花のブローチ
王女誘拐から随分と経った“夏の終わり”の季節。間もなく“秋の始まり”になるがまだまだ暑い、そんな日の午後。俺達は邸の近くにある大きな湖、ランヴィータ湖へ向かって歩いていた。
事件の時、お姫様に結構失礼な態度だった。王族から咎められるかもしれず、家族……特に領主である祖父に迷惑をかけるかも、と気を落としていた。
しかし、何故か誘拐事件があったとは知らされず、迷子になったお姫様をよく見つけた、と逆に褒められてしまった。
どうやらお姫様は、上手く誤魔化してくれたようだ。その上、報奨金まで用意してくれるとは……褒められるのは素直にうれしいが、いつ変身の事がバレるのかと思うと、不安の方が大きい。
そろそろ姉にでも相談した方がいいのだろうか?
「うへぇ、今日もあっついわねぇ」
「貴方が言い出したことでしょう? エリー。しっかり歩きなさい」
「はぁい……」
昨夜の食事中、俺が何気なく母に、姉への魔術指導の進捗具合はどんなものなのかと尋ねたのが、事の始まりになる。
「そうねぇ……順調、とは言い難いわねぇ」
「え? そうなんだ? 姉さんって才能ないの?」
「あるわよ! 私の才能、溢れまくりよ!」
「へぇ?」
「何よ、その生暖かい目は! いいわ、
「じゃあ、明日、ランヴィータ湖へ行こうよ。いいでしょ母さん」
「ハァ……全く、仕方ないわね。ただし、朝の訓練が終わってからよ?」
「うっ……」
「ほう? もしかして、既に属性魔術を使えるようになったのか?」
「そうよ、お爺様。ちょっとコツを掴めば、お茶を淹れるのより簡単だわ」
「フッ、お主も順調に皆と同じ道を辿っておるのう」
「???」
祖父の何やら意味深な発言に、どういう意味なのか尋ねてみたが、明日になれば分かる、とだけしか教えてくれず、今に至る。
貴族とは着飾るものらしいのだが、俺の出で立ちは、半袖に膝丈のズボンというラフなものだった。本当はいけないのだが、洗礼前なのでと許してもらっている。あの細かい事にこだわらない祖父でさえ、身だしなみはしっかり整えているのだ。
母は、腰まである淡い金髪を後頭部でまとめポニーテールにしている。薄い水色のドレスはノースリーブなのだが、二の腕まである長く白い手袋を着け、日傘まで差していた。
「母さんは、日焼けするのが嫌なの?」
「そうよ。昔から肌の白さと髪の長さ、それと姿勢の良さなんかで女性の美しさが見られるの。日焼けはある種の火傷の様なものだから、自身の魔力で癒せるけれど、肌がそういうものだと覚えてしまうと中々、元に戻らないのよ。だから、避けられる面倒は避けるの」
「なるほど」
この世界では、傷を負っても魔力で癒せる。欠損した手足でさえ、物凄く時間をかければ元に戻るらしい。ゲームの様に一瞬で癒せるわけではないが、自然治癒よりかは断然に早く治る。
過去、父が大怪我をした事があった。俺の感覚ではリハビリも含めて全治するのは半年から一年くらいかな? と思っていたのだが、二十日ほどで治ってしまったのだ。母の治療により、物凄い痛みを伴ったそうだが。
こう聞くと、医学が必要ないように思えるがそうではない。現代日本風に言えば、この世界の医師は内科ばかりになる。
風邪や急な発疹などに対して、処方箋を出すのが主な仕事だ。そして、もう一つ重要なのが、毒に対する知識を蓄えると言ったものがある。
毒を扱うので、現代日本の様に厳しい試験があり、更に身元がしっかりと証明されなければならない。この世界に於いても医師になるのは狭き門なのだ。
後に付いて来るお手伝いさん二人は、半袖のエプロンドレスに鍔の広い麦藁帽を被っている。対して護衛として付いて来る五人の警備隊は、簡素な鎧……胸当てと小手を着け武器も携えているので、玉のような汗をかいていた。
「レオ、貴方なんだか平気そうね? 暑さに強かったのかしら?」
姉は紺色のフレアスカートに、七分袖の白いゆったりしたシャツで、額にした汗をハンカチで拭きながら俺に問い掛けてくる。
「違うよ? 母さんの側にいると涼しいんだ」
「ハァ? どういうことよ……あっホントだわ!」
邸を出る時、母が俺の手を取ってきて、手を繋いだまま歩いていたのだ。どういう訳か母の側にいると、ひんやりとした空気が流れてきて、暑さを感じずにいた。
「フフ、昨日、属性魔術の基礎を覚えたばかりのエリーには、まだ無理かしらね」
「むむむ……」
「何がむむむだ」
「――!……フッ、懐かしい……」
