第35話 リアルの記憶

 シエルが帰って、店に1人になっても、ランプ1つしかついていない薄暗いバーで、ツヴァングはじっと何もない空間を見つめ、思案にふけっていた。

 アルコールはすっかり抜けている。そのまなざしは、女たちと笑い、酒を飲むツヴァングからは想像もつかないほど鋭かった。


 口の中が酷く乾いてたまらない。喉もカラカラだ。けれど、目の前に置かれたセセルティーに口をつける気には全くなれなかった。


(何もない空間にアイスセセルティーを出したこともだが、正当防衛か……まさか、巷を騒がせているレヴィ・スーンが、リアルのプレイヤーとは驚いたぜ)


 アイテムを何もない空間に出現させたのは、『アイテムボックス』を使用したものだろう。アイテムボックスはプレイヤーでなければ使用できないシステムだ。NPCは使用できない。


 けれども、重要なのはそこではない。


(アイテムボックスはプレイヤーであれば、何らかのきっかけさえあれば使える機能だ。リアルの記憶を思い出す出さないに関係なく。だが、リアルの記憶を持っている者の思考や認識は違う)


 王族貴族平民の身分制度が確立しているこの世界で、『正当防衛』なんてものは無きに等しい。何よりインターネット環境やPCスマホがないこの世界で、鍵を<パスワード>なんて言い方はしない。


 どんな願いでもかなえる強大な魔力を持つと言うが、おそらくそれはアデルクライシスに囚われた被害者たちを助け出すべく作り出されたチートステータスのキャラである可能性が高い。


 (はじめは俺だってリアルの記憶を完璧に忘れていた。勘当された貴族の放蕩息子と思い込んでいた……。だが3か月前、朝起きたら唐突にリアルの記憶が戻っていたんだ。こっちの世界とリアルの世界の記憶がごっちゃになって、とうとう俺はイカレちまったんだってヤケになりかけたな……)


 記憶が戻って一か月は、酒を煽るように飲んで、リアルの記憶は偽りだと思い込もうとした。しかし、リアルの記憶通りに、システムウィンドウは開き、アイテムボックスは使え、扱えるはずのない銃は手に馴染んだ。


 一か月後には、ツヴァング・リッツの記憶こそが偽りだと確信した。


 だからと、システムウィンドウのどこを探しても、『ログアウト』の文字を見つけることはできなかった。

 他にも方法がないか探せど、手掛かりすら全く得られず、リアルと連絡を取る手段すら無かった。


(システムウィンドウからフレンドリストを見れば、俺と同じようにログインし続けているプレイヤーはいたが、念のため連絡などはしないで、記憶が戻っていないままのフリをし続けていたが……)


 他にもリアルの記憶が戻っているプレイヤーがいるのか、連絡を取りたい衝動に何度も駆られたが、ギリギリのところでどうしても連絡を取ることはできなかった。

 確固とした理由は分からないが、誰かと連絡を取る=リアルの記憶が戻っていることを知られてしまう危険性を危惧したからだ。


 自分は3か月前にリアルの記憶を取り戻したが、それより先に記憶を取り戻した者がいる可能性は十分ある。とすれば、スタート地点はだいぶずれてしまっている。

 先行プレイヤーに後続プレイヤーが追いつくのが大変なのは、オンラインゲームの常だ。


 下手に連絡を取って、変なモノに巻き込まれるのは避けたい。

 ただ、夜の日課になっているフレンドリストを確認していると、たまにログインしていることを示す黄色の名前が、グレーになっていることがあった。

 

 ログアウトできたとは思えない。

 おそらくそのプレイヤーはこの世界(アデルクライシス)で死んだのだ。

 死んだプレイヤーはリアルに戻れたのか、それともリアルでも死んだのか、確認する術はなく、無言でフレンドリストを閉じた。


 だが、そのままツヴァング・リッツを演じ続けて、この世界で生きることはそう悪くないことに気づいた。


 ツヴァング・リッツの設定は貴族出身だが、勘当された放蕩息子だ。日々危険にさらされる下っ端貴族でも、日餞を稼ぐ冒険者でも、一日中金槌(かなづち) を片手に剣を作る鍛冶師でもない。

 運よく鑑定士のスキルを持っていたおかげで、金に困ることもない。


(酒を飲んで、遊んで暮らせて、最高じゃねぇか。毎日夜中まで残業して、朝になったら定時出社していたサラリーマン生活とは比べ物にならねぇよ)

 

 リアルに戻る日が来るのか分からないまま、しかし、毎日を面白おかしい日々を過ごし、この生活の方がいいんじゃないかと思い込みかけていた頃、世界中に<レヴィ・スーン>が出現したという噂が流れてきた。


 銀髪金目の、仮想世界だからこそ存在が許されるギリギリの美貌。

 

 どうやってこの世界にログイン出来る術を得たのかは分からないが、反対にシエルはログアウト出来るのかも気になっている。


 <シエル・レヴィンソン>という名前もキャラネームでしかない。リアルの名前、まはたメインキャラの名前は別にある。

 そして、リアルの自分を知っている。オフ会には参加したことがないので、ギルドか何かが同じで自分を知っていたということだろう。


(誰だ?今更助けに来たとでも?S10武器を簡単にだしやがったな。いきなりだったから、銃が扱えるってボロだしちまったのはアレだが、それだけなら誤魔化せなくはない)


 外への連絡は取れなかったが、外からの助けが来ている様子もずっとなかった。シエルの他にもログインできた者がいるのだろうか。


 リアルの記憶が正しいのであれば、異常が起こる直前のパッチでS10武器が実装されていた。存在しないわけではないが、あの様子では他にも最高ランクの武器や装備を保有していそうだ。


(全く、面倒なことになってきたぜ。報酬もらって何事もなくフェードアウトするか?)


 それとも?


 テーブルの上には、酒が入った瓶の他に、黒いガラス玉が転がっている。

 昼間、シエルが起こした騒ぎの後、見つけたものだ。


 鑑定結果は『黒玉』

 使用者、または使用されたモノを汚染。


 たったそれだけだ。汚染が何を意味するのかも何も書かれていない。

 けれど昼間、シエルが戦っている最中、ロウガに禍々しい異変が起き、強化される光景を見た。恐らくあれが『汚染』だろう。


 リアルのしがらみから解放され、仮想ゲーム世界で日々を楽しく気ままに生きている自分から、この生活を脅かさんとする者。

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