8話 騎士の誓い 中編



 時刻は夕刻、日が沈み始め、周囲が薄暗くなると聖殿内でもポツポツと灯りを灯す部屋が増えていく、そんな中、一際静寂が満ちる部屋の中にその青年はいた。


 —カキカキカキ—

 

 薄暗い部屋で小さく揺らめく火の灯りを頼りに青年は書き物の為、黙々とその腕を動かし続ける。


 —カキカキ、


 ピタリとそれまで止まることのなかった青年の腕が止まる。書き物の音すら聞こえなくなった部屋の静寂は薄暗い部屋をより一層不気味なものに感じさせる。


「……解せん、全くもって解せん」


 その不気味な静寂を破ってそう呟く青年は、近衛騎士のカイルである。目の下に隈までつくった彼のその雰囲気は、薄暗い部屋と相まって、かつて好青年と評されたその面影を全く感じさせることがない。


 あれから10日あまり、あの後、顔を真っ赤に染め上げたイズミ様に接近禁止令なるものを出され、あわや近衛転属の危機かと思われたが、そのようなお触れもなくカイルは騎士長からの命令で自室で謹慎(書類業務)に勤しんでいた。


 顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げたイズミ様の声に外にいた護衛の騎士2人と頭が痛いと言った風な様子でこめかみを抑えながら部屋の中に入ってきた騎士長にカイルは弁明の余地すら与えられず、部屋の外に摘み出されたのだ。


 護衛の騎士2人に至っては、もはや敵を見るような目付きで、今にも剣を抜きそうな勢いであった。さしものカイルもこれにはおっかなびっくりで、身を引くしかなかった。


 途中、騎士長になんとかならないものかと助けを求めてみたものの


「貴様がよもやそこまでだったとは、私も自身の予想の甘さを禁じ得ない。だがこれは間違いなく、自業自得だ。少し、というか多いに反省しなさい」


 などとおっしゃって、全く助力してくださらない。

 ……解せん。


 とはいえ、今回の件は確かに騎士長のいう通り反省が必要なのも事実である。一介の騎士が聖女の御心を惑わしたなどと広まれば、近衛騎士の評判に差し支えることは火を見るよりも明らかである。


(……何よりイズミ様に恥を欠かせてしまった)


 近衛騎士がどうとか以前に騎士の誓いを立てた主人に意図は無かったとはいえ、プロポーズしたと勘違いさせそれを言った本人に指摘されたのだ。女性としては許せるものではないだろう。


 事実、部屋に入ってきた2人の女性騎士など虫を見るような目で此方をみてきた上、喋ったら切ると言わんばかりの物腰であった。


 そのような反省の思いに日々、身をやつしながらもだんだんと増えていく書類業務の量にうんざりし始めた頃。謹慎14日目にして何故か急にイズミ様御自身からお呼び出しを受けた。


 カイルにとってこれは非常に嬉しい知らせだ、自室で書類業務ばかりさせられ、いつ解けるかもわからない接近禁止令なる命令は彼にかなりの不安を与えていた。


 ようやく主人の許しが出るかもしれない、そう思うとカイルの足はひとりでに浮き足立っていた。が、そこでふと気を引き締め直す、許しが出るのかは分からないのだ。


 この呼び出しが、カイルに更なる罰を与えるものである可能性も否めない。


 面会の時間を前にカイルを呼びにきたイズミ様付きの侍女は、イズミ様との謁見の部屋の前まで案内するなり、


「くれぐれも、くれぐれもイズミ様に失礼のないように、騎士として恥ずかしくない行動を心がけくださいませ」


 などと騎士のあり方を忠告してくる。

 騎士が侍女にこうまで言われて、全く言い返せないのが僕の現状である。


 もはや聖殿内で僕がイズミ様を大変に怒らせたことは周知の事実である。しかも、告白まがいのセリフを吐いて、勘違いさせたという噂(真実)のおまけ付きだ。


 以前から、聖殿は自分にとってそれほど居心地の良い場所ではなかったが、聖殿内での僕の今の立場はイズミ様に接近禁止令を出される前とは比較にならないほど窮屈なものになっていた。今や侍女からすらこの扱い、扉の外に立っている当番の騎士も何やらジト目で僕を見てくるし、何故こうなったのか皆目見当もつかない。


