第18話 黒音

 今朝の屋上。


 信じられなかった。


 肌から、少なくとも、Tシャツやジーンズから露出している部分が、黒い鱗のよ

うなもので覆われていた。実際は、根元から生えているのだろう。


 私に手を差し伸べてきたのは、怪獣だった。


 今こうして、ヒーローから背中を蹴飛ばされ、周りの嘲笑を浴びている醜い生き

物が、スクールカーストの頂点に立つ生徒会長であるとは、信じられなかった。


 しかし、彼は立ち上がり、確かに私の方を見て、そして確かに私の名前を叫ん

だ。


 「鮎川?」


 「誰それ?」


 「あいつの女かあ?」


 「彼女じゃないでしょ? あんな気持ち悪い奴」


 「もしかしてストーカーじゃない?」


 「気色わる~」


 突然の叫びと固有名詞に困惑する大衆たち。


 この場にいるおそらく私だけが、彼の想いを受け止めることができる。彼は、こ

うして私だけに伝わる言葉を届けようとしてくれる。


 「誰だ」


 「今この場にいるんじゃなか?」


 「鮎川さん逃げて~、きゃはははは」


 怪獣は、もう私の方を見なくなった。ばれたら私にも迷惑がかかるからだと、き

っと配慮してくれたのだ。


 「俺には!」


 怪獣は再び声を放った。


 「やっぱりわかんねえ。だって、お前じゃないし、お前の価値観とか夢とか性格

とか、そんなものは、俺には到底理解できない」


 「お前が何言ってるかわかんねえんだよ!」


 ヒーローが、怪獣を次は殴る。


 それた顔をそのまま引き戻し、続ける。


 「だから! 俺にチャンスをくれ! お前のことを分かってやれるチャンス

を!」


 えっ、と声が漏れそうになるのを必死に噤む。


 彼は一体、何を言おうとしているんだろう。


 「お前とは、出会って数日しか経たないような仲だけど、助けたいと思ったん

だ! 心の底から! こんなナリになってからはもっと、俺は困ってる人を助けたい

と思ったんだ!」


 「何言ってんだ! この怪獣!」


 「自分が嫌われるからって、好かれようとしてる」


 「気持ちわる~」


 彼を嗤う人間たちの中で、私は一人、そんな怪獣の言葉に胸を打たれていた。


 そして、思い出した。


 初めて喋った屋上で、落ちるつもりのなかった私を、自分が落ちてまで助けよう

としたあいつ。


 相談してほしいと一方的に持ち掛けた私に、付き合ってくれたあいつ。


 その相談を、ヒーローと誤解されたままでも、ヒーローを騙ることなく、むしろ

自分をさらけ出したあいつ。


 嬉しかった。


 「おらあ!!」


 怪獣が、ヒーローの腰回りを両腕で掴んだ。


 「なに!?」


 ヒーローは油断していたようだ。


 「俺は怪獣だぁぁぁ! それでも、絶対に諦めねえぇぇぇ!!!」


 「うっぐっ…!」


 そのまま締め付けられて苦しむヒーロー。


 「がんばれ! ヒーロー!」


 「負けんな!」


 「ぶっ飛ばせ! そんな奴」


 ヒーローが劣勢でも関係ない。怪獣は、相変わらず敵が多いようだ。


 それでも彼は、きっと諦めないだろう。


 きっと、最後まで闘い抜くだろう。


 だから、私は…。


 大きく息を吸った。


 「がんばれぇぇぇぇ!! 負けんなぁぁぁぁ!!」


 大きく吐いた。


 私の息(ブレス)を。



 「この子の言うとおりだ! がんばれ! ヒーロー!」


 私の声に便乗する中年に、違う! と声に出して否定したかった。


 「あんたの実力、そんなもんじゃないでしょ!!!」


 それでもきっと、彼には届くはず。


 私の言葉が。


 黒くて地味な黒音でも、ヒーローへの輝かしい声援の中で、はっきりと黒く存在

して、怪獣を勝利に導いてほしい。そう願いながら、私は声を張った。張り続け

た。


 「このっ…! うざったいんだよぉ!!」


 「ぐはぁっ!!」


 ヒーローは、懐から光線銃を何とかして手に持ち、怪獣めがけて放った。


 怪獣は、どこかへ消え去った。






 私は、走った。


 屋上へ。


この時間に、彼があの場所へ急に現れた日のことを今でも忘れられない。


 着いた時にはもう十分は経っていた。


 もう彼はいない。十分も経っていたら、もう帰っているはずだ。そう確信している

のに、旧校舎の階段を急いで駆け上がる私の足は、止まらない。


 もう何年も前から廃校となったこの校舎。


 街のはずれにある、人通りの極端に少ない道にあるそこは、妙に神秘的な場所だ

った。


 五年前。中学生がそこに忍び込んだ日を境に立ち入り禁止となったが、それでも

私は、閉められた門を乗り越えて、よくここへ立ち入る。


 階段を登り切ったころには、汗がだらだらと全身を流れているのが分かった。息

遣いも荒く、今にもどこかへ倒れこみたかったはずだ。


 それでも、目線は彼を探す。いないはずの彼を、目を凝らして探す。


 十五時の西日に照らされながら、彼を探す。ダメもとでも、私の心は、そうしたか

ったから。


 「よう…」


 耳が、声を拾った。


 いた。


 さっきまでは怪獣だったのに、もうすっかりと生身の人間の身体を取り戻した生

徒会長が。


 「私は…、私は…」


 すぐに言葉が出なかった。


 涙が出そうで、それでも、彼の前で泣くのは恥ずかしくて、高ぶる気持ちをどう

やって出してしまえばいいのか、どうしようもなかった。


 突然、頭に軽い重圧がかかった。


 意外と大きな手が、私の頭を優しく撫でた。


 「応援ありがとな」


 「うっ…」


 声が漏れてからは、もう遅かった。


 涙が止まらなかった。


 今まで溜め込んでいた何かを、すべて吐き出してしまうように、泣きじゃくった。


 顎をしゃくらせて、思う存分、泣きはらした。




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