焼け、焦げ付き、燻るもの

5.食卓を彩る菊の花(show one's good faith)

扉を開けて持ち場へ戻る。馴染みのない空気感と、見知っているのに慣れない顔ぶれ。戻ってきてしまった。どこかよそよそしい天井は見上げても落ち着かないままで、ただただ嫌だなあ、と思う。部屋に漂うなんとも言えない斥力。それが自分の錯覚だというのもミネオラには分かっていた。それでも、肌に感じる違和感は本当だ。部屋の隅に腰掛けて時間を待つ。何もすることのない時間はぼんやり苦しくて、肝心の検査は退屈だ。ミネオラは部屋の隅によって目立たないように小さくなった。何もないと良い、と思う。変わったことは一つだって。


みんな忙しそうにしている。自分だけがこうしてここに座っている。どうにも手持ち無沙汰だった。机からフェルトペンを拝借し、ポケットに入れていたジュースの缶に名前を書いていると、遠巻きに自分を眺める人影に気がついた。目立たないようにしていても、このオレンジの髪は隠せない。休憩中なのだろうか、ふわふわと寄ってくる人影にミネオラは身を強張らせる。青い髪の彼らだって悪い人じゃない、ただ話しかけてくるだけだ。分かっている。それはやさしさによるものかもしれない。善意によるものかもしれない。はたまたあふれる物珍しさから、かもしれない。それは別にとがめられるようなことではない。ないはずだ。なかったはずだ。

それでも。冬のお祭り、学校の話、研究所の話。手探りするように振られる話題は判で押したようにそればかりで、ミネオラは正直うんざりしていた。ここまで似たり寄ったりな話を手を替え品を替えされるのに、どこから来たの、と聞かれることは不思議と無かった。文化的に、内と外の二極しかないのかも知れなかった。ミネオラは悲鳴を上げる心を押さえ込んで、貼り付けたままの笑顔で対応する。気を遣って話しかけられているのはわかっていた。でも、理解が出来ない。理解が出来ないのだ。S型第二世代と呼ばれる彼らが持つ思い出、共通認識、当然とされるしきたり。そのすべてがよそ者であるミネオラには理解できない。話題に上るそれらが『幼少のころから慣れ親しんだ』易しい話題であればあるほど、自分の居場所は狭まっていく。線形代数の話をするほうがよほどましだった。『外生まれ』の自分がここでは異物であるのだとはっきり意識する。酒が飲みたい。酒、ツマミ、睡眠薬。ジュース。ジュース。ミネオラに寄り添い、逃避をもたらすもの。でもここにはそれらの内の一つだって無かった。


「あ、べ、ベルベナだ。あーし、これから検査だから、もう行くね……」

ただただ黙って曖昧に頷いていたミネオラは、自身の検査担当を見つけてほっとする。検査は退屈で、同じ班の人間たちとは相変わらず打ち解けられていなかったが、ここで知らない人間に囲まれたままずっとこうして座っていたら気が狂ってしまいそうだった。

「ん、戻っていたのか。思ったより早かったな。者ども、散れ散れ。仕事に戻るんだ。……今から機械の方を準備するからミネオラはこのカセットを持って、そうだな、その辺で待っていてくれ」

ミネオラは機械の近くまで歩いて行って、準備を待った。いつ見ても聴覚検査のブースに似ているな、とぼんやり思う。そうこうしている間に準備が終わったらしいベルベナが戻ってきた。

「よし、いいぞ。カセットを返してくれるか? ああ、ありがとう。今回は……なんだったかな。うん? ああ、前回と同じように目の前に表示される絵の名前を答えてくれ。わからないときは手元のスイッチを押してくれ。いいか?」

「あい、わかりました。右のやつですよね? ……でしたよね?」

「そのとおり、右だ。気分が悪くなったりしたら反対側のスイッチを押してくれ。いいな。それじゃあ中に入ってくれ。扉を閉めたら始めるぞ」

扉が閉まる。小さな密室の中は息が詰まりそうだったが、周りからじろじろ見られることのない空間は誰も来ることのない自販機の影を思わせた。ミネオラは流れてくるスライドを睨み、一つずつ答える。

