16話 道の先


 聖女の来訪は次々と街をさっていく民達を引き止める、もしくは街に戻ってきてもらう絶好の機会だ。いや、あるいは最後のチャンスかもしれない。


 パラムの街の主人である領主はそう考えていた。


 前領主が大粛清にあって以降、この街の経済は低迷していくばかりで好調の兆しは一向に見えない。おまけに瘴気の影響を受けた多くの土地で物価が向上し、その日の食糧すら満足に買うことができない民が増えている。


 さらに悪いことにこの街も徐々にではあるが魔素の濃度が高くなってきていた。このままではいずれこの街も瘴気に呑まれてしまう。それを恐れた住民達は我先にと聖教国へと避難していき、今やこの町にいる町民は全盛期の4割程度にまで落ち込んでいる。


 だが、聖女が来た。

 この街は数年前の大粛清のおりに多くの住民に加え、領主までもが異端者として裁きを受けた。あの粛清以来、聖教国にどれほど瘴気浄化や物資の援助を乞うても相手にされてこなかった。


 だが、ここに来て聖女が瘴気の浄化のために派遣されてきた。瘴気の浄化が行われたとなれば、この街は安全だ。避難した多くの民も戻ってくるだろうし、嘗て交易都市として栄えた頃のように多くの商人や旅人が訪れてくれるかもしれない。


 瘴気の脅威のあるこの時勢において、安全とはどれほどの大金を積もうとも得難いものなのだ。


(これで、ようやく嘗ての活気を取り戻せる)


 聖女が屋敷へと到着した連絡を受け取った領主のヒルディード•ロンフォードは早速聖女一行の主人である近衛騎士長リード•アルティメスに挨拶に向かおうと身支度を始める。


 本来なら聖女様にご挨拶せねばならないところではあるが長旅による体調不良と言われては無理もいえない。聖女様に会えないのは残念だが、瘴気を浄化できなければ元も子もない。ヒルディードはこれからの街をいかに発展させていくかで最高潮に気分を盛り上げながら屋敷へと向かっていった。



 


 聖女一行が案内された屋敷のとある執務室、近衛騎士長のしばらくの仕事部屋として用意されたその部屋で、ヒルディードは顔から血の気が引いた様子で近衛騎士長のリード•アルティメスと向き合っていた。


 ヒルディードの表情は屋敷に赴く時のような愉快で希望に満ち溢れたものでは全くなくっていた。


「では、全く身に覚えはないと、貴殿はそうおっしゃるわけだ」


 普段、周囲からまるで蛮族のような強面と評されるアルティメスに語気を強めて、睨み付けられてヒルディードはひぃぃ!と内心で情けない悲鳴をあげている。


「もっ、もちろんでございます!

 聖女様を襲おうなどとそのような恐れ多いこと、我らの町の住民が行うはずがありません。まして、この私が主導したなど、我々は誓って関与などしておりません!」


 唾が飛び散るような勢いでヒルディードは、アルティメスからの疑惑を解こうと無実であることをひたすらに主張する。


 ヒルディードからすれば天国から地獄である。これからこの街は聖女のお力の元、嘗ての輝きを取り戻すのだと希望に満ち溢れたその考えは、今やいかにこの街と聖女一行への襲撃が無関係であるかを証明することに全力で取り組まれている。聖女襲撃に個人ではなくこの街が関与していると判断されれば嘗ての活気を取り戻すなどと言っている場合ではない。


今度こそこの街は丸ごと焼き払われることになるやもしれないのだ。


 民は愚かその責任で自分すらもその命を落とすことになるやもしれない。

 ヒルディードの脳裏にあの大粛清の光景が蘇る。


(この街に再びあの狂気を招くことだけはなんとしても避けねばっ!)


 決意の表情を浮かべるヒルディードに目の前に座るアルティメスはその鬼のような形相を崩すことなく尚も睨み話を続ける。


「貴殿の誓いなど関係ない。

 この街の全てが計画に加担していないかどうか判断するのは我々聖教国だ。

 何より貴殿はこの街の領主、その責をどう考えている?」


 誓ってと女神への誓いを盾にしようとするヒルディードにアルティメスはさも怒っているぞというように脅しつけ、その上で街の中で襲撃を許したヒルディードの領主としての責を問う。


「…たっ確かに街の中で襲撃を許したのは、私の手配した警備体制に不手際があったことに違いありません。その責任は間違いなく領主である私にあります。

…ですが、民には関係がありません!彼らは何も知らないし、計画などできようはずがありません!その日の暮らしで精一杯なのです!」


 アルティメスの凍てつくような冷徹な瞳を一身に受け、ヒルディードは全身に冷や汗をかく。本音を言えば逃げたい気持ちでいっぱいだが、ここで引いては前領主に顔向けすることができない。


 彼は託されたのだあの少女に、あの時、この街をお願いと彼は確かにそう言われたのだ。立ち上る炎にその身を焼かれて尚、涙を見せずにこの街を見つづけた一人の少女の姿がヒルディードの記憶に浮かび上がる。


(守らねば、この街を、民を、守らなければならない!)


