教育権
「ええ!? しかし、それは……」
「緑さんは真面目だなぁ。大丈夫だよ、失敗は報告しなけりゃ失敗じゃないんだから。それに女の人を乗せる為に馬を手に入れたいんでしょ? 報告しちゃうと給料が下がっちゃうかもよ?」
「緑じゃなく、ヴィムです。レオン様はまだ幼いですから、大人の事情が解ってないのでしょうが、今回の件はオレが責任を取らなければ……」
ううむ、中々頑固だなぁ。
俺が提案したのは、領主である祖父に本当の事を報告せず、俺は牧場でのんびり過ごしていたと虚偽の報告をする為、牧場の人達と口裏を合わせるよう協力を要請しようというものだった。
しかし、彼は生真面目なようで、この提案に渋っていた。正直は美徳だが、嘘も方便である。
何より、ここで彼を説得できないと俺が困ってしまう。過保護な母やマーサに知られてしまうと、益々外へ出る機会が減らされるのは想像に難くない。
なので、何とか彼を説得したいのだが……唸れ俺の脳細胞!
損得を示してみて駄目なら、人情に訴えてみるか?
「緑さんが爺ちゃんに報告すると、牧場の人たちがどんな目に合うか……管理責任を問われて何人も路頭に迷うかもしれないよ? 下手したら首を吊るなんてことも……」
「だから、ヴィムですって。うぅ……しかし……」
「あの少年だって病気の母を支えるため、やりたくもない仕事をしているのかもしれないし……緑さんのせいで薬代が払えず天涯孤独の身に陥るかもしれない……子供が一人で生きていくなんて大変だと思うけどなぁ」
「だから……ハァ、分かった、分かりましたよ……でも、彼等が正直に報告すると言うのなら諦めてくださいよ?」
「うん、それじゃあ少し急ごう」
「ハァ……」
牧場に着くと、祖父と挨拶を交わしていたヒゲモジャのおじさんが悪戯少年を伴って迎えてくれた。
「誠に申し訳ありませんでした、レオン様。エド、お前も頭を下げんか」
「……すみませんでした……」
と、少年が不承不承と言った感じで謝ってきた、土下座で。土下座って日本独自のものと思ってたけど、この世界にもあるんだなぁ。
「まぁいいさ。子供のやったことだし、俺もなんともなかったんだから。それよりも……」
俺は少年がやった事を祖父に報告しないように頼んでみた。少年は期待を込めた目でヒゲモジャおじさんを見つめるが、ヒゲモジャおじさんは首を横に振る。
「我らは領主様より特別な計らいによって生きております。その御方に虚偽の報告をするなど以ての外。この子には領主様より罰してもらわねばなりません」
ううむ、これはどうにも説得の仕様が思い浮かばないな……損得や人情ではなく義理に依っている訳だから。
この人達からすれば、今日初めてここに来た俺の言う事を聞く義理がない訳で……逆に言えば祖父の言う事なら、ある程度は融通が利くのだろう。
良い案も浮かばないまま休憩室に通された俺は、出されたお茶とクッキーを一口だけ齧ると疲れからか寝てしまっていた。目が覚めたのは祖父の大きな声が響いていたからだ。
「――小僧、お主が馬一頭の代金を稼ぐのに何年かかると思っておるのだ!? その軽率な行動でどれだけの者達に迷惑がかかるかわからんのか! この者達の苦労をお主の行動が水泡に帰すところだったんじゃぞ!」
「……グス、ごめんなさい」
暫く祖父の叱責が続いていたが、俺に関する事ではなく馬に対して行った事への叱責だった。俺よりも馬の方が大事だと言われているようで、僅かながらショックを覚える。
「レオン、帰るぞ」
少し不機嫌そうな祖父達と帰路につく。帰り際、厩舎の人達が見送ってくれたが、少年の姿はなかった。
「レオン、お主、厩舎の者に嘘の報告をするよう言ったそうじゃな?」
振り返って警備の若手に目をやると、サッと目を逸らされてしまった。
「こりゃ、何処を向いておる。儂が厩舎の者たちに非道い処分をすると思っていたそうじゃが、そんな狭量に見えるか? お主も馬も無事だったのじゃ、注意するだけで済むわい」
「ごめんなさい。でも、俺が無事でも馬に何かあったら許さないって感じだったけど?」
「まぁのう。馬に何かあれば貴重品への被害という理由で罰せねばならんが、お主は洗礼前じゃからな……何かあってもあの者達を罰するのは難しい。じゃからヴィムをお主の護衛に付けておったのじゃが、此度は任務失敗で減俸じゃな」
