キリギリス


「いーーーやーーー!! ぜっっったいに、い・や・よ!! 王子と婚約なんて死んでも嫌!! 結婚なんて御免被るわ!! そんなことになったら家出してやる!!」


 突然、喚きだした姉に、大人達はお手伝いさんも含め、食事や給仕の手を止めて、皆ポカーンと口を開けていた。

 その理由は俺だけが知っている。恐らく悪役令嬢がどうとかいう奴だろう。それでも、これ程までに感情を荒ぶらせる姉は初めて見たので、俺も少し驚いている。


「そ、それで、王太子にはなんて答えたの? 姉さんは領主になる予定だから王子が婿に来るとか?」

「あ、そうよ! そうよね! 私、領主になるのだから、王子なんてお呼びじゃないわ!」

「う、うむ、エリーは領主候補じゃから、と向こうには伝えておいたが、そんなに嫌か?」

「当然よ! 王子なんて顔も見たくないわ!」

「エリー、貴方変わっているわね? 普通、貴方くらいの年頃だと王子様に憧れるのではなくて?」

「そんなのまやかしだって私は知ってるの!……大体、会ったことも無いのに婚約とか頭おかしいんじゃないの?」

「エリー、政略結婚とはそういうものだよ? しかし、王家側の意図が見えませんね……無税化はフローラが領主になってからの話ですし、王家と子爵家では格が違いすぎます。子爵家では王宮内に影響を与えることは出来ないでしょうし……王子自身も子爵領に来たくはないでしょう」


 父は腕を組んで考え込む。


「多分、エリーの魔力でしょう。気の早い話だけれど、エリーとの子をなした時、その内の一人を寄越せとでも言ってきそうよね」

「私は種馬かっての! 人を馬鹿にするにも程があるわ!」

「まぁまぁ、フローラが言っているのは可能性の一つだし、幾百もある貴族家の後継者の決め方なんて、王族も把握していないだろうからね、エリーが領主候補だとは思いもしなかったのかもしれない。それで、エリーとしては王子との婚約は結ばなくても構わないんだね?」

「モチロン!」

「ふむ、まぁそれでよかろう。明確な理由や理屈は思い浮かばんが、王家との婚約や婚姻は避けた方が良かろう。その方がグローサー家にとって良い結果になる、そんな気がするわい、儂の勘じゃがな。本人もこれだけ嫌がっとるのじゃし」

「ありがとう、お爺様」

「ただ、その王子、年齢は分からんがエリーと近しい年頃なのじゃろう? 学園で会う機会もあるじゃろうからのう。見目麗しい王子にコロッと絆されそうなのが一つの懸念じゃな、ククク……」


 姉を見つめながら何やら含み笑いを浮かべる祖父。


「ハン、私がただの『イケメン』に靡くものですか! あ、学園でお母様のように絡まれるかもしれないわ! お母様、早速、魔術の訓練を行いましょう!」

「イケメン……? エリー、貴方たまによく分からないことを言うわね?」

「顔だけが取り柄のつまらない男のことですわ。そんなことより訓練を……」

「ハイハイ、今日はもう遅いから、明日からね」

「え~」


 姉がブー垂れながらも、夕食の席は終わる。

 俺は“イケメン”ってそういう意味だったっけ? と思いながら自室へ戻る。


 ハンサムを二枚目と呼ぶのは何故だろう? 三枚目は面白い人、なら一枚目とか四枚目ってあるのだろうか? そんな取り留めも無い事を考えながら、文字の練習をしていると、珍しく祖父が部屋に訪れた。


「ほぉ、書き取りの練習か、感心、感心。むぅ随分低いな、子供用じゃからか」


 祖父は窮屈そうにソファに腰掛け、俺も道具を机に置いて向かいに座る。


「どうしたの? 爺ちゃんが来るなんて珍しいね」


 確か、祖父は俺が魔力症の時も様子を見に来なかった筈だ。眠っていた時に来たのかもしれないが、それ以外でも俺の部屋に来る事は無かった。別に祖父が冷たいとか冷酷だとかは思っていない。


 あの時は常に母が居たし、お手伝いさん達が作業しているところに、領主である祖父が来ると手が止まってしまうからだろう。そういう優しさもあるのだと思っている。


「うむ、レオン、お主に一つ伝えておくことがあってな……エリーの婚約の件、どう思った?」

「うーん……ちょっと意外かな?」

「意外?」

「うん、姉さんの意見が通ったから。でも、それで良かったのかもね」

「ほう?」


 貴族の家に生まれたのだから本人の意思に関係なく、政略結婚ってものはあるのだろうと思っていた。意外にも本人の意思が通ったが。


 仮に、姉と王家の者との婚姻がなったとする。

 子爵領の経済状況は知らないが、王家から潤沢な資金援助があるのかもしれない。けれど、そのパイプはいつまで続くのだろうか? 子や孫、その後の世代に移った時も変わらず続いているとは思えない。


