27 妹があーんを要求してきたんだが
俺はペットボトルのお茶を持って妹の部屋へと来ていた。
部屋に入ったときには既に椎名えりもいて、彼女は持ってきた風邪薬を夕夏梨に飲ませていた。
と、ここで俺にとって予想外のことが起きる。
「お兄ちゃん!」
妹の奇襲。
薬を飲み終えた途端にベッドから飛び起きた夕夏梨が俺のお腹目掛けて突っ込んできたのだ。
それからはもう周りお構い無しで思いっきり俺のお腹へと顔を擦り寄せてくる。
いくら兄妹といってもお互いもう高校生だ。
流石にこれはスキンシップが激しい。
それは椎名えりも思ったようで彼女は呆れた目を俺に向けてきた。
「病人に何させてるのよ……」
「いやこれはだな」
俺はきっと信じてもらえないと思いながらも夕夏梨の事情を説明する。
「実は夕夏梨は弱るといつもこの調子なんだ。なんというかいつもより甘えて来るというか、寧ろ別人というか」
俺の説明に椎名えりは『なるほどね』と答えた後少し考え込むような様子を見せるがすぐに考えが纏まったのかふっと息を吐く。
彼女の様子を見る限りどうやら信じてもらえたみたいだ。
「まぁここで嘘を言っても仕方ないものね。それにしてもすごい変わりようね」
椎名えりの言っていることは尤もである。
俺だって初めて見たらそう思う。
だが夕夏梨は昔からずっとこうだったわけではない。
昔は熱を出しても普通にいつもの夕夏梨と変わらなかった。
しかしある日を境にして変わってしまった。
母親の死。
俺が中学生の頃のことなのでかれこれ四年になる。
母親が亡くなったあの日から夕夏梨は俺に甘えて来るようになったのだ。
そのとき夕夏梨はまだ小学生、母親の死を受け止めきれなかったのだろう。
それにそのときは既に父親が家にいないことが多かったというのもあって夕夏梨が兄である俺を頼るのは必然的なことだった。
それでも中学生になる頃には恥ずかしさからか俺に甘えて来なくなったのだが風邪で熱を出したときや極度に疲れているときなどは今でもこうして甘えて来る。
表面上では普通にしていてもきっとまだ心の何処かで母親に対して未練があるのだろう。
しかしこればっかりはどうすることも出来ない。
それでも俺が何か出来ることを挙げるとすればそれはただ一つだけだ。
「ちょっと聞いてる? もしかしてあなたもどうかしちゃったの?」
「いや大丈夫だ」
どんなことがあっても夕夏梨を受け入れること。
それが家族として、兄として俺が出来る唯一のことだ。
◆◆◆
それから時間が過ぎて現在は夕方の五時。
俺は今もなお夕夏梨の隣にいた。
夕夏梨は流石に疲れたのか椎名えりが風邪薬を飲ませてから二十分もしないうちに眠ってしまい、部屋で意識があるのは俺しかいない。
では椎名えりはどうしているのかというと……。
「お粥を作って来たわよ」
我が家のキッチンで夕夏梨が食べるお粥を作ってもらっていた。
彼女は部屋の中に入ると茶碗とスプーンが乗ったおぼんを部屋にある小さなテーブルへと静かに置く。
「色々とすまないな」
「良いわよ、これくらい。ついでに早坂君の分も用意したから後でどうぞ」
椎名えりはそれからキッチンの後片付けがあるとすぐに部屋を出ていく。
昨日の買い物といい、今日の看病といい本当に彼女には頭が上がらなくなってしまった。
そう思うと同時に何も出来ない自分がとても情けなく思えてくる。
「本当に駄目だな、俺は」
自然と口から漏れたその言葉は小さな声ながらも静かな部屋の中ではしっかりと響く。
そんな俺の言葉に誰かが返事をした。
「お兄ちゃんは駄目なんかじゃないよ」
今部屋にいるのは俺と夕夏梨のみ。
となればこの声は夕夏梨のものだろう。
俺は夕夏梨へと視線を向ける。
「起きてたのか」
案の定、夕夏梨は目を覚ましていた。
顔の赤みが引いているところを見るとどうやら熱は下がっているようだ。
「お兄ちゃんは駄目なんかじゃない」
「そんなことはないだろ。俺は何もしてない」
俺は夕夏梨の額に乗るタオルを交換しながらそう返すが夕夏梨は寝たまま首を横に振る。
「違う、お兄ちゃんはずっと一緒にいてくれた」
夕夏梨の顔は再び赤くなるがそれが熱のせいでないことはすぐに分かった。
かくいう俺も少し恥ずかしい。
「そうか」
「うん」
突然生まれた奇妙な空気を払拭するため俺は椎名えりが持ってきたお粥を夕夏梨に勧める。
「椎名が作ってくれたんだ。食べれるか?」
「うん、食べる」
俺の言葉で夕夏梨はゆっくりベッドから起き上がると大きく口を開ける。
そんな夕夏梨の行動に俺はどういうことなんだと、彼女に疑問の視線を送った。
「食べさせてってことだよ。分かんないかな、まったくもう」
「お、おう」
そう言う夕夏梨は顔を真っ赤にしたまま俺から視線を逸らす。
まさか夕夏梨からそういうことをねだってくるとは思いもしなかった。
「じゃあ行くぞ」
ともかく今の夕夏梨の頼みを無下にすることなど出来ない。
例え熱が下がっているとはいえまだ病人、完全に治ったわけではないのだ。
病人である妹の我が儘を聞いてやらない兄など兄とは言えない。
少し恥ずかしいがここにいるのは俺と夕夏梨だけだ。
それなら何も問題ない。
「ほら、あーん」
俺は自分の顔が赤くなるのを感じながらスプーンを夕夏梨の口へと近づける。
「あーん」
対する夕夏梨も先程より顔を赤くさせながら徐々にスプーンへと近づいていく。
後もう少しでスプーンが夕夏梨の口の中に入る……といったところで突然部屋の扉がノックされた。
「お邪魔するわよ」
出ていくのも突然であれば、入ってくるのも突然。
ノックされた直後開いた扉にスプーンを差し出した俺と口を開いた夕夏梨は反応出来ずそのまま固まる。
それからはなるがままだ。
「中々面白いことしてるわね」
ノックをして部屋に入ってきたのは椎名えり。
彼女は俺達を見るや否やそんな言葉を投げ掛けてきた。
ここは恥ずかしさに耐えて『あーん』を完遂しきるのが正解なのだろうが彼女の言葉を受けた俺は焦って余計な一言を発してしまう。
「椎名も後であーんしようか?」
いくらテンパっていたからといってこれはない。
それは言葉を発した俺ですら分かることだった。
「もしかして早坂君にも熱があるのかしら?」
弁解しようにも椎名えりはもう本気で俺のことを心配し始めており俺の言葉に耳を貸してはくれない。
こうなってしまえば時は既に遅し。
気づけば俺は熱があることになっていた。
奇跡的にそれで先程の死にたくなるような恥ずかしい発言は不問となったのだが何故だろう、とても悲しい気分だった。
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