18.おしゃべりなカナリア(Eastern bluebird's nest)
暖まった空気においしいジュース。ポケットに入れたお菓子が一つ二つと交換され、ささやかなパーティーは熱を持つ。
「それで、あーし、みんなで合唱しようっていって練習してるのを見たんすけど、それが、なんていうか、知らない歌なんすよ。あーしは。でもみんなぴったり合わせて歌うわけですよ。なんなんですあれ。怖いんですが。びっくりしましたわよもう!」
アズールは、あはは、と言って続きを促す。いかめしい顔で文句を連ねていたミネオラが通り一遍の陳情の末とうとう『更に、パート分けが四段構成だったんすよ』と言って凄んできたので、アズールは笑いながらも、相当いやだったんだろうなあ、と思った。
「合唱は音楽の基礎教養として時間をとってやらされるんだ。高等教育までずっと続く。きみからするとよその国の国歌を歌えって言われるような感じなのかな。実は僕もあんまり歌って得意じゃなくてね」
きみもそういう感じ? とアズールが問うと、ミネオラは一瞬ぱっと明るい顔をした。
「あっ、あたし実は結構得意! ……ひ、一人で歌うなら。知らない曲は無理だけど……」
語尾がどんどんしぼんで行くのを聞いて、アズールはちょっと笑う。ミネオラはメガネを外してレンズを拭いた。
「子供の頃はあーしもマイクの申し子なんて言われたわけですが、うん、自分で言うと恥ずかしいね…… 言われてたんだよ……」
「端的で好感が持てるよ。人に付けられた二つ名っていうのは良くも悪くも率直だよね。一回聞いて分からないようじゃ困るし。……初等教育を受けていた頃は何が得意だったかな。どうだろう、思い出せないって事はあんまり楽しい思い出じゃないのかもな」
同級生とお菓子の取り合いをしたような思い出があるけどどうだったかな、とアズールが言ったので、ミネオラは微笑ましいなと思った。
「同い年の子が近くにいるってのはいいな。あーし、昔は妹が欲しかったんすよ。双子とかって憧れたわけですが、まあそう上手く行くわけもなく」
「双子ねえ。ああ、そうだ、いつだったか忘れたけど、顔の似た子と双子だって言ってお揃いの格好をしたりしていたよ。うん、そんなこともあった。思えば流行ってたのかもしれないな」
僕はやっていないけれどね、と言ってアズールは少し遠くを見るような目をした。ミネオラは水の色をした目と髪の、小さな子供をそこに見る。誰にでも小さな頃ってあるんだな、と思って、ミネオラはちょっと嬉しいような不気味なような、なんだかよく分からない気持ちになる。
「三課に行けば本物の双子が見られるかもね、無理かな。無理だろうな、三課の人間は融通が利かないから」
アズールはそう言ってちょっと笑った。それは相手が研究所の人間だったら『当たり前だろう』と怒りだすような物言いだったが、よそ者であるミネオラには通じなかった。耳慣れない言葉に、砂色の肌を持つ女はきょとんと首を傾げて疑問を口にする。
「うん? 三課? ってなに?」
「あれ、知らない? 複製三課、医療チームだよ。ミネオラのいる化学班は複製一課だろ? 僕が二課。三課の奴らはとんでもないエリートなんだけど、すごく付き合いづらいんだ。忙しいから表はめったに出てこないのが救いかな? 憧れの職業だね、僕はやりたくないけど」
複製三課は医療チームであるが、それ以上に法の遵守と倫理を要求される神聖な職務だ。集団の不徳をあやし、嘘とごまかしで丸め続けるアズールが規範意識の高い三課に入るのは、夏の炎天下の中で水を凍らせろと言っているのと大差ない。ミネオラは首をひねりながら頷く。研究所に医者がいるんです? とミネオラが聞くので、再生医療とかの臨床をするためだよ、とアズールは答えた。
「臨床は僕らの権限じゃ出来ないからね。まあやらなくて正解だ。別に医術そのものには興味ないし。放射線医学はちょっと興味あるかな。でもあそこは変人ばっかだ」
「それも三課の方の? いっぱい分類があるんすね。っていうか変人って……」
「放射線は人気がないんだよ。あれを専門でやろうなんていうのはよほどの変人か……変わり者だけだ。放射線医学やってるのははどこだったかな。二課の末のあたりじゃなかったっけ? ああ、いや、知らないよね。普段話題にも上らないからな。忘れちゃったよ」
アズールがそう言うので、話はそこで終わってしまった。研究所の内情について何も知らないミネオラには茶々を入れるくらいしか話を繋ぐ術はなく、それだって先がないのは明白だ。ミネオラはちょっとの間ぼーっとして、ふと思い出したことを口にした。
「あーしそういえばこの間変な夢見たんすよ。さっきの双子の話なんすけど。なんか見覚えのない場所に双子のあーしが六人くらいいて、瞬きする度に増えたり減ったりするの」
変な夢でしょ、とミネオラは言った。夢の話というのは往々にして反応し得ず、また会話の継続が難しい話題は聞く相手から困惑を引き出すことがあるが、もはやミネオラは疑わなかった。アズールはミネオラが無意識に期待したとおりの反応を返してくる。
「それはすごい夢を見たね。潤沢であるって言うのは美徳の一つだし、吉兆じゃないかな? きっとそのうちになにか良いことがあるよ」
アズールが笑うのを見ていると、透明感のある髪の色も相まってよく晴れた夏の空のようだった。ミネオラは照れ笑いを見せ、レンズの端に指紋がつくのも構わず、リムに手を掛けて眼鏡をあげたり下げたりする。ミネオラは『良いこと』について考えた。それは甘美な想像だった。
「えー、そっかなあ……いいこと? なんだろ、そうかな? そうだといいなあ」
お祭りの日は過ぎていく。楽しい会話は音楽のようで、おいしいお菓子は大きなテーブルに並ぶ料理だって引けを取らない。温かいジュースは封が切られる度に乾杯が繰り返され、立ち上る湯気がすっかり消える頃、それはようやくお開きになった。
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