 ヒルディードは襲撃を許したその責任の全ては自分にあるとした上で、民の無実を再び訴える。悲壮ともいえる覚悟を秘めたその瞳にアルティメスも思わず感嘆する。


「ほぉ、責任は全てご自身にあると認められるのか?聖女様への襲撃の責ともなれば処刑は免れませんぞ」


 処刑と聞いて、ヒルディードもその恐怖から顔が引きつる。だが瞳にうつるその覚悟が褪せることはなかった。


 アルティメスとしても今回の件は判断を迷うところだ。

 表立って襲撃が起きてくれれば、多くの人に知れ渡り、この街が地図から消えることは確約された未来となっていただろう。


 だが、こういう時だけ優秀極まる部下が未然に襲撃計画を潰してしまった。

 それによって今回の襲撃は聖女一行に気づかれることもなかった。この情報は今、限られたものしか知らない。しかし、聖女襲撃は計画され実行の寸前までいっていたのは間違いのない事実だ。これを未然に防げたからとは言ってもこの街に何の御咎めもなしというわけにはいかない。


 なんらかの処分は必要だが、もし領主を処刑などすれば折角内密に終わりそうな聖女襲撃を公にするようなものだ。


(まったく、どうしたものか)


「アルティメス様、騎士のカイル•ケーニッヒが面会を求めておりますがいかがなさいますか?」


 アルティメスが判断に頭を悩ませているとちょうど良く、ことの詳しい説明が聞けそうな相手が入室許可を求めてきた。


「ちょうど良い、通せ。ヒルディード殿、今回の件を片付けた騎士がちょうど戻ったようだ。私は報告を聞かねばならぬ故、貴殿には一度席を外して貰いたい。別室にてお待ちいただけるかな」


 そう言ってヒルディードにやんわりと退席してもらったところでカイルが執務室へと到着した。


「ご苦労だったな、カイル。今回の件はよくやった」


 アルティメスがカイルを褒めることなど普段の生活では全くといっていいほどないが、このような難易度の高い任務を終えた後に粗雑に扱うようなことはさすがにアルティメスとてしない。


「いえ、仕事ですので」


 アルティメスがたまに褒めようともカイルの調子は普段と何も変わらない。今回のような裏の任務を遂げるたびにアルティメスはカイルをその言葉で労ってきたがカイルがそれに喜びを見せたことは一度もない。


「騎士長、今回の件ですが無事単独で終わらせることができました。

その報酬というわけではありませんが、一つお願いがあります」


 アルティメスはその言葉に驚いてカイルを見つめる。

 この歳若い騎士はこれまで多くの難度の高い任務を達成してきたが今回のようにその報酬を要求してきたことは一度としてなかった。そんな彼が、ここに来て初めて自身の成果に対して要求を突きつけようとしている。


(今回の任務中に、何かしら影響を受けたか)


 アルティメスは青年の言葉に僅かながら喜ばしい感情を抱くと同時に不安感も否めない。


 今回の任務も決して楽しいものではない。憎しみから聖女を殺し、聖教国に復讐しようという相手だ。さぞ、怨みつらみを訴えられたはずだが、そのどれかがこの目の前の青年に影響を与えたか。


「……内容にもよるが、ひとまず聞こう。

カイル、貴様の望みはなんだ?」


 どのような願いであれ、氷の人形とまで言われるほど命令に忠実で欲を持つことのなかった青年がここ数ヶ月で随分と変わった。勝手に聖女様に騎士の誓いを行ったりと頭が痛いこともあるが、何やら人間らしさをましている様子の青年をアルティメスは内心では応援している。だが、今回青年の人間らしさは聖教国としてはまずい方向だった。


「今回の襲撃を無かったことにしていただきたいのです」


 瞬間、室内の空気がピシッと男をたてるかのように張り詰めたものへと変わった。アルティメスが先程まで見せていた普段よりも比較的柔らかい雰囲気は鋭い刃のように変化し、青年を見つめる瞳に先程までの暖かみは一切ない、ともすれば敵を見るような眼つきでアルティメスは青年へと詰問する。


「自分が何をいっているのか、カイルよ、理解できているのか?」


 アルティメスの纏う空気が豹変したことはもちろんカイルもわかっている。こういう反応となることもわかっていた。むしろそうでなければ困る。故にカイルの態度は先程と一切変わることはない。