 援助によって成り立っていた、事業や商売が軒並み破綻する可能性がある。そうなると、前の時代が良かった、なんて言い出す者も出てくるだろう。例え、援助を受ける前の時代に戻っただけだと伝えても、もうその時代を知らない者の方が多くなっていて、簡単には納得しないだろう。

 そう考えると、子爵領だけである程度の自立性を保つべきなんじゃないだろうか?


 そんな内容の事を拙く、訥々とつとつと語ってみた。


「成る程のう。エリーもそうじゃが、お主も中々に聡いのう。では、建前はそうするか」

「建前?」

「うむ、貴族には建前が大切じゃからな。儂の勘より遥かにマシな理由じゃ。ベルノルト達に任せるより、お主の意見を伝え参考にし、それらしい建前を作れそうじゃな」


 祖父はそれらしい理由を考えるよう、ベルノルト達に無茶振りするつもりだったらしい。


「断ったんじゃないの?」

「うむ、エリーは領主候補じゃからと断っておるよ。ただ、レオンの存在がバレた時、エリーを領主候補から外せとか、お主を寄越せとか言ってきそうじゃからな。断る理由は幾つあってもよい。それから先程の話で、儂が王家との婚約は何と無く避けたいと言ったのを覚えておるか?」

「うん」

「何と無く、というのは嘘でな。一つだけ思い当たる節がある。あの場にはディート含め大勢の者がいたから言えなんだ。グローサー家の正当な血筋を持つお主には伝えておこうと思ってな」

「父さんは仲間外れ?」

「うむ、ディートも元は他家の者じゃからな。将来はどうなるか分からんが、エリーが領主になった場合、つまりお主が領主にならなかった時は、この話はお主の子供たちに伝えてはならん」


 真剣な眼差しの祖父に睨まれ、俺はコクリと頷く。その様子を見た祖父はフッと表情を緩める。


「なぁに、そう難しい話ではない。グローサー家の一族のみに伝わる、秘伝があってな。儂やフローラの強さが他の者に比べ抜きん出ているのは、これによるところが大きい。その秘密を王家は明かしたいのかもしれん。そういう秘密は他家にもあるのじゃろうが……儂もフローラもちとやり過ぎたわい」

「ふぅん、それなら俺は聞かなくてもいいけど? 秘密を知る人は少ない方がバレ難いと思うし」


 俺には変身がある。秘伝がどの程度のものかは分からないが、何とかなるんじゃないだろうか?


「そうはいかん。一つはお主が正当な一族の者であるが故、エリーのみならず儂らに何かあった時の為に。もう一つは、ほれエリーはあの性格じゃろう? 恐らくこの先、星の数ほど敵を作ると思うてな。その上でそれとなく見守って欲しいのじゃ」

「あぁ、姉さんならそうなりそう……でも、立ち塞がるもの皆、全てを薙ぎ倒しそうな気もするけどね」

「ガハハハッ! まぁ神殿での祈りが面倒だというだけで、言葉のみで司祭たちをやり込めたそうじゃからな。らしいと言えばらしいが、あやつもおなごじゃ。気を使ってやれ」

「はーい」


 と、返事はしたものの、俺が姉を守るというのはイマイチ想像がつかないな。姉の起こす騒動に巻き込まれ、フレンドリーファイアを受けそうな気がする。


「ま、秘伝も魔術も儂との鍛錬も、全てはお主の洗礼式が終わってからじゃ。今頃、エリーもフローラから同じような話を聞いておるじゃろう。さてはて、エリーがやる気になったのはいいが、どうなることやら……」


 そういって、祖父は退室していった。


 祖父は洗礼式が終わってから、と言っていたが、身体強化も火や水を放つ魔術も、何と無く目処はついている。魔力を込めれば瞬発力や筋力は得られる、その延長線上に身体強化は当たるのだろう。火や水の魔術は具現化で簡単にできそうだ。


 ただ、一つ腑に落ちない事がある。誰も具現化の魔術を使っていない様な気がするのだ。こんなに便利なのに何故、使わないのだろうか?




