料理好きの王女


 マグダレーネと呼ばれた人物は、本当に母から見て曾祖母に当たるのだそうだ。俺からすれば高祖母になると教えてもらった。つまりは、祖父の祖母になる。


「えー!? じゃあ婆ちゃんは一体幾つなの!?」

「アタシをババァと呼ぶんじゃないよ」


 彼女が俺に向かって人差し指を向けると、ピンポン玉くらいの黒い球が飛んできた。サッと避ける。


「あぶねぇ」

「おや? 中々いい反応をするじゃないか」

「レオ、女性に向かって年齢を訊くものじゃないわよ」


 姉を背負った母に注意を受ける。前世でもそんな習慣があったような、そうでもないような? そもそも、女性に年齢を尋ねる機会なんてなかったか。


 俺と母、高祖母……マグダレーネは邸に向かって歩いていた。あの場を無茶苦茶にした張本人である、姉は気絶したまま意識を取り戻していない。後始末を警備隊とお手伝いさん達に任せて、帰る事になったのだ。


「しかし、この娘……エリザベートと言ったかい? あの魔力量は半端ないね」

「ええ、洗礼式での魔力水晶が耐えられない程ですので……」

「ほう? もしかして“才覚者”なのかい?」

「才覚者、ですか? 初めて聞く名称ですが……?」

「そうか……これも時代の流れなのかねぇ……」


 マグダレーネはどこか遠いところを見るように、空を見上げる。


「ねぇマグちゃん……」

「コ、コラ、レオ、キチンとマグダレーネ様と……」

「ハハハ、いいじゃないか、“マグちゃん”、可愛いし、愛嬌のある呼び名だ。なんだい? レオンハルト」

「うん、才覚者ってなに?」

「ああ、アタシとしたことが、一時でも感傷に浸るなんざらしくない……そうだね、才覚者ってのは、アタシ等のような凡庸ではなく、魔術の蘊奥うんのうとか神髄、本質を捉えることの出来る傑物さ。あんな玉っころに触れて漸く魔力を感じるのとは訳が違う。魔力症を終えた時から、既に魔力とは何かを感じ取っているだなんて聞きはしたがね。アタシが若い頃はこんな話は常識だったんだが、フロレンティアが知らないところを見ると、今では違う呼び方でもしているのかい?」

「いいえ、私の周囲では、そのような存在は話題に上ることはありませんでした。ただ、最近になってそのような存在がいるのを知りましたが。そういう意味ではこのは違いますね……」

「最近になって? ってことはやはり……」


 マグダレーネが興味深げに俺を見てくる。


「マグちゃんの若い頃って百年前?」


 そう問うと、彼女から黒い球が飛んでくる。既に予測していたので、簡単に躱せた。が、ガンッと額に新たな黒い球をぶつけられる。向こうも予測していたみたいだ。


「いって~」

「フン、まだまだ、だね。中々、頭が回るじゃないか、誤魔化すために話題を変えようとするとはね。そうかい、アンタかい、レオンハルト。アンタが才覚者なんだね」


 俺は吹けない口笛を吹くマネをしながら、視線を逸らす。どうにも、あのこちらを見透かしそうな目が苦手だ。


 邸に辿り着くとマーサが出迎えてくれた。


「まぁ! マグダレーネ様ではありませんか! お懐かしい……」

「久しぶりだね、マーサ。なんだいその腹は? 随分とまぁ太っちまって……」

「もう、息子も娘も立派に独り立ちしましたからね。齢のせいか、気の緩みからこうなってしまったのか……マグダレーネ様はあの頃からちっともお変わりなく……」

「マーサ、再会を喜ぶのは後で。今はこの子をお願い、それからお父様に連絡を……」

「あぁ、お嬢様はやはりこうなってしまわれましたか。大丈夫です、準備はできておりますから」


 そうしてマーサが次々とお手伝いさん達に指示を出し始め、矢庭に邸内が慌ただしくなる。俺は自室に戻ろうと階段に足を掛けると、背後から肩を掴まれる。


「つれないじゃないか、レオンハルト。アンタもこの邸の者なら、客人をもてなす位はやってもらわなくっちゃあね?」

「……ハ、ハハ……」


 そこからクルリと回れ右されて、両肩を押されながら、連れて行かれる。母に目で“助けて”と訴えるも、母は肩を竦め、軽く首を振る。……母に見捨てられてしまった。


 食堂に連れて行かれると、マグダレーネは俺の席が何処なのか尋ね、そのまま俺の隣に腰掛ける。そして、お手伝いさんに慣れた様子で冷たいものをと指示を出す。


 お手伝いさんは“この人だれ?”という表情をしていたが、口にはせず厨房へ向かった。

 勝手知ったる他人の家、を体現している人だなぁ……あ、いや、元々この邸で暮らしていたのか?