「もちろんです。今回の件を知るものは極一部です。情報の封鎖はそれほど難しいことではないはずです」


 間髪入れずに言葉を返すカイルに、アルティメスは僅かに目を細め、静かにしかし酷く重厚な口調で話しかける。


「難易度の問題ではない。今回の件をなかったことにするということは、聖女襲撃という女神様に剣先を向けるに等しい行為を他でもない我らが聖教国が許すということにほかならないのだぞ。貴様は、聖女様の騎士であろうが!その騎士が、女神様に剣を向けることを許すというのか?」


 この質問は女神教にとって異端審問をされているに等しい質問だ。

 答えによってはこの場でカイルを処刑することも考慮しなければならない。両者の間に嘗てないほどの緊迫した空気が流れる。アルティメスは待つ、カイルの返答とそれを口にするだけの覚悟を。


「…僕は、僕はイズミ様の騎士です」


 カイルの出した答えにアルティメスは内心で胸を撫で下ろす。

 だが、続く答えに息を呑み、驚愕することになる。


「僕はイズミ様の騎士であって、女神様の騎士ではありません。僕が騎士の誓いをたてたのは女神でも、ましてや聖女でもない。僕はイズミ様に、イズミ•タチバナという一人の少女に誓いをたてたんだ」


 カイルのその瞳を見てアルティメスは嘗てないほどに驚愕した。

 ほんの少し前までこの青年は聖女と同じく聖教国が持つ道具の1つであったはずだ。氷の人形と呼ばれ、聖教国の非道な命令を遂行する殺戮人形、そうであれと育てられたきたはずだ。


 だというのに、目の前の青年はすでに持ち主の思った通りに動く人形ではない。青年にかけられたその呪縛は完全に解かれている。もはやこの若い騎士は自分で考え、感じて動く、人間となっている。


 著しいまでの変化、だがその予兆は確かにあった。

 先程も随分と人間らしくなってきたと思っていたところだ。聖女が、イズミが硬い氷に包まれた心を溶かし、種を植え付けた。徐々に芽吹きつつあったその芽を今回、誰かが咲かせた。


「…カイル、貴様は、貴様が行く道は容易いものではないぞ」


 彼の覚悟に、成長にアルティメスの心の内に言葉にならない感情が湧き上がる。その感情に蓋をするように目を伏せ、そっと忠告する。


「はい。ですがもう僕はイズミ様の騎士です。それを変えることはありません」



 ここまで覚悟を決めているものに何をいってもしようがない。アルティメスは溜息を吐いて先ほどまでの剣呑とした空気を霧散させる。


「…言っておくが、貴様のお願いはそれほど簡単なことではないぞ。

少なくとも口止めをしなければならん者が幾人かいる」


 カイルはアルティメスが自身の願いを聞き届けてくれそうな雰囲気になったため、僅かに安堵のような表情を見せる。そしてそれがまた、アルティメスを驚かせることになる。ここで安堵して見せるということは外見上ではわからなかったが、その実不安に思っていたということだ。


(…本当に変わったな)


「わかりました。すぐに息の根を止めてきます。何方か教えてください」


 口止めと言われてすぐに暗殺にはしろうとするのは些か以上に物騒だが……


「…口止めとは永遠に喋れなくすることではない。

喋らないように説得するだけだ。それに、今回の件を無闇に喋りたがる者ではない。まったく、何故そういう方向は成長せんのだ」


 先程までの感動を一瞬で吹き飛ばしてくれる様子に頭が痛いと言ったふうに眉間を抑えながらアルティメスは青年に呟く。


 どうやらこの若者にはまだ他にも成長する余地はたくさんありそうだ。


 だが、成長する若者というのは迷いやすい、せめてこの歳若い騎士がその道を見失わないように道標程度にはならなければなるまい。


「カイル、…答えを見つけることができたのか?」


 あとはこちらで処理すると話を終われせたアルティメスは部屋を後にしようとするカイルの後ろ姿を見ながら問う。長年の間青年が、多くの騎士達が問われてきた問い。その問いに目の前の青年もずっと苦しんできていた。


 多くのものが答えを探すことを諦めるか、自分なりの回答を早々に決める。

 だがこの青年は妥協せず、諦めず、ずっと探し求めてきた。


 しかし、今アルティメスの目の前にいる青年からその様子が窺えなくなっている。


「答えかどうかはわかりません。ですが、僕は自分の道を見つけました」


 振り返ることなくそういうと、カイルは扉から出ていった。


 閉まった扉の方を見たままアルティメスは息を吐く。自分には辿ることのできなかった険しい道を歩もうとする一人の青年の姿を見て、アルティメスは珍しく感慨にふけるのだった。


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