15話 騎士の問答


 夕闇の中、青白く光る青年の身体は、徐々に暗さを増すこの空間を照らす訳でもなく、ただ漆黒の中に浮かび上がるような不気味な雰囲気を醸し出していた。


「…あぁ、これが見えるのか、本当に大したものだな」


 何故老人が怒っているのかは理解出来ないが、青年には老人が何を見ているのかは理解出来た。


「……その様子では理解してやっているというのか。其方は神殿騎士でなかったのか?」


 自身の激怒に対しても動じることなく悠然とした様子で答える青年に逆に頭を冷やされ、冷静さを取り戻して呆然とした様子で老人は青年に問いかける。


「間違いなく神殿騎士だが?」


 自身の質問に意味がわからんとばかりに呟く青年に老人は戸惑いを隠せない。


「お主は今、体内の魔素の濃度を圧縮してその身に纏っている。

 それは魔獣の技だ、人の技ではない。まして瘴気と化すほどの濃密な魔素を纏うなど女神の加護に反する行為ではないか。聖教国がそのような異端の技を認めるわけがない」


 老人のその瞳に映った青年の姿は可視化するほどに濃度の高い魔素を身に纏っていた。瘴気は魔素が異常な濃度とかしたことで発生するものだが、瘴気は通常その目に見ることのできるものではない。

 だがこの若い騎士は可視化するほど濃密な魔素をその身に纏い動き回っている。つまり目の前の青年は通常、瘴気と言われる魔素異常に危険な物をその身に纏っているのだ。


  この現象自体は老人も知っている。

 自身が幾度か倒したことのある魔獣もその身に可視化するほどの濃密な魔素を纏ったことがあるのだ。魔獣は瘴気をその身に纏うことで身体能力を大幅に強化する。青年の先程の人智を超えた動きもそれならば説明がつく。しかし問題もある、青年と魔獣はその根本からして違う。魔獣は瘴気によって発生する化け物のことだ、故にその身に瘴気を纏っても命を落とすことはない。


 だが青年は人だ、言うまでもなく人は瘴気には耐えられない。

 一体、今まで幾人の人々が瘴気に包まれてその命を落としていったことか。


 目の前の青年が今生きているのは一重に女神の加護を賜っているからに過ぎない。それも尋常ではない、膨大な量の加護を。並の神殿騎士程度が持つ加護では可視化できるほど濃密な魔素をその身に纏って無事ではすむはずもない。


 だが、瘴気は女神教がその教義で災厄と定めるほど禁忌の存在であり、実際に多くの国が瘴気によって滅んでいる。


 聖教国が教義に反する青年の使うような技を認めるわけがない。

 青年は異端として処理されても何ら不思議ではないのだ。


 だから老人にはわからないのだ、聖教国所属の神殿騎士が何故このような危険な技を使っているのか。


「一応言っておくが其方が見えることの方がおかしいのだぞ。

多くの人間には、この身に纏うものなど、見えはしない。先ほどの反応といい、其方はどうやら魔素に異常に敏感なようだから見えるだけだ」


 老人が何を疑問に思っているのか理解した青年は、この光が万人に見えるものではないこと、何故老人に見えているのかを説明した上で、老人にとって聞き逃すことのできない言葉を続けた。


「そもそも其方は誤解しているようだが、聖教国は其方が思うほど女神の教義を遵守する国ではない。使える道具であるならばたとえ教義に反しようとも裏で使用する。表になれば処分するだけだ」


 青年はさも当然と言った風に聖教国の実態を語るがその言葉は老人にとって許せるものではなかった。


「…何を、今更なにを言っておる!!

貴様たちがやったことを私は忘れてなどいないぞ!!女神の名の下、女神の教えなどと言うくだらないものを守るために、あれだけの死を、あれだけの狂気を生み出しておきながら!その当事者が、教義に反する行いを許容するだとっ!!」


 あの日の感じた怒りを上回るほどの激情に支配され、老躯はその胸の内に次々と浮かぶ想いをそのまま青年へとぶつける。


「あの狂気の日に!貴様らは異端者として、この町の多くの民と領主を聖火に焚べた!教義に反する教えを解いたなどと言う理由で、貴様らは領主を、あの娘を連れていったではないか!