 お手伝いさんが戻ってくるまで特に会話も無く、マグダレーネは食堂内を見廻していた。どこか懐かしそうな風にしている、と見えるのは俺の気のせいだろうか?


 お手伝いさんが用意してくれたのは、ガラスのティーポットに入ったアイスティーと、レモン風味のミルクのシャーベットだった。


「ん~今まで、色んな所で食事をしてきたが、やっぱり子爵邸ここの料理が一番だね。ご先祖様と、この味を守ってきた料理人たちに感謝だ」

「料理人は分かるけど、ご先祖様に何の関係が?」

「なんだい? ご先祖様の偉業を知らないとは、アンタ、ホントに子爵邸ここの子かい? ああ、まだ洗礼前だったね……知らないのも無理はないか。いいかい――」


 そうして語ってくれたのは、この領を興した始祖とでも言うべき人物の話だった。


 今から数百年前の昔、王宮に一人の王女がいた。

 王女はそれはもう誰もが認める程の美しさを有していた。だが、武術、学術、魔術、全てに於いて劣っていて、誰も彼女を支持する者がいなかった。


 勿論、そんな王女の王位継承権は、他の兄弟、姉妹から比べ最下位だった。周囲の者は何処かへ嫁がされるだけの存在だろうと見ていたのだ。

 誰からも相手にされない王女は、いつの頃からか厨房に入り浸るようになっていた。


 ある日、王が王女に、料理などに現を抜かす暇があるのなら法の一つでも覚えろ、と命じた。


「これは異なことを仰る、王よ。法など時によって、歪み、廃れ、解釈の変わるもの。様々に移ろいゆく不確かなものを覚えて何とするのです。その点、料理とはこれ至極、単純にして明快。美味いか、不味いか、只それのみ。真理を司っているとは思われませぬか」

「戯言を。料理こそ一時のもの。胃の腑に落ちてしまえば何も残らぬ。真理などと大仰なものではない」


 王の言葉に、周囲の王族や大臣たちも頷くばかりだった。それを見た王女はその場を辞すると、やはり厨房へと向かった。その場に残った者達は皆、王女を悪し様に罵った。


 その日の晩餐にてそれは起こった。王が食事をする前に毒見役の者が一口、口にすると眉をしかめる。


「どうした? まさか毒でもあったか?」

「い、いえ毒はありませぬ。ただ、これを王が口にするのは如何なものかと……」


 はっきりしない毒見役に、痺れを切らせた王が、食事を口にする。


「何だこれは! 全く味がせぬではないか! 料理人を呼べ!」

「いいえ、それには及びませぬ、王よ。これは我が指示によるもの。先程、仰ったではないですか、料理など一時のもの、胃の腑に落ちてしまえば何も残らぬ、と。なれば、そのまま胃に収めてしまわれればよろしいかと。あの場にて王に同意なさった皆様にも同様の処理を施してあります。近頃は、塩はともかく胡椒などは高騰の気配。王族自らが進んで節制するのであれば、民も納得するというもの。おや? どうされました? 一向に食事が進まぬ様子。まさかとは思いますが、吐いた唾を飲み込むような、その様なみっともない真似をするとは仰いませんよね? その様な醜聞が知れ渡れば、王家の威光を貶めた王として、末代まで語られるでしょう」


 三日三晩その状態は続き、周囲の者が懇願したのもあり、結局は王が折れた。王女は自由気ままな生活を手に入れたという。


「――と、ここまでは他領でも語られる、貴族のみに伝わる逸話さ。この話から、上の立場に立つ者は不用意な発言はするなとか、物事の一面だけを見て判断するな、なんて教えられるんだよ」

「ふーん、俺はまた、料理バカには逆らうなって意味かと思った」


 何と無く、領都で会ったお姫様を思い出した。彼女も美味しいお菓子に興味を持っていたな。


「ハハハ、ある意味そうかも知れないね。どんな組織でも調理担当は丁重に扱えって不文律があるくらいだ。そういうアンタは日々の料理に感謝しているかい?」

「う~ん、感謝している、とは言えないかもしれないけど、毎日、大変だろうなーとは思ってるよ? 大体、厨房に入っても追い出されちゃうんだよね、どんなことをしているのか見てみたいのに」

