第43話 誘惑

 狭い。1人用のベッドに2人寝るのだからそりゃあ狭くなる。

 しかしそれもだいぶ慣れた。


 本当なら宿で一番高い部屋の、広くて寝心地のいいベッドで寝ているはずなのだが、こうして寝ているのはお情け程度のマットが敷かれただけの硬いベッド。しかも場末の小さな酒場の仮眠室。


 それでも気に入っているのは、誰かとくっついて寝る心地良さがーーーナイ。いつも脇下あたりにくっついて寝ているイイ匂いの抱き枕がない。どこいった?


 まさか狭くてベッドから落ちたのか?と半分寝ぼけた頭のまま、軽く右腕であたりを探ると、ベッドから落ちるギリギリに枕を見つけた。


「シエル?オイ、こっち寄れ。落ちるぞ?」


 声をかけたところで起きるわけがない。

 落ちそうになっているシエルの脇に、勝手に腕を差し込み、中央へと引っ張り寄せる。


――むにっ


(むに?)


 大きくはない。しかし、男にはない独特の胸の柔らかさ。


「えっ!?女!?」


 一瞬で目が覚めた。パチリと目を見開き、がばっと起き上がり身を起こした。


 中にひっぱりこんだ反動で、ごろりと寝返りを打ったシエルが、上から覆いかぶさる形になっている自分の下で、無防備にすやすや寝ている。

 いつも寝巻として着ているシャツワンピースではない。ツヴァングの酒場で手伝いをしていた時に着ていた白シャツを、襟のボタンを数個外し寛がせている。


(いま、胸が柔らかくなかったか?)


 寝る前は確かにシエルの体は男だった。腕枕してやって、くっついた体は骨が節張っていてぺらかった。なのに、恐る恐る胸の上に手を置くと、シャツ一枚隔てて柔らかな感触が手の平に収まる。


(胸がある!こ、こいつ、体が女になってやがる!?なんでいきなり!?)


 男にも女にもなれる中性体なのは知っている。事実、シェルは意図的に男の体になってみせた。

 が、今度は何があって急に体が男から女になったのか。


(いや、確か男の体になったとき『5日限定』って言ってたはず……。今日で6日目だ、だとしたら元の中性体に戻って当たり前で、でもなんで元に戻らないで次は女になっているんだ!?)


 頭が混乱している。混乱している自覚がある。けれど、どうしてもシャツの隙間から覗く谷間に視線が落ちてしまう。


 ラドゴビス討伐に行く途中で一度だけ想像した、シエルの体が女になった姿が脳裏を過って、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 男の時より細く、柔らかく、腕の中で無防備にされるがままになった体。深く閉ざされた瞳。

 

 いつもの香しい匂いが、さらに甘く感じる。


「シエル……」


 ダメだと分かっているのに自分を止められない。

 薄っすらと開いた赤い唇に口づけようとして、


「こんな時に限ってなんで起きる?」


 触れる直前でパチリと目を開いたシエルと視線が合った。金色の大きな瞳に、マヌケな自分の顔が映っている。

 普段はあんなに寝汚いし、起こしても起きないくせに、起きてほしくないときに限って目を覚ます。

 これはマズイ。寝込みを襲ってキスしようとしたのを見られてしまった。


「いや、こんなに胸揉まれてたら誰でも起きるよ。ていうか、なんで自分に乳があるの?」


「俺に聞くな。俺の方が知りたい。それに目の前に乳があったら揉むのが男だ」


 問われても分かるわけがない。

 しかも寝込みを襲うとした言い訳が、自分でも呆れるような言い訳になってしまった。


(何言ってんだよ、俺……。目の前に乳があったら揉むってツヴァングかよ……)


 自身の言葉で落ち込んでいると、いきなりシエルが顔を掴んで腕を突っ張ったせいで、顔を横に向けられた。

 首がぐきと鈍い音がした気がする。


「イデッ!」


「ちょっと向こう向いてて!絶対こっち見ないで!確認するから!」


 なんだよ、とは思いつつも、視界の端にシエルが恒例になった『黒の書』を取り出したのが見えた。それから書を持っている手がぶるぶる震え始めると、すっと書が消える。

 アイテムボックスの中に『黒の書』を戻したのだろう。


 読み終えると、仰向けだった体を横向きにして、顔を両手で覆った。見るからに落ち込んでいる。この様子なら、急に女の体になった理由も判明したのだろう。


「原因わかったのか?」


「分かった……。5日限定で好きな性別になれるけど、その反動で直後の5日間は逆の性別になるそう……。そんなの5日前には書いてなかったのにぃ~……」


「何事も自分に都合のいいことばかりじゃないって事だな」

 

 <レヴィ・スーン>は何でも叶える力を持つというが、自分の体の性もままならないとは。しかし、『黒の書』とは本当にシエルの体について、事細かに説明が書かれているのだろう。本人ですら知らないことを、何でも書かれてある。


「ところで、原因がそれなら今日から5日限定で今度は女になったってことだよな?」


「そういうことになるね……」


「乳、揉んでもいいか?せっかくあるんだし」


「………報酬であげた槍使ってくれるならいいよ」


「………」


 どさくさに紛れてと思ったのに、嫌なところを突いてくる。

 グングニルの槍にシエルが施した細工。修理に出したつもりが、とんでもないサービスがついてきたことに気づいた時は、開いた口が塞がらなかった。

 シエルは強化しただけと簡単にいうが、この世で最高ランクの武器が秘められては、強化どころではない。


 ルシフェルのダンジョンでシエルが戦った時の武器『インペリアル・エクス』と同等のS10武器。それが自分のグングニルの中に秘められている。


 強さを求める者にとっては、逆らい難いほど甘美な報酬。喉から手が出るほどほしい。手を伸ばすだけで最強の強さが手に入る。


 しかし、冒険者になって自分の力だけで強くなると決めた信条とは相容れない強さ。その信条を胸に、これまでどんな苦しいときも、辛いことも乗り越えてきた。

 武器は欲しいが、与えられた強さには頼りたくない。


 けれど、だけど―――それとは別に―――


(だが、乳は揉みたい……)


 顔を覆った指と指の隙間から、シエルの目がこちらを見ている。

 誘惑に堕ちるかどうか、まさしく試されていた。

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