 もしも貴様らが教義に反する行いを良しとするなら、あの日死んでいった者達は!あの娘は一体、何のために死んだというのかっ!!」


 嘗ての日々を思い出すたび、胸が痛み、心が悲鳴を上げる。あの日連れて行かれるあの娘に、他の騎士に組み伏せられた自分は何もできなかった。ただ無力に手を伸ばして、連れて行かれるあの娘の名前を呼び続け、見ていただけだ。


 叫ぶように名前を呼ぶ老躯に振り返り、大丈夫と言って微笑んでくれたあの娘の笑顔が、脳裏をかすめる。


「答えろ!何故あの日!……民は、あの娘は、死なねばならなかった!」


 それはきっとあの日を生き残ってしまった誰もが抱いた慟哭だ。


 老人の怒りは際限なく昇り続ける。

 目の前にいる青年にこの答えが出せるはずもないのだ。そんなことは老人とてわかっている。だが、どうでもいい。胸のうちに巻き起こる怒りと憎しみを抑えることが老人にはできないかった。


 この数年間その胸に秘めてきた想いを、数多くの者達が得ることのできなかったその答えを、老人は問わずにはいられなかった。


「……そんなものは僕が聞きたい」


 老躯の慟哭を前にしても青年は動じた様子もなく、慣れた様子でただそこに立って、その想いを受け止める。この慟哭を、何度も青年は聞き続けてきた。今まで受けてきたこのような任務の度に、幾度となく問われてきた。


 何故、どうして、返せと。

 怒りと憎しみ、怨嗟に満ちたその瞳と声で問われ続けてきた。


 だが今まで、その問いに言葉を返したことはなかった。ただ剣を振って、その声を想いを終わらせてきた。何度も何度も。数えきれないほど幾度となく、この手で。だが今日、彼の慟哭を聞き青年は初めてその疑問に返答した。


 言葉が返ってくることは老人にとっても意外だったがその内容は投げやりとも取れるものだ。老人が怒りにその口を開きかけたとき、青年が再び言葉を紡ぐ。


「其方のような想いを何度もこの耳で聴いてきた。

あの日の悲鳴も、怨嗟も、歓喜も、僕は全て聴いてきた。

だが、その答えが出たことはない。答えがあるのかすらわからない。

だが、少なくとも、僕はあの日起きた死を無にするつもりはない」


 あの日行われた粛清という名の虐殺にどんな意味があったのか、答えなど出ない。あの日に意味を見出すことなどできるのだろうか、青年にはわからない。


 答えにならない言葉を紡ぐ青年に、老躯の怒りが再び訪れるかと思われたが、意外にも引き継がれた言葉は静かなものだった。


「貴様もあの日の答えを探しているというのか。

……あの日の死を無にするつもりがないとはどういう意味だ?」


 老人の怒りが決して冷めた訳でなない。

 だが、今怒りをぶつけたこの若者もまた、あの日の答えを求めていた者だとその言葉と表情を見て、気づいただけだ。


「聖女を決して殺させはしないということだ。

 其方のように聖女を狙うものは数多くいる。聖女を殺して聖教国に、世界に復讐する、それが其方らの出した結論だろう。聖女が死ねば、確かに世界には絶望がはしるだろうし、実際瘴気で世界は滅ぶだろう。

 だが、それはあの日死んだ者達が、今日これまで死んでいった者達の全ての死が、無駄になってしまうような気がする」


 青年には無論復讐者の気持ちなど理解できないし、理解できるとも思ってはいない。


 こんな考えを青年が抱くようになったのはつい最近になってのことだ。


 未来の為に、他の多くを生かすために死を選んだ者達を観た。自身の幸せのためと言って、その身を犠牲にしてこんな世界を救おうとしている者を観た。目を伏せる青年の脳裏に、滅んでしまった町の小さな二人の英雄と一人の少女の笑顔が過ぎる。


「僕は彼らの想いを、彼らが繋げた未来を消したくない」


 青年が出した答えは彼自身の願望であって、他者から見れば唯の綺麗事のように感じるだろうし、実際随分と身勝手な話だ。


だが、目の前の老人には青年の言葉がただの綺麗事にも身勝手な話ににもとらえることが出来なかった。老人は目を見開いて青年を見る。


 嘗て、彼と似た言葉を言った一人の少女の姿が老躯の記憶に浮かび上がる。

 少女がまだ領主を継いだばかりで、体制も安定していない頃、瘴気によって被害を受けた地からの輸入品は値上がりし、町の財政も火の車、そんな状況をなんとかしようとまだ年若い少女が寝る間も惜しんで政務に勤しんでいた。


 目の下に大きな隈までつくって無理に働く少女に老人は我慢できずにその疑問をぶつけたのだ。


「なんで無茶をするかって、そんなの当たり前じゃない。

 お父様やお母様が守ってきたこの街の未来をこんなところで終わらせたりするもんですか!街のみんながこの先何十年だって安心して過ごせるように、お父様は苦心していらっしゃったわ。その想いを私も継いだのよ!…だったら何がなんでも、この危機を乗り越えて見せるわ」


