


「神…」


「そう。そして、君の心を救うのは君自身だ」


ヒーローに連れられた訳の分からぬ世界で、他人が聞いたらまず訳の分からないこ

とを言ってみた。





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