「ああ、やっぱり……」
若手の彼は頭を抱えていた。
「でも、爺ちゃんたちは馬に乗って遊んでたんでしょ? 彼だけ罰を受けるのは可哀想じゃない?」
そういうと警備のおじさんが、若手の彼の頭を叩いた。
「お前はどういう説明をしているんだ?……レオン様、我々は遊んでいた訳ではありません。魔獣の発見に勤しんでいたのですよ」
「うむ、狼型の魔獣でな、随分前から捜索しておるのじゃが、なかなか見つからんでな……」
「狼型の魔獣?」
「ああ、お主にはまだ狼が分からんか。ま、そういう魔獣がおるんじゃ。こいつに巡回の者、数名が負傷させられてな、大きな被害が出る前になんとかしたいのじゃが……」
「狡猾な奴のようで、こちらが大人数だと姿を表しません。また厄介なのが、見えない風の魔術を使ってくるそうで、手を焼いているのです」
「へ、へぇ……」
なんか滅茶苦茶、心当たりがあるのだが……風の魔術というのはあの空気が揺らめく魔術だろうか? 嫌な汗が背中から流れる気がした。
「風の魔術は威力はそうでもないが、見難い場合が多くてな。特に夜間だと見極めが難しい。慣れていない者だと手子摺るじゃろう。そう思って西の魔獣をフローラに任せたのじゃが、巡り合わせが悪いのか全く遭遇せんでなぁ」
「ふ、ふうん。あ、案外もう何処かへ行っちゃったのかもね?」
「そうかのう、それならいいのじゃが……」
アイツ、強かったもんなぁ。なんとか勝てたからいいものの、変身の実験相手には役不足だったのか。
そんな会話をしながら邸に着くと、門番の人が祖父に報告してきた。
「おかえりなさいませ。領主様、フロレンティア様とディートヘルム様がお戻りになっておられます」
「そうか」
玄関ホールに入ると、腕を組んだ母が待っていた。普段のドレス姿では無く、長い金の髪を結い上げ、ズボンにブーツ、腰には細身の剣を佩いていた。
傍らにマーサがいて、何となく良くない感じがしたのでこっそり部屋へ戻ろうとしたのだが……
「
「うむ、御苦労じゃった」
「では、
そういって母はスタスタと歩いて行き、俺と祖父は互いに顔を見合わせついていく。
革張りのソファに低いテーブル、使われていない暖炉の上に木彫りの虎の背から翼が生えた動物? の置物、大きな窓のカーテンは開け放たれていて、庭の様子が見える。壁には一枚だけ何処かの建物の風景画が飾ってあった。
ここは滅多に使われない応接室で、お手伝いさん達から入らないようによく注意されていた。
「レオ、魔力症が治まって元気になったのね。良かったわ」
「う、うん」
「で、私がいない間、何度か食事をしなかったそうね? マーサたちが揺り動かしても全く起きてこなかったと聞きました。お父様、これはどういう理由です?」
「うむ、此奴は既に魔力の扱いを覚えているようでな、恐らく部分的な身体強化ができるようじゃ。なかなか素早いので儂も気を抜けんわい、今から鍛えればきっと立派な……」
ダン! とテーブルを叩いた母が会話を止める。
「私が訊いてるのは、何故、翌日食事ができなくなるまで疲れさせたのかを尋ねているのです! 分かってるのですか!? 幼い子が食事を抜いて、健康に育つのですか!?」
「い、いや、まぁ……一食くらい抜いても大丈夫じゃろ?」
祖父も俺と同じ事を考えてるなぁ、と思ったら再びダン! とテーブルが叩かれた。
「話になりません! いいですか! 今後一切、お父様とレオは一緒に庭で訓練してはなりません!」
「え?」
「い、いや、しかしな、魔術を十全に使えるようになるには……」
「身体を鍛えるのに、健康を損なうと言うのですか!? それでは、本末転倒です!」
こ、これはマズい……普段、温厚な母がこれ程、怒りを表すとは……激昂してる人に正論は通じないが、その正論さえ思い浮かばない。
「じゃが、領主として使える戦力を育てておくというのも……」
「この子の教育権は親である私にあります。領主であっても、たとえ王でも、神でも、何人たりとも口出しはさせません。そういって、嫌がる私を鍛えてきたお父様には良く分かっておられる筈ですが?」
「う、うむ……」
こりゃ駄目だ。激昂している方に諭されてしまった。
ふうむ、教育権は親にある、か。そういえば教育権を持つもう一人の親、父はどうしたのだろう?
