やりたいことは全部やる

七山月子

美術館に行ったら、何が変わるんだろう。

バンジージャンプで飛んだら、何が変わるんだろう。

インラインスケートをしたら、何が変わるんだろう。


やりたいことを並べて眺めて想像してみることで満足していた。


時間はどんどん過ぎて、全て達成できずまま私は25歳の誕生日を迎える。


「結婚しようよ」

付き合って3年の彼がそう言う。

「少し考えさせて」

と答えを濁したのは、彼との将来が不安とかそういうことじゃない。


木々が、揺れている。

秋晴れの風が少し冷たい。

公園のベンチに座ったら、犬の散歩できている男性がこちらに向かってくる。

なにかと見れば、彼の連れていた犬は盲導犬で、私はベンチを立った。

何事も発していないのに、彼にはわかったようで、

「ありがとう」

と言った。

「いえ、どうも」

私も曖昧に挨拶したら、

「今日はいい天気ですね」

と言った。

「ええ、雲ひとつない」

答えて、しまったと思った。盲目の彼に雲は見えないはずだ。

「それは良いですね」

しかし彼は笑った。

それで私は盲導犬を挟んでベンチの端に座り直す。

「夢って、あります? 」

私がきいた。

彼は、

「僕に夢はありません。なぜなら、やりたいことは全てやるからです」

と真面目な顔で言った。

「できないことが夢なのだとしたら、見る必要も追う必要もありません。できることしか、ひとはできないのですから」

続けてそう言った。

枯葉が風に吹かれて回遊している。広場を駆け回る子供が転んで泣き叫ぶ。盲導犬の濡れた鼻がかすかに揺れている。

「ありがとうございます」

見えない彼にお辞儀をした。彼もお辞儀を返す。

ベンチを離れて公園を出る。雲ひとつない秋晴れの高い空。

できない理由ばかり並べていた自分が情けなかった。

私は、家に帰って掃除を済ませたら美術館へ行く。

私は、あした起きたらバンジージャンプに出かける。

私は、インラインスケートで滑走する。

やりたいことは全部やる。

「結婚してみようかなあ」

呟いた声は、冬に向かう。

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