お約束の返しをすると、姉は目を細めてほほ笑んだ。母は何を言っているのかと首を傾げていたが、所詮は子供同士の掛け合いとでも思ったのか、問い質す事は無かった。
「ヴィムも、そんなに汗をかくのなら、母さんみたいにやってみたら?」
以前、共に牧場に行った、緑の髪をした若手の警備隊員に問い掛ける。
「無茶言わないで下さいよ。氷の魔術は使えないし、仮に使えたとしてもこの炎天下でそんなマネをしたら魔力が尽きて、いざという時、仕事になりませんよ……」
「ふうん?」
真夏日に部屋でガンガンにエアコンを効かせると、電気代が高くつく。そういうイメージから余計に魔力を使うというのは分かる。
「どうして氷の魔術を使えないの? 練習しないの?」
「レオ、そんな残酷なことを言っちゃダメじゃない。彼はきっと氷の属性水晶が何の反応もしなかったのよ。私なんて反応どころか、壊れちゃったけどね? ククク……」
「クッソォ! どーせオレは風魔術しか使えませんよ! しかも大した威力のない……」
姉の方が残酷なんだが……あ~彼は、肩を落として落ち込んでしまった……悪気があったわけじゃないんだけど。
「レオ、エリー、大人を
「はぁい、お母様」
「ハッ、心得ました、フロレンティア様」
「ねぇ母さん、属性ってなんなの? 皆、好き勝手に火や水を出しているんじゃないの?」
「あら、もしかして魔術に興味が出てきたのかしら?」
「え? 興味がないわけじゃないけど?」
何故か、俺は魔術に興味が無いと思われている……?
「ふっふっふ、私が教えてあげましょう」
母を挟んで反対側にいる姉が得意気に教えてくれた。
「いーい、魔術ってのはね、“火・氷・風・土・雷・水”の六種類の属性から成り立っているの。このうちのどれが自分の適性なのか洗礼式で調べるわけ」
「六種類? それだけ?」
「ええ、そうだけど?」
何かが違う。勘とか直感だろうか、俺はそう感じた。俺が使う具現化の魔術は、その六種類に当てはめるには、しっくりこない気がしたのだ。
「あら? 結構、人が居るわね」
そう呟く姉の声に誘われて目をやると、陽光煌めく湖の近くに、三十人位の人が居た。それぞれ家族連れのようで、子供達が湖に向かって、色々な魔術を放っている。
前に、灰色ローブの人物が火の玉を湖に投げ込んでいた辺りだ。
ランヴィータ湖は結構大きな湖で、台形の様な形をしている。俺達のいる草原側が底辺で、対岸で森林の広がっている方が上辺になる。高さに当たる向こう岸までの距離は、正確には分からないが、五百メートルとか一キロはあるんじゃないだろうか。
魔物は、あの森林の更に奥に行ったところで出る。見晴らしもいいし、この辺りは大丈夫なのだろう。
「うわぁ、懐かしいなぁ……オレもよくここで魔術の練習をしたなぁ」
ヴィムが呟くと他の警備隊員達も頷いていた。
「領都にも訓練施設が幾つもあるのに、どうしてわざわざ、こんなところにまで来るのかしらね?」
「あぁ、成人間近の子に場所を譲るってのもあるんですが、やっぱりこの日差しの中で、湖に魔術をぶっ放すのは結構気持ちいいんですよ」
聞くところによると、平民の子供達は基本的に親の職業を引き継ぐ。十六で成人になるのだが、職人なら職人見習い、商人なら商人見習いとなる。幼い頃から親の仕事を手伝っているので、割とすんなりと仕事に馴染めるそうだ。
例外が、警備隊や魔獣討伐隊に入隊したい場合になる。親が警備隊でも、厳しい試験で合格しなければ、入隊出来ない。一応、日本での公務員みたいなものなので、領主から“士爵”という一代限りの爵位を与えられ、領の税収から俸給が支払われる。
そういうのを目指す子供達に、領都では“暗黙の了解”として場を譲ってあげる習慣があるのだとか。
これは、後年聞いた話だが、毎年行っている試験に落ちても、受け直しは何度でもできる。ただ、二十歳を超えても合格できない者は犯罪者に陥りやすい。下手に戦闘訓練を行ってきたせいで、ゴロツキやチンピラ、盗賊なんかになるのだそうだ。
どんな社会構造にも欠陥はあるらしい。
姉がお手伝いさんに命じて、湖に来ている人達を集めさせ始めた。
「お母様、お母様、ここに、こんな感じの大きさで台を作って欲しいの」
「何? 何をするつもりなのエリ―?」
「いいから、いいから、お願い。すぐ分かりますから」
「しょうのない子ねぇ」
母に何やらお願いした姉は、俺の手を引き周囲の人達から離れ、小声で話しかけてくる。