「フッ、アンタは洗礼前とは言え、貴族の子だ。そういう場に出入りするのは良くないのだと、これから教育されるのだろうさ。ま、アンタに出来るのは、今日の料理は美味かったとか、もう少し塩気が欲しかったとか、褒めたり、こうして欲しいという意見を使用人を通じて伝えてもらうことさ」

「うん、分かった。それで料理好きの王女様はどうしてうちの領に関わったの?」

「ああ、そうだったね。ここからはグローサー家のみに伝わる話だ」


 マグダレーネはアイスティーで喉を潤すと、続きを語ってくれた。


 ある時、王国内にある男爵領にて、魔獣の大量発生が起こった。

 男爵領は王都から随分離れていて、知らせが届いた時点で誰もが、男爵家や領民の生存は絶望的だろうと思った。それでも王家としては魔獣の対処を怠る訳にはいかず、騎士団の派遣が行われる事となった。


 しかし、大量の部隊を送り出すには、それなりの準備と時間が掛かる。この間にも、魔獣の被害が広がっているのは容易に予測できた。


 そんな中、料理好きの王女が手を挙げたのだ。自分が何とかすると。


 誰もが耳を疑った。武術も魔術も大した腕ではない王女に何が出来るのかと。しかし、王は以前の件があったので、好きにするとよい、と王女を送り出した。王女は数人の使用人だけを連れて旅立った。


 やがて、騎士団の出発準備が整い、魔獣の被害があった男爵領に辿り着くと、信じられない光景が広がっていた。

 右を見ても、左を見ても魔獣の死体があちこちに散乱していたのだ。その数は千にも万にも至ったという。


「――で、まぁいくつか滅んでしまった周囲の領も併せて、王女様が貰い受ける、と騎士団に宣言して追い返してしまったんだ。王としてもそれだけの功績を上げたのならばと、許さざるを得なかったのさ。それがこのグローサー子爵領の始まりと言われているんだよ。だから、この子爵領は他の子爵領と比べて、随分と大きな領地があるのさ」

「ほぇー、マグちゃんでも一人で、千とか万の魔獣を倒せるものなの?」

「ハッ、無理無理。子供のアンタの夢を壊すようだけど、こういう話はどんどん大げさになっていくものなのさ。本当に万もの魔獣がいたとは思えないね。何か凄い魔導具でも持っていたのか、王女の連れた使用人が凄かったのか……いや、それはないか。そんな実力があるのなら、近衛辺りにでも引き抜かれるだろうからね」

「近衛って?」

「王の直属の護衛さ。しかしまぁ、開祖の王女が相当の実力を隠し持っていたのは、事実だ。その内アンタも知るだろうがね。ま、おかげでアタシらは美味い飯にありつけるって訳さ」

「その内……? ああ……」


 この場にはお手伝いさんがいるので、マグダレーネに耳打ちする。内容は知らないが“秘伝”の事だろうと。


「フン、あのバカ孫はそんなことまでアンタに言っちまってるのかい。仕置きが必要かねぇ」


 グローサー家に伝わる“秘伝”は料理好きの王女がもたらしたものだった。元々、王家の秘密だったのだろうか?


 そうすると祖父の語っていた、王家が“秘伝”を知りたがっている、と推測していたのは外れているのかもしれない。或いは王家では何時しか伝承が途切れてしまったのだろうか?


 しかし、三十代に見える女性が、祖父を孫と呼んでいる、このパワーワードには違和感しかないな。あれ? 祖父の祖母といえば――


「あ、そうか、マグちゃんってあの人なのか!」

「なんだい? 突然」

「爺ちゃんがよく叱られたとか、投げ飛ばされたとか話していたんだけど、その人だったんだね」


 俺の勝手なイメージで、祖父の祖母だから皺くちゃの腰が曲がったお婆さんを思い浮かべていた。なのでマグダレーネと全然繋がっていなかったのだ。


「ほう? よく話していた? いったいどんな話だい?」

「あ、いや、あまりマグちゃんの話は聞いていないよ? 俺が聞いたのは――」


 そうして、祖父が怒られないよう出来るだけ言葉を選びながら、ポツリポツリと話をする。とはいえ、それ程多くのエピソードを聞いていた訳でもないので、内容は大した事ないが。


 それでもマグダレーネは、あぁそんな事もあったね、と何処か懐かしそうに頬を緩めるのだった。



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