「ねぇ母さん、父さんはどうしたの? こういう話をするのなら、父さんも居た方がいいんじゃないの?」
「お、そうじゃ、ディートはどうした?」
「あの人は……」
そうして、眉尻を下げた母は、ソファに身をうずめるのだった。
早めの夕食を終えた俺は、父の部屋をノックする。
「どうぞ」
部屋に入ると父はベッドの上で寝ていた。頭に包帯を巻き、右腕を首から三角巾で吊るし、クッションをうず高く積んだ上に左足を置いている。
母の話では、魔獣討伐の際、後方で待機しているはずの父が討伐部隊の誰かを庇う為、突然飛び出してきて、魔獣の体当たりを食らってしまったそうだ。
「レオン、魔力症は終わったんだね」
「うん、今度は父さんが寝たきりだね」
「はは、面目ない。僕には魔獣の討伐なんて向いてないのだろうなぁ。皆が戦っている様子を見ていると、張り詰めた空気感や緊張感からか、自分も何かしなきゃって思ってしまって、気が付いたら飛び出していたよ。結果、この有様さ」
「それでも、誰かを庇う為に飛び出すなんてなかなか出来ないよ。俺はカッコイイと思うよ?」
「そんな風に言ってくれたのは、レオンが初めてだよ。部隊の皆からは責められて、ヘコんでいたんだ。ありがとう、少し元気が出たよ」
そういって父は微笑んだ。少し機嫌が良くなったかな、と思い俺は母の件を切り出してみた。
「……という訳なんだ。爺ちゃんと遊ぶのが一番楽しいんだけど、禁止されちゃって……なんとかならないかな?」
「流石はグローサー家といったところか……環境よりも血筋なのかな……あ、いや、こっちの話。うーん、母さんの意見を変えるのはチョット難しいかなぁ」
「えー? どうして? 父さんにも教育権があるんでしょ?」
「そうだねぇ、貴族の子供は基本的に外に出て他の子、例えば平民の子たちと遊ぶなんてできないから、退屈なのは分かるんだ。それでも僕はアイゼンシュミット家の四男だったから、兄弟達と一緒になって遊べた。そういう意味では、僕は恵まれていたのだね。レオンの場合はエリーしか居ない訳だけど、あの子は女の子だ。余り派手に動き回るのは好まないんじゃないかな?」
今朝、軽い運動をしていた時、祖父が現れた途端、嫌そうな顔をしていた姉を思い出す。
「うん、そうかも」
「あの子の魔力症が終わった後もそうだったけど、今でもやっぱり運動は好きじゃないんだね。そうなると、レオンと遊ぶのは身近な大人たちになってくる……ああ、そうか、貴族の子が早熟なのはそのせいか、子を持って初めて分かることがあるのだなぁ……と、ごめんごめん。そこで問題になってくるのが、君が既に魔力の扱い方を覚えているという点だ」
「え?」
「いいかい、幼い君に言っても分からないかもしれない。それでも敢えて伝えておくね。本気になった君に、恐らく僕は敵わないだろう。僕だけならいいんだ、僕は弱いからね。問題は警備隊や討伐隊の中にもそういう者が、遠からず現れると予測できること。彼等は厳しい訓練や鍛錬を経ているから、自信を持って切った張ったの場に赴けるんだ。それが、君のような幼い子に負けるようであれば……くだらないかもしれないけど、誇りとか矜持、意地なんてものは案外、馬鹿にできないんだよ」
「要は気の持ちよう、自信があるから身体を張れるってこと?」
父は眉をピクリと上げて、感心したように言う。
「レオンも、エリーと同じで理解が早いなぁ。まぁそういう意味で、僕の意見はフローラ……母さんの意見に輪を掛けて、大人たちの前でも魔力を使って欲しくないなぁとなるんだけど……」
「ええー!?」
「フフ、それでは余りにも君にとって窮屈すぎるだろうから、僕の意見は母さんと同じ、ということにしておこうか」
ホッと胸をなでおろす。環境を改善しようとしたら改悪されるところだった。
「それと、母さんの心配も分かってあげて欲しいんだ」
「……もしかして、ハルトムートって人と関係ある?」
「何処でその名を?」
父は思いもしなかった事を聞かれたのか、眼を見開く。
「爺ちゃんがチラッと言ってたけど、どんな人なのかは知らないよ?」
「……まぁいずれ知るだろうからね。そうか、もう三年も経つのだなぁ。レオンはまだ赤子だったから覚えていないだろうけど、彼は僕とフローラの第一子。魔力症の折に風邪を拗らせて亡くなった、君とエリーの兄にあたる者だよ……あの時の彼女の取り乱しようは、とても言葉だけで伝えられるものじゃない。だから、彼女はエリーも君も魔力症になった時、仕事を放り出して全力で看病していたのさ」
ああ、医師が言っていたな。魔力症と一緒に他の病気に罹る事で多くの者が亡くなったって。身近にそういう存在がいたのか……
ふと、前世の家族を思い出す。俺が死んだ事で悲しんだろうか……もう二度と会えないけど、クリスタルの加護によって長く健康に生きてくれればいいな……
今世でも、俺は家族に迷惑をかけているのだな……
そう思うと、ハァとため息が零れた。
健康な身体、魔力や具現化で俺は浮かれていた。母の件はこの際、これ以上とやかく言うのはやめよう。あまり家族に心配かけないようにしなければ……
そしていつの日にか、誰はばかる事のない変身ヒーローになるのだ。
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