 そう言って満面の笑みで微笑み、やる気にその身を満たされていたあの娘の姿が今、老躯の前に現れたかのような幻想すら抱いた。


 なんという皮肉だろうか。


 今、絶望の中、この老いた身の一生を終わらせにきた青年と、嘗て希望に満ち溢れた頃、老いたこの身に、活力を漲らせてくれた少女が同じ答えを返してくる。


 若き騎士が先程とは違い、ゆっくりと老いたこの身に歩み寄ってくる。彼がその身に瘴気を纏う様子はない。これは青年を殺す絶好のチャンスだ。


 だが、先程あれだけ激昂していたというのに、不思議なことに今この青年に掴みかかる気力は微塵もわかない。


 終わりの時が近づいていることを老躯は悟った。

 青年のゆったりとした歩みに老いたその身はしわがれた声で最後の問答を行う。


「青年よ、…貴様に主人はいるのか?」


「いる。生涯を通して、必ず守り抜くと誓った。」


 老躯の問いかけに青年はその歩みをやめることなく静かに答える。


「青年よ、先に述べた想いを貫くと誓えるか?」


 歩みを続ける青年に尚も老躯は問い続ける。


「無論。とうに誓った。この想いは生涯にかけて消えることはない」


 青年も歩み続ける。しわがれた声の主の元に着くまで。

 

「我が主人の願いは、パラムの民の未来、この世界を終わらせることではない。

……若き騎士よ、貴様に世界の未来は守れるのか?」


 とうとう目の前にきた青年を前にしても老人はこの問答をやめない。

 青年がその手に握る剣をふれば老躯はすぐにでもその生涯を終えることになる。


「今を引き連れて未来を守るのは僕の主人だ。僕はその主人の未来を護る」


 だが、目前に迫った標的を前にしても青年がその剣を振るうことはない。老躯の眼差しを一身に受け止め、その問答に全霊を持って答える。


「若き騎士よ。……未来を頼む」


「無論だ」


 ここに騎士達の最後の問答は終わった。


 若き騎士の返答を聞いた老人は青年の一刀の元、その長く苦渋に塗れた生涯を終えた。



 

深い闇の底で老躯は目を閉じ、長い長い眠りについていた。



「ギル!ギル!」


 深い眠りの中で自身の名を呼びかけるその声に老躯がゆっくりと目を開けていくと、まぶたの隙間からとても眩しい光が差し込む。


 あまりの眩しさに、思わず開けた目を細め、手で光を遮ろうとその腕を上げる。


「ギルってば!すぐ居眠りして!

…この書類もう終わらせないといけないんだから、眠ってる暇なんてないわよ」


 意識のはっきりとしてきた彼の耳に入ってきたのは、とても懐かしい声と呼び名で、思わず眩しさに眩んでいた目を見開いて声の聞こえる方向を凝視する。


「ちょっと聞いてるのギル!…って、なんで泣いてるのよ!

おじいちゃんだからって、ちょっと涙腺緩くなりすぎよ」


 老躯のその老いた瞳に映った人物は嘗て彼が仰いだ主人で、守ることのできなかった未来だった。


 あまりの懐かしさに老躯の瞳は知らずに雨を降らせたようだ。


「……いや何、少々長い夢を見ていたようでしてな。

夢の中の光景に思わず涙が溢れたようです。…やはり歳ですかな」


 どちらが夢なのか、老躯にはもはや判断がつかない、だが少なくとも今、目前にあるこの光景に老躯の身は幸せに溢れている。


「もう、書類を涙で汚さないでよ!とっとと仕事を終わらせて、早くおやつを食べに行くんだからね。ほら、ギル!早く手を動かす!」


「はいはい、お嬢様。相変わらず年寄りに厳しいですなぁ」


 老いた身に随分とムチを打ってくれると、苦笑しながらも老躯ことギルバート•シャーラントは嬉しそうに微笑みながらその手を動かすのだった。




 嘗て、パラムの町は連合王国北部ルイン地方において最も栄えた町であった。聖教国との国境に程近いこの町は瘴気の脅威にあって尚、交易の盛んな要衝の地として知られ、多くの人々が笑顔で行き交っていた。


 この町を訪れた旅人達はパラムの町という名前とは別にこの町こう呼んだ。


 【笑顔の町】


 その【笑顔の町】がたった1人の少女と老いた騎士が守ったものであったことを人々は知らない。

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