第14話 子どもの頃の話なんですが
たぶん小学生かそこらの頃だったとおもいますが、認識とはなにかと真剣に悩んだことがあります。
実家のトイレは洋式でした。小学校のトイレは確か和式だったかなぁと思います。覚えてないですが。
なんでいきなりトイレの話なのかなんですが、家でうんこしてて思ったんです。学校の教室の椅子とトイレの便器も大差ないなと。体勢的にです。
じゃあ自分がトチ狂ってたり、なにか幻術にでもかかってたり、白昼夢だったりその理由の如何はなんでもいいんですが、認識がずれていたりして現実の意識が実家のトイレにあるだけで、自分の身体が教室に座っていることはあり得るのだろうかと考えました。
どう考えても、実際家の便器に座ってるのでそこで用を足しているんですが、本当の自分の身体が教室でうんこをしていないという証明をすることが出来ませんでした。つまり教室の真ん中で衆人の目に晒されながら、うんこしているド変態でないという証明ができないのです。実はこれが夢で教室でお漏らしでもしてるんじゃないかと疑ったのです。
逆に目をつむって、今教室にいるんじゃないかという想像をしてみると、意識は教室にあって身体が実家のトイレにあるという状況になるのではないかとも考えました。
しばらく怖かったので、自分のほっぺたつねったり、大丈夫ここは教室ではないと、家まで帰ってきた記憶があるだろうと言い聞かせてから用を足す、トイレにいくときたまにそういう事をしていました。
同級生にそんなことを考えたりするかと聞いたりしましたが、変なやつだと思われたと思います。自分でも変なやつだと思ったので、たぶんその一人にしか話したことはないと思います。
子供向けのアニメとか特撮とかで幻覚をみるとかよくある話じゃないですか。たぶんその影響だったんだろうと思います。
教室の椅子と便器を間違えるほど認識がずれることは少ないとおもいますが、時と場合によって同じものを見ても感じることは違うと思います。
多様性はそういうところから生まれるんですかね。同じ経験をしても違う人は違うことを考えるし、同じ人でも二回目は違うことを感じるはずです。
とりあえず書いて読んでたらなにか見えてくることもあるかもだしないかもです。
まあ子どもの頃の経験から何が言いたいかというのは、自分がここにいる証明ができないのに自分がここにいると感じているのはなんでなんだろうかなぁということですかね。
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