28 鉢合わせたんだが

 気づくと暗闇の中だった。

 近くの窓から差し込む僅かな月明かりで物の形はなんとか分かるものの、細部までははっきり見えない。


「ここは俺の部屋か?」


 それでも家具の配置的にここが自分の部屋であるということは分かる。

 毎日この部屋で目覚めているのだから当たり前と言ったら当たり前だが。


 ベッドから起き上がり、部屋の中を見渡す。

 ここでふと自らの額に違和感を覚え手をやると、そこには既に温くなった冷却ジェルシートが貼られていた。

 何故と思ったのも束の間、俺の頭は急速に物事を理解し始める。

 

「そういえば病人ってことになってるんだったな」


 俺がここで寝ていたのは椎名えりに熱を疑われ、ベッドへと連れていかれたため。

 この額のシートも俺が寝ている間に彼女が貼ったものであろう。


 夕夏梨の看病のため、ここまで駆けつけてくれた相手に余計な迷惑をかけすぎたと今更後悔するも、そうしたところで迷惑をかけたことがなかったことにはならない。

 それに椎名えりもきっと既に帰っているだろうと思ったところでふと自らの着ている服が気になった。

 着ている服は寝ている間に掻いた汗でベットリ濡れ、体に張り付いて少々着心地が悪い。

 そうなれば当然、次の行動は決まっていた。


「とりあえず風呂に入るか」


 俺は寝ている間にかいた汗を流すため一階にある脱衣所へと向かった。


◆◆◆


 一階は俺の予想に反して暗かった。

 階段を下りる前に夕夏梨の部屋を覗いてみたところ夕夏梨の姿が無かったのでおそらく一階にいるのだろうと思ったのだが電気が付いていないところを見ると誰もいなさそうだ。


 まぁ夕夏梨のことだ、元気になったとかできっと近くのコンビニにでも行っているのだろう。

 元気になったのなら良かったと俺はそのまま脱衣所の前まで行き、扉を開ける。

 急に目の前が明るくなり目を瞑ったのも一瞬、前方から叫び声が聞こえた。


「へ!? お兄ちゃん!?」

「……!?」


 突然の光に目が慣れていないため細目で叫び声がした方へと視線を向けるとそこにはまるで茹でられたタコかと思うほどに顔を赤くした裸の少女二人──椎名えりと夕夏梨が俺の方を向いて固まっていた。

 二人の手にはバスタオルが握られ、それで大事な部分が隠れているもののタオルが体にピッタリと張り付いており女性的なラインを綺麗に浮かび上がらせている。

 つまりはとても扇情的な姿だった。


「わ、悪い!」


 そんな二人のあられもない姿に反射的に見てはいけないと思った俺は慌てて後ろを向く。

 それから脱衣所の扉を閉め、倒れるように床へと座り込んだ。

 心を落ち着かせるためにフローリングの溝を爪で無心になぞるもあまり効果はない。


 しばらくして背中を預けていた壁が動き出した。

 そういえば扉の前だったと自分の座っている場所を思い出すと同時に立ち上がって扉の前から移動する。

 俺が退いたことによってスムーズに動くようになった扉をじっと見ているとそこからパジャマ姿の夕夏梨と椎名えりが出てきた。


「うわっ!? お兄ちゃんまだいたの? そういえばさっきのはダメだよ。入るときはノックしてっていつも言ってるよね?」

「……すみません」

「私は別に良いけどさ。今日はお姉さんもいるんだよ? 分かってる?」

「……反省してます」


 出てきた夕夏梨はいつもと変わらないように見えるが椎名えりの方は少々様子がおかしかった。

 なんというかいつもと違ってモジモジしているというか、ずっと下を向いているというか普段の彼女らしくないのだ。

 そんな彼女に気まずくなり、もう一度謝罪をしようと口を開いたところで彼女は俺に近づいて来てあることを呟いた。


「……これはさっきご飯を食べたからで本当の私はもっとスリムよ?」


 椎名えりの言葉は俺の予想していなかった言葉だった。

 まさかそんなことを気にしていたとは普通はもっと別のことを気にすると思うんだが。

 例えば裸を見られたこととか。


「いや今でも全然スリムだぞ、寧ろエロい体してたと思う」


 流れで思わず口に出してはいけないことまで外に出てしまったがここで下手に訂正したら椎名えりに本心からの言葉ではないのでは? と疑われてしまう。

 だとしたらこのまま余計なことをせずに待っているのが吉。

 それに彼女ならいつものように無表情で黙るなり、貶すなりして水に流してくれるはずである。


「そう、ありがとう……」


 そう思っていたのだが椎名えりは一言呟いた後、頬を赤く染め恥ずかしそうに下を向いているだけだった。

 ふざけているわけでなく、ただ恥ずかしそうにモジモジとしている椎名えり、これでは普通の美少女である。

 いや元々普通に美少女なのだがいつもと違うというか、とにかく調子が狂ってしまう。


 と、ここで話を聞いていた夕夏梨から俺に対して厳しい指摘が入った。


「お姉さん、そこは怒っていいところだよ。あとお兄ちゃん、それただのセクハラだから」

「ですよね」


 自分でも今の発言がセクハラにあたるということは充分に分かっているつもりだ。

 だがこれは仕方ないことなのだ。

 あんな扇情的な光景を見せられたら頭にそれが焼き付いてふとした拍子に要らぬことまで口から出てしまう。

 男とはそういう生き物だ。


「ですよね、じゃない! 女の子に向かってエロいなんて犯罪一歩手前だから! お姉さんも嫌がってるでしょ……ってなんか嬉しそう!? ……とにかく罰としてお兄ちゃんは私達にアイスを買ってくること! 少しは外で頭を冷やして来てっ!」


 夕夏梨が言ってた椎名えりの嬉しそうな表情というものが少し気になるもののそれに目を向けている余裕はなく俺は家から追い出されるように近くのコンビニまでアイスを買いに行かされた。


 俺がコンビニから買って戻ってきた頃には二人揃ってリビングのソファーで寛いでいた。

 俺はアイスの入ったビニール袋を広げながらまずは二人の前でひざまずく。


「アイス買ってきたぞ。それとさっきのことは……」

「うん、もういいよ。お姉さんも気にしてないみたいだから」


 二人は本当に気にしていないらしく俺が差し出したビニール袋の中からアイスのカップを取り出す。

 買ってきたアイスはコンビニで一番高い物、もちろんこれは食費ではなく俺の自腹だ。


「それじゃあこれでチャラってことにしておいてあげる。お姉さんもそれで良いですよね?」

「そうね」


 二人が許してくれたことにホッと息を吐くと同時に椎名えりがいつもの調子を取り戻していることにも安堵を覚える。

 普通に考えたらついさっきまでの彼女の方が恥じらいがあり可愛らしいのだが何故だか俺は普段の無表情で冷静な椎名えりの方を望んでいたようだ。


「そういえばいつ家に帰るんだ?」


 ふと気になって椎名えりにそう聞いてみれば、彼女からは何を言ってるの? という疑問の視線だけが返される。

 その視線だけでは分からず今度は夕夏梨に視線を向けると彼女は今思い出したというような顔で一言だけ発した。


「お姉さん、今日泊まることになったから」

「へ?」


 驚きを隠せなかった俺はただそう声をあげることしか出来なかった。

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