『レオ、アンタ、司会進行やんなさい』
「姉さん、日本語……」
『ネタバレ防止よ。今からすっごい魔術をぶっ放すから、アンタは観衆を煽りなさい』
『えぇ? なんで俺がそんなことを……大体、司会進行なんて無理だよ』
『バカねぇ……お母様や、使用人なんて、テレビも見たことないんだから、アンタしかいないじゃないの』
そう言われると、周囲の人でテレビ番組の司会進行役を知っているのは、俺と姉しかいないが……
『あ、それからスマホで撮影ヨロシクね。後で自分の勇姿を見返したいから』
『司会進行やって撮影とか、どうやってやるんだよ?』
『うん? 使用人にでもスマホを持たせればいいじゃない?』
『いや、どうやってスマホの説明を……』
するんだ? と言いかけた時、母が姉を呼ぶ。じゃあ頼んだわよ、とだけ言って姉は母の所へ行ってしまった。
洗礼式まで魔術は秘密にしておきたいのに、姉は俺が創り出すスマホをただの特殊能力だと思っている。かなり前に魔力を消費しているのだと言ったんだけどなぁ……
因みに、姉に初めてスマホを見せて以降、何の機能も無かったスマホをバカにしてきたので、ムキになって色々な機能をつけ足して姉を驚かせた事がある。
動画の撮影機能もその頃に創った。でも、結局は殆ど使いこなせていない。電化製品のない世界で、スマホなんて魔法の板だから誰にも見せられないんだよね。……あれ? 魔法のある世界だからおかしくはないのか?
……仕方がないので、俺は指先で摘まめる程の、小さな赤い“花”のブローチを具現化すると、そこに出来るだけ魔力を込めた。そして、人を集め終わったお手伝いさんの所へ向かい、一人にしゃがんで貰うと、被っている大きな麦藁帽に小さな“花”を付ける。
「まぁ! ありがとうございます、レオ様」
「レオ様、私には無いのですか?」
「え? 欲しいの?」
小さな女の子なら欲しがるかもしれないが、大の大人が欲しがるとは思いもしなかった。それでも、ズボンのポケットに手を入れて、探るように見せかけながら、今度は黄色の“花”を創り出す。それをもう一人のお手伝いさんに付けてあげると、喜ばれた。
俺は、出来るだけ麦藁帽を被ったままで、母が創り出した小さな土の舞台を見るように頼み込む。二人とも快く引き受けてくれた。そうしていると姉に呼ばれる。
「レオー! 早くなさい! こっちは何時でもいいわよー!」
「ちょっと待ってー! ヴィムー! こっちへー!」
母の側で護衛をしている警備隊員達の中から、緑の髪のヴィムを呼びつける。彼は駆け足でやって来た。
「なんですか、レオン様?」
俺は軽く顎をしゃくり、対象を示す。
「アレから、この二人を守って欲しいんだ」
「ああ、了解しました」
俺達がやって来た道のすぐ側に割と大きな木が生えている。その木陰に五人組の男達がいてこちらを窺っていた。
王太子達が帰った後も、王都の神殿から来た一部の者が残っていて、領都の神殿で寝泊まりしているそうだ。そして、どうも姉を付け回しているらしいというのが、警備隊の逆尾行で判明した。その情報を、子爵邸の全員で共有しているので、直ぐ分かってもらえた。
まだ、ストーカー対策法みたいなものは無く、何の罪も犯していないので捕まえるわけにはいかないのだ。
「レオ様、私たち二人、ヴィムに後れを取ることはありませんよ?」
「む?」
「まぁまぁ、そう言わずに。こういうのは男の役目だし、それにこれが切っ掛けで、恋の花が咲くかもしれないよ?」
「まぁ! 何処でその様な……でも、ヴィムは無いわよね?」
「ねぇ」
「なんだと、こっちだってなぁ……」
あらら、
「何やってたの?」
「例の人たちに気を付けるようにってね」
「ハァ、またいるのね……鬱陶しいわよねぇ」
「レオ、大まかにエリーに聞いたけれど、自分の名は明かさない様に。ここにいるのは領民ばかりだけど、貴方はまだ洗礼前なのだから。それから二人とも、あまり長い時間はもたないわよ?」
「すぐ終わります、お母様。レオ、頼んだわよ」
俺は、ハァと溜息を吐いて、土の舞台を見やる。高さは一メートル程。幅も奥行きも三メートル位だろうか。端の方に昇り降りしやすいように階段がある。が、それを無視して助走もつけず、地を蹴ると俺は舞台に飛び乗った。
まさか異世界に来て、タレントの真似事をする羽目になるとは思いもしなかった。
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