第16話 出発

 朝は昔から苦手だ。

 現実でも低血圧が酷くて、朝起きるのが苦痛だった。

 それはゲームの中でも変らないらしい。


(現実の肉体は24時間寝ているんだから、ゲームの中くらいすっきり目覚めてもいいのに)


 今朝も待ち合わせギリギリの時間に起きて、寝ぼけ眼で宿の受付に下りて、店の好意で目覚めのクコを一杯貰い、ようやく眼が覚めてきたというところだ。


 ヴィルフリートと合流し、同行するらしい待ち合わせ通りに大門前に向う。宿代は2週間分を前払いしていたけれど、返金は求めずに、またハレムトレムに立ち寄ることがあったら泊めてほしいということで宿を引き払った。


「大変です。ヴィルフリートさん事件です、自分の前方にUMAが見えます」


「何言ってるかわかんねぇから、そんな露骨にいやな顔をするな。馬は馬車を引くための馬だ。お前は後ろの馬車に乗っていろ」


 拒否感全開の自分に、分かっているとばかりに乗合馬車を指差す。

 これは冒険者ギルドの物品で、荷の部分に屋根がついていて、荷物を運ぶより人を乗せるのが目的の造りになっているらしい。


 ただし、横にドアがついていて貴族が手を引かれながら乗るイメージのオシャレなタイプではなく、階段もなく後ろからよじ登るタイプの実用性重視の馬車だ。

 そして馬車のすぐ傍に旅用のマントを羽織った人物が2人立っている。この2人が冒険者ギルドからの同行者らしい。


 けれど、彼らと合流する直前に、目の前にでかくて柔らかな物体が押し付けられて、反射的に受け取る。


「コレ敷いて座れば、少しはマシだ」


「あ、ありがとう」


 ヴィルフリートが差し出してくれたのは、クッションタイプの長座布団だ。ヴィルフリート自身が普段から使っているわけではないのは、染みや汚れ1つついていない新品具合からすぐに分かる。


 (馬酔いが激しい自分のために、どこかで買ってきてくれたのかな……。態度はぶっきらぼうなところがあるけど、なんだかんだ面倒見はいいのよね)


 そう思うと素直に感謝の言葉が出てきた。


 歩いて来るシエルとヴィルフリートに気付いて、馬車の傍に立っていた2人はそろってフードを下ろす。


「おはようございます。今回はよろしくお願いいたします」


「おはようございます。調査に一緒にいかせて頂くことになりました治癒士のユスティアです。どうぞよろしくお願いします」


 人族の男につづいて、獣人族の女性の方も挨拶をする。ユスティアの方は回復専用ロッドを持っている。

 男の方がどこかで見た気がするがすぐに思いだせない。さてどこですれ違ったのだろうと思案していると、ヴィルフリートと親しそうに話し始める。


「カインが同行メンバー?体の方はもう大丈夫なのか?」


「ええ、すっかり良くなりました。先日は不甲斐ないところをお見せしてしまいました」


 軽く肩をすくめて、今度はシエルの方に振り向く。


「これから短い旅ではあるが、一緒に同行することになった。よろしくたのむ」


「シエルです。よろしく」


 とりあえず挨拶はしてみたが、男の方をあと少しのところで思い出せない。


「さすがに、少しは大人の対応を学んでくれたか」


「大人の対応って何?」


「カインはこの前冒険者ギルドでお前が試験で倒した相手だろうが?」


「そうだったっけ?忘れてた」


 ヴィルフリートの説明に、そういえば一昨日、冒険者ギルドでふっとばした相手の名前はカインと呼ばれていたとようやく思い出した。


 いやな記憶はすぐに忘れてしまうことにしているので、すぐには思い出せなかった。

 というよりも、手合わせ願いがしつこすぎて、相手の顔もまともに見ていなかった所為だが。


 シエルの態度に、目も当てられないとヴィルフリートは顔を右手のひらで覆う。


「すまん」


「自分が未熟だっただけです。お気になさらないでください。それにこれから一緒に旅をするのであれば、変なわだかまりはない方がいいに越したことはありませんし、腕の立つメンバーが1人でも多いのは、調査をする上で心強い」