 六日後、未だ王太子と神殿の者達は領都にいるらしい。そのせいで、俺は部屋に閉じ込められてイライラしていた。いつ王太子達が邸に訪れるのか分からないので、用心の為だ。


 王都まで馬車で何日もかかると聞いたが、仕事をしなくてもいいのだろうか? 魔導局の者は既に王都へと帰ったそうだが、王太子ともなると観光気分で遊んでいられるものらしい。


 俺の部屋で姉と昼食を一緒にとっている時、そんな話をすると、姉は面倒臭そうにお手伝いさん達に何やら指示し始める。


「全く、私は疲れているのだから少しは労いなさいよね」


 母との訓練で、大分疲れているのだそうだ。そもそもは、普段から訓練をさぼっていたから、今になって苦労している訳で。


「姉さんは『キリギリス』だね」

「うん? ああ、あの話……ハン、あの話『末路哀れは覚悟の上』そんな心構えで『キリギリス』が夏を楽しんでいたとしたら、アンタはどう思う?」

「へ……? えーと、潔い……とか?」

「そうね、腹を括るとか、開き直るとか、まぁそんな感じかしら。『アリ』の様に将来を見据えてコツコツやるのも大事かもしれないけれど、後先考えずに決断するのも大事なんじゃないかしら?」

「へえ~、じゃあ姉さんは大いなる決意を以てダラダラしていたんだ?」

「うぐ……」


 バシンと肩を叩かれる。


「痛いよ、姉さん」

「フン、レオの癖に生意気よ」


 そんな事をしていると、お手伝いさん達が戻ってきた。


「こんな生意気な弟に、気を利かせてあげる私ってなんて出来た姉なのかしら。ホラホラこれに着替えなさい」

「これって……」


 そうして、お手伝いさん達に着替えさせられる。普段着ている服とは違い、牧場で働いている子供達のような、なんだかごわごわしたみすぼらしい服装だった。


「それで、気分転換に領都へでも行ってきなさいな。私は疲れているから遠慮するけど」

「え?」

「分からない? お忍びよ、お・し・の・び」

「……でも、いいのかな?」


 近くにある牧場には時折連れられて行っていたが、領都には行った事が無い。俺の存在はバレない様にしなければならないのでは? と、戸惑っていると、姉は両の掌を上にあげ首を横に振る。


「私なんて今までに何度も行ってるわよ? 子爵家の子供だってバレなければいいだけじゃないの」

「えー!? どうして、今まで教えてくれなかったんだよ、姉さんだけズルい!」

「だって、アンタいつも、庭で走ったり飛び跳ねたりしているじゃない? 邪魔しちゃ悪いと思ってね?」

「むぐぅ、それでも、教えてくれれば俺だって……」

「男がグチグチ言わない。行きたくなければ、それでもいいのよ?」

「行く! 絶対に行くぜ!」

「素直でよろしい。護衛はつかないからそのつもりで。一緒に行く使用人の言うことはちゃんと聞く様に。後、拾い食いはしちゃダメよ?」

「俺は犬か!」


 そうして、邸の裏門……というよりかは通用口かな? に向かう。そこには二人の警備の人がいて、出入り口を見張っていた。


「おや? レオン様がお出かけとは珍しい。おい、ユッテ気を付けろよ?」

「分かってるわよ。アンタたちこそ、王都の者に侵入されないようちゃんと見張ってなさいよ」

「フン、言われるまでも無い。軟弱な王都の者なんかに出し抜かれるものか」


 ユッテと、警備の人達の会話が、意味不明だった。王都の人を警戒しているようだが、侵入してくるなんてあり得るのだろうか?

 よく分からないが、何と無く大人の事情かな、とそのままスルーしてしまった。


 ユッテと共に、通用口を抜けると、そこは雑木林になっていて、邸の高い壁に沿って細い道が続いていた。進んでいくと邸の壁を逸れ、牧場へと向かう道に出る。


 その道を少し進んでから右手へ曲がると、少しずつ道は大きくなり、やがて街道とでも呼べるような大きな道へと出た。


 丁度、四台の馬車と十数人の武装した護衛達が街道を進んでいるところだった。それをやり過ごし、馬車がやって来た方へと歩く。

 馬車が何台も並んで通れそうな広い道は、アスファルトではなく、剥き出しの地面だが、綺麗にならされしっかりと固められていた。


「意外と歩いてる人が少ないんだね?」

「今は昼時ですからね、朝夕なら多少増えます。それでも皆、馬や馬車での移動の方が多いですかね」

「へぇ、じゃあ俺達って目立つのかな?」

「大丈夫でしょう、案外、堂々としていればバレないものです。お嬢様なんて鼻歌交じりで通ってましたよ」


 肝が据わっている姉に感心しながら進んでいくと、やがて領都が見えてきた。



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