『りんご、バナナ、猫、犬、玉子、花、ブドウ、家、げえっ虫!!!! ……豹、 鍵、葉っぱ、キノコ、新聞、タマネギ、パセリ、ウズラ、ウサギ、星、トラ、傘、バイ菌、時計、楽器、ヨット……』


外で様子を見ていたベルベナはタイマーをセットし、机に積んでいた封書を開けた。三つ折りの書類に目を通しながら、ディスプレイに表示される正答率と解析結果を交互に見比べたりした。そこに後ろから声が掛かる。

「どう思う? どんな感じ?」

「ミオソティスか。どうも思わないな。強いて言えば聞いていたよりも精度のランクが低いだろうか。だが、これぐらいが標準だという話もある」

言いながら、ペンで書類に書き込みをしていく。チェック。チェック。理解。おかしなところが無いかをざっと確かめ、書類の末尾の申請書にペンを走らせた。健康状態は概ね良好、視覚に難あり、色覚異常は認められず。聴覚、触覚ともに問題なし。喉部検査済み、異常なし。クリア、クリア。クリア。

「珍しいよね、こうして人が来るなんてさ。その上ヴァーヴェに仕事が回ってくるなんて」

休憩中らしいミオソティスは机に手をついてけらけらとおかしそうに笑った。華美な造りの白衣の裾が机の上に垂れる。ベルベナは顔をしかめ、私は今仕事をしているんだが、と言った。

「薬物暴露の実験をやるとしたら化学班に回すのが一番無駄がない。それから私の専門は語学だった。特性上、他に回すより事の運びがスムーズに行くと判断されたんだろう。こんなとこで無駄口を叩いていないで仕事に戻ったらどうだ、ミオ」

ミオ、とベルベナは冷たく言った。忠告を聞き入れたらしいミオソティスはぷう、と頬を膨らませると、机の上に持っていた空き缶を置き、『そ、頑張ってね』とだけ言って去って行った。ベルベナは答えず、書類のチェック作業に戻った。チェック。クリア。クリア。ペンを走らせて次。途中、項目で手が止まる。

「味覚……味覚?」

タイマーが鳴って、ベルベナの意識は引き戻される。そこでベルベナはミオソティスの嫌がらせに気がついた。眉をちょっとだけ寄せ、キャップをはめたペンを置く。疲れた顔のミネオラが扉を開けてふらふらと出てくるのを、ベルベナは呼び寄せた。

「ご苦労だった。ミネオラ、飯は食べたか?」

「……へえ? ご飯? まだっすけど……」

ミネオラは怪訝な顔をした。ベルベナは、じゃあちょうど良いな、と言って、ミネオラを食堂へと誘った。

「生の魚は好きか? 晩飯を奢ってやる。そしてこのことは誰にも言うな」

「あ、え、やたっ、ラッキー……? ありがとう、えっなんで?」

奢られるような覚えもなければ、それらしい理由も思いつかない。ベルベナが書類を横目に睨むのを、ミネオラはしぱしぱする目を拭いながらぼんやり不思議そうに眺めていた。ベルベナは顔を戻し、頭痛を堪えるような仕草で目を細めた。

「……名の書いてあるジュースを見落として飲んだ。叱責は甘んじて受け入れよう。これは詫びだ」

「ジュース一本でおさかな? あ、や、なんでもないよ。とっても嬉しいなあって言ったの、今!」

無理のあるごまかし方をするミネオラに、ベルベナは表情を変えないまま鷹揚に頷いた。そうしてベルベナは僅かに声を潜める。

「まあなんだ。詫びは詫びだが、私が他人に飯を奢ったことが知れると自分もと言うやつが出る。一人なら良いが、これが二人、三人となると私の懐は『これ』だ。内密に頼むぞ」

これ、と言ってベルベナは握った片手を広げるジェスチャーをした。それはどうも『金欠になる』というようなことを言っているらしかったが、ぱっと開けられる手の動きが具体的に何をさしているのか、ミネオラにはよく分からなかった。自分の右手を軽く握り、ぱっと開く。分からない。分からないからって今ここで聞くのもな、などと考えている間に歩き始めたベルベナとの距離が随分離れてしまったので、ミネオラは慌てて後を追いかけた。

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