「そう言ってもらえると助かる。じゃあカインが闘拳士、ユスティアが治癒士、俺が槍術士で、シエルは?」


「自分は、黒呪士」


 同行者の職業把握の流れで、ヴィルフリートにシエルの職業を聞かれる。


 職業は何でもできる。スキルは全てマスターしているけれど、戦闘職から生産職、採取職どれにでもなれるとしても、これから新しく出現したダンジョンの調査に行くというのなら、戦闘職で通した方が話はスムーズだろうと判断する。


 何より<シエル・レヴィンソン>でログインして最初に装備していたロッド『インペリアル・エクス』は黒呪士用の杖だ。

 治癒士が傷ついた者を癒しの魔法を使うのに対し、黒呪士は敵を炎や氷、雷で攻撃する魔法を使う。


「シエル殿は黒呪士と言われたが、杖は持っていないのか?昨日の手合わせでも何も武器を持っていなかったが」


「簡単な魔法なら杖なしでも使えるから。杖は必要になったら出すよ」


 だってずっと持っているのは重いし邪魔じゃない?とは言葉には出さないでおく。

 ヴィルフリートもだが、カインやユスティアも各々の武器を常に出して、手に持ったり背に背負ったり腰に下げたりして装備している。

 それがこの世界では普通であり、自分のように武器を持たないというのは不可解に映るらしい。


(アイテムボックスとか設定とかシステム関連は、みんなほとんど知らないか、忘れてるんだろうな。ここがゲーム世界っていう認識さえ思い出せれば、誰でも使える機能なのに)


 そう思案していると、ピコンとPTチャットが入ったことを音が知らせる。


 冒険者ギルドへの申請で組むPTにはない、ゲームシステムを介したPTチャット画面はPTを組んでいるメンバー同士にしか見えない。

 今現在、シエルとPTを組んでいるのは、ヴィルフリート一人だけだ。


『昨日言ってた職業と違うが、本当は?』


『マルチ。何でもできるよ、たぶん』


『多分?』


『スキルとか魔法は全部覚えているけれど、使ったことの少ないものばかりだから、実戦向けではないよ。黒呪士はサブでやってたからまぁまぁ出来る。出来るけれど、必要に迫られない限りやりたくないのはヒーラー。治癒士。性格的に自分には無理』


 スキルを覚えていても、実際にスキルの効果を熟知した上で使いこなすのとでは話は別だ。実戦、特に敵の攻撃が多様化しているだろう今のアデルクライシスになると、ほとんど使い物にならない筈だと予想する。


 それに食わず嫌いはダメかなと思い、一応ゲーム時代に治癒士のLVも上げてはみたものの、多人数でPTを組んでダンジョン攻略に行くと、PTメンバーのHPバーより自分のDPS(火力)バーばかり見て、よくタンクさんを落としてしまった。


 反対にタンクやDPS職は思う存分DPSバーを見て戦闘に燃えたものだ。

 結論として自分は回復職は不向きであると自覚した。


『必要に迫られれば、死んだやつを』


 ヴィルフリートの文章が途中で途切れ、直後


『いや、聞かなかったことにしてくれ』


『いいよ。聞かれなかったことにしておく』


 死者の蘇生が可能なのか、ヴィルフリートは尋ねようとして、途中で聞かないことにしておくほうを選んだのだろう。


 けれど、この死者蘇生に関してはシエル自身も不明確な点が多く、死者蘇生スキルを覚えているが、はっきりと蘇生出来るとも出来ないとも言い切れない。


 その理由は、このアデルクライシスに意識を囚われている捕囚プレイヤーの存在がある。捕囚プレイヤーは現実のことを忘れて、アデルクライシスの世界を現実として生きているが、死ねば現実で意識を取り戻している。


(ゲーム内で死んで、現実の意識が戻ってしまえば、その意識が抜け殻になっているキャラに蘇生魔法をかけて生き返るのかな?NPCのキャラに対しては、蘇生が有効になりそうだけど)