「はぁー。……失礼致します。カイル・ケーニッヒです」


 ジト目でみてくる当番の騎士を尻目に溜息を吐きながら息を整えて、部屋への入室の許可を待つ。カイルが到着した旨を中に伝えると何やらバタバタと室内からは慌てているような音がする。


 その音が落ち着いた時、イズミ様御自身から何やら落ち着かない、上擦ったような声色で入室を促される。


「……どうぞ、はいって」


 その声にカイルは少し、心が暖かくなるような感じがしていた。

 カイルがイズミの声を聞くのも14日、2週間ぶりなのだ、かけらた声に浮き足立つ心を必死に抑えながらゆっくり扉を開けて、部屋の中へと入る。


 約2週間ぶりの対面である。


 入室後、気まずさから一瞬の沈黙が部屋の中に降り立つ。

 ドアの閉まる音がやけに大きく部屋に響いた気がした。


「……久しぶりだね」


 その音が合図であったかのように一拍置いて、少女はカイルに声をかける。

「お久しぶりです。イズミ様におかれましてはお変わりなく、お元気なご様子で安心致しました」


 久しぶりの会話に緊張したのか、上位の貴族と話すような口調でカイルも返答する。ついこの間まで2年間も話したことがなかった二人が、僅か2週間あわなかっただけで久しぶりというのは少し不思議な気もするが、すでにこの二人は2週間を久しぶりだと思うほどに互いの距離が近くなっているのだろう。


 もちろん自分のことに鈍感な当の本人たちがそのことに気付くことはない。


「……えーっと、そのごめんね。勝手に勘違いして、勝手に怒って、その、御迷惑をお掛けしました」


 そう言って頭を下げる少女にカイルは慌てる。

 まず聖女が一介の騎士に頭を下げるなど言語道断の大問題だ、さらに言うなら今回の件は聖殿ではカイルが紛らわしいことを言って聖女様の御心を惑わしたとたいそうな噂(真実)になっている。


 幸いにしてこの部屋には少女と青年の二人だけではあるが、もし誰かに、例えば先程の侍女にでも聞かれていればこの部屋に絶対零度の嵐が吹き荒れていたことは間違いないだろう。


 そう言った、諸々の事情もあってカイルが焦るのも無理のないことなのだが、今回彼が焦っているのはもちろんそんな対外的な事情ではない。


 カイルにとってすれば主人に頭を下げさせるのなどもちろん論外だ、がそれ以上に今回の件で彼女が謝る道理などどこにもないのだ。この件で頭を下げるのは自分の方であって断じて彼女ではない。


 故にカイルは慌てて否定に走る。


「そんな、イズミ様、頭をお上げください!僕の方が、妙な言い回しをしたがためにイズミ様のお心を煩わせてしまったのです、頭を下げるべきは僕の方です。大変申し訳ありませんでした。」


 だが、今度はそれを受けたイズミが慌てる番だ。

 実は彼女もこの数日、アルティメス騎士長より騎士の誓いがこの世界でどれほどの想いで行うものであるかということを教えられていた。


 その上、恥ずかしさのあまりパニックになっていたとはいえ、自身が下した接近禁止令によってカイルの立場が聖殿内でいかに追い詰めらているのかを二週間目にしてようやく知ったのだ。これを知った少女は慌ててその命令を撤回して、カイルに謝ろうとこうして呼び出したのである。


 結果、どちらも互いに自分が悪いと支離滅裂になりながらとにかく謝るという状態へと陥ったわけである。が、そんな状態をいつまでも続けるほど2人に許されている時間は長くはない。


 互いに自分が悪いという点を一向に譲ろうとしない終わりの見えない論争についにイズミが折た。


「……あのさ、騎士の誓いって撤回できないすごく重いものなんでしょ?私なんかにそんなことしちゃってよかったの?」


 騎士の誓いがどういうものなのかそれをアルティメスに聞いた時から少女はずっと気になっていた。何故自分なのか、カイルの真意がどうであったのか、自分を主人として本当に後悔しないのか、ここ数日イズミは気付けば脳裏でそれを考えていた。


 カイルからすればしてしまった後で問うたところで既にせんなきことではあるし、聖女に騎士の誓いをたてることは前例がないだけで、建前上は褒められこそすれ、責められることではないはずなのだ。

 が、彼女の単純な疑問というよりも疑惑の色の強いその瞳を見て、カイルはしっかりと説明する必要があることを悟った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る