 捕囚プレイヤーに対しては、絶対出来るとは、言い切れない。もし生き返った場合、現実の方がどうなるか想像もつかないからだ。


 最悪また意識不明になって、意識がアデルクライシス内に囚われたら、元も子もない。となると死者蘇生スキルが使えても出来る限り使わない方がいいだろう。


 ただし死者蘇生スキルが存在するということは、シエルの他にもこのスキルを使える者が恐らくどこかにいるということだけは、心に留めておく。


 自己紹介を終えて。いざ出発となる。

 目的のダンジョンへはハムストレムを出て東へ馬車で5日の距離だ。随分首都の近くに出現したダンジョンらしい。


 途中にヴェニカの街のような転移ゲートが設置されている大きな街はないので、距離を省略することはできない。


 道中は馬の扱いに慣れたヴィルフリートとカインが交代で御者をし、シエルとユスティアは、後ろの荷馬車の方にずっと乗っていることになった。


 いきなり魔物に襲われても、闘拳士と槍術士なら対応しやすいというのがその理由らしいが、マップを魔物探査モードにしているので、シエルにはどの方角のどれくらいの距離にどんな魔物が出没しているのか見えている。


 進行方向に魔物のマーカーを見つけたり、変な動きをしているマーカーがあれば、都度ヴィルフリートに伝えればいいだろう。


 もっとも昨夜、ダンジョンの位置を念のために教えてもらったが、そこまでの道のりは、平たんな荒野がほとんどで、何箇所か小さな雑木林と川を横切る程度だった。この辺りに出現する魔物もLVはあまり高くなかった。


 要するにゲームを始めたばかりの初心者用の、LVアップのための魔物の狩場なのだ。

LVが上がってしまうと滅多に近寄ることのなくなったこの場所は、のんびりとしていて懐かしさすら感じてしまう。


 けれど、その懐かしさも1時間も経たずに霧散することになる。

今日の午前の御者担当はヴィルフリートだ。正午の昼食を食べて少し休憩したら次はカインの順番となる。


 そして今、馬を一定のスピードで走らせているヴィルフリートに、馬車の椅子から腰をあげ、シエルは御者席の方へ身を乗り出す。


「ヴィル……お尻が痛いよぉ………。揺れは少しはマシだけど、UMAとほとんど変らない……」


 馬車に乗る前にヴィルフリートからもらった長座布団を敷いてみても、アスファルトで舗装されていない地面むき出しの道は小石や溝が多数あり、その上を車輪が通るたびに馬車そのものがガタガタ揺れた。


 スピードを落せば揺れは少なくなるだろうけれど、そうするとダンジョンに着くのが遅くなってしまう。


「そりゃあ馬車は揺れるもんだ、って何する気だ?」


 御者席の背をまたぎ、ヴィルフリートの隣に無理矢理座る。


「気分転換に外見てる」


 大人しく馬車の揺れに耐えているカインとユスティアに一言断り、敷いていた座布団も御者席の方へ引っ張り出す。


あとはアイテムボックスから、カインたちに見えないように気をつけながらエアーボードを取り出し、席の上に出す。


 通常は立って乗ることを考え縦向きの進行方向だが、横向きに座ってエアーボードに乗りたい者用に足を引っ掛けるベルトを外し、ボードの進行方向を横に変更できる。次にエアーボードの高さは御者席の高さに合わせる。


 最後にこの上に長布団を載せてしまえば見られる心配なく、揺れることもないというわけである。


「これで揺れない。お尻も痛くない。快適快適」


 鼻歌を歌いたくなる快適さだ。馬車席に座ってあと5日もこの尻の痛みに耐えなければならないなんて、何の苦行だろうか。だが、その苦行から解放され快適な座り心地を手に入れることができた。

そう思っていた矢先。


「それ、午後はどうする気だ?今はいいが、午後はカインがここに座るんだぞ?」


「う……」


 ヴィルフリートの鋭い突っ込みに、そうだったと思い出す。

 いくら長座布団で隠していても、隣に座っていれば微妙なボードの高さとほとんど揺れない隣人のおかしさでエアーボードの存在に気付かれてしまう可能性が高い。


 荷馬車の方もユスティアがいるので、こちらもエアーボードが使えず、今更エアーボードを持っていますと言い出すのもタイミングが悪いし、エアーボード自体がこの世界で貴重というなら内緒にしておきたい。


「どうしよう?」


『自分のことだろう?上手いこと考えてくれ、レヴィ・スーンサマ?』


 声で返事はせず、PTチャットでの会話に完全に慣れたらしいヴィルフリートの嫌味に、シエルの拳がヴィルフリートのわき腹に決まった。




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