第43話 権利

 竹千代と春目、食えない二人に手玉に取られたような気分になった小熊は、ここに来た理由を思い出した。

「あんたに話がある」

 分解清掃を終えたダイバーズウォッチを、慎重な手つきでチュードルの紋章があじらわれた箱に仕舞った竹千代は、キズ見ルーペや精密ドライバー等の工具を片付けながら答える。

「今日は色々とやらなくてはならない事があってね。作業をしながらで済まないが」

 それだけ言うと竹千代は立ち上がり、小部屋を出る。相変わらず筋肉を使っていないかのような動き。こういう所作は相応の筋肉が無いと出来ない事は知っているが、小熊が見た限り何かのスポーツをやっているようにも見えない。あるいは、身体能力の高さに応じ得点を得るスポーツより、もっと大切なものを奪い合う場で養った物なのかもしれない。


 竹千代に付き従って部屋を出た小熊は、後ろからついてくる春目が小部屋の灯りを消し、ドアを閉める前に室内を素早く見まわした。置かれている工具を見れば、ここが何をする部屋なのか察しはつく積もりだったが、ただ時計いじりをするだけの部屋でない事しかわからない。精密機械の整備をする場にも、工芸品の製造や修復を行う場にも、歯科の技工室にも見える。

 外に出るため、暗い大部屋を通り抜けた時、初めて部屋の隅でペイジが眠っていた事に気づく。ジムニーに乗っていない時は死んだような時間を過ごしているような女からは、寝息も聞こえないし体温すら感じられない。


 小熊は自分がカブに乗る理由を、生活を豊かにするためだと思っている。もし満たされた暮らしをしていれば、カブから引き離されても、こんな抜け殻のような姿にはならないだろうが、ペイジの姿に人間こうなりたくないと思わされるような嫌悪感は無かった。反面教師というより、自分とは別方向の理想形にすら見える。

 きっといつか三途の川を渡り、閻魔大王に生前何をしていたのか尋ねられた時、ただジムニーと答えるであろう、純粋なる時間を過ごしている女。知り合いに車やバイクが好きな人間が数多く居る小熊は、その幸せな時間は人生の中でそう長くない事を知っていた。己の全てを費やした時間はいつか終わる。ならばその宝石のような時間を、出来るだけ長く見ていたい。ペイジは小熊にそう思わせる人間だった。


 小熊と春目がプレハブの部室を出た後、既に外に居た竹千代がアルミの引き戸を閉める。人の世で生きていくには綺麗すぎる存在を、人に混じり汚れないよう大切にしまい込むように、市販のアルミサッシとは別物らしい分厚い引き戸を丁寧に施錠している。先ほどこの扉を開けた春目と同じく、壁の傷に隠された何かのスイッチを押していた。

 プレハブの鉄階段を下りながら、小熊は竹千代に話しかけた。

「今日ここに来たのは、春目が持ってきた分け前の話だ」

 上級生への話し方として穏当さを欠いていると思ったが、もうその口調が馴染んでしまっていて、竹千代も春目さえも気にしている様子は無い。


 鉄階段を降りた竹千代は、プレハブ一階の入り口前に立った。小動物のように小熊の横をすりぬけた春目が、ポケットから取り出した鍵を使って開錠する。

 二階と同じようなアルミサッシは、引き戸も鍵も二階より単純なごく普通の市販品だった。春目に鍵を開けさせた竹千代は、室内に入りながら小熊の言葉に返答する。

「分配に不満があるのかい? 活動で得た利益は労力に係わらず等分に受け取るのが我がサークルの決まりなんだがね」

 竹千代の言葉に、関東の言葉とは少し異なる遠州弁に近い発音が微かに聞き取れた事に気づいた小熊は、竹千代についてプレハブ一階に入りながら答える。

「わたしはその金を受け取る理由も意思も無い。そう言おうと思ってここまで来た」


 竹千代は様々な不用品が雑然と並べられたプレハブの隅にある、これもまたどこかから拾ってきたようなガラスケースを開け、チュードルの時計を置いた。

 ケース内には他にも高価そうな腕時計や宝飾品、筆記具や喫煙具などが並んでいる。何やら大手リサイクルショップで見かける高級品専用ショーケースのような外見だが、中古屋にありがちな、元の持ち主から見捨てられた物特有の寂寥感は無い、どちらかというと朽ち果てる運命だった物に再び命が与えられ、誰かの手に渡るのを待っているかのような高揚を感じ取れる。

 竹千代はショーケースの下段にある引き出しを開けた。その中に入っているのは修理前の物らしく、表面の破損や劣化を見るまでもなく、物が発する雰囲気で、だれかの手で救われるのを待っていることがわかる。

 小熊も趣味でバイクに乗っていると、そういう物をよく見かける。ショップの裏に置いてある下取り車や一般家庭の物置きに放置されたバイク。小熊が以前乗っていたカブもその一台だった。


 次の修理品を探していたらしき竹千代は、二十号ほどの小さな油彩画を取り出しながら小熊の言葉に答える。

「世の中は金や物を欲しがる人間で一杯だ。それなのに君が正当な報酬を受け取ってくれない理由を聞かせて貰えるだろうか?」

 小熊はプレハブの中を見回した。ガラスケースの中ほど片付いていない室内を、春目がせっせと片付けている。

「金を受け取ればどうあっても人間関係が発生する。私にとってあんたは危険な人間だ。少々の金で私の生活に不確定な要素を持ち込みたくない」


 春目がプレハブの中で無駄に場所を取っていた家具類を壁際に寄せている。力仕事に向いているとは思えない体格で無理して箪笥を運ぼうとしている。小熊は他人に上から命令、指示する人間を好まないが、それより嫌悪し、恐れているのは、何一つ命じる事なく人を動かす人間。たとえば今、自分に向かって何か意味のあるような事を言っている奴のような。

「小熊君のそういう慎重なところを私は敬愛している。しかしながら、私にとって義理を欠く事は何よりも耐え難い恥辱である事も理解して貰えるだろうか? 私を誰かが本来享けるべき利益を自らの懐に仕舞う下劣な人間にしないで欲しいと、切に願う」

 小熊は春目が一人で持ち上げようとしている箪笥に手をかけた。自分の力を見誤り、出来ない事をしようとしている人間を助ける気など無い。ただ職人の丹精によって作られたらしき重厚な桐材の箪笥が、地面に引きずられ傷つけられるのが耐えられなかった。


 春目は箪笥の移動を終えた後も、小熊の事を憧れに似た眼差しで見つめている。もしかして彼女は、こんなふうに悪どい人間を信じてしまった結果、今のような貧相な姿になってしまったのかもしれない。

「ならばその金は受け取って、ここに捨てていく。きっとヤギか何かが食べてくれるだろう」

 そう言いながら小熊は、たった今箪笥を移動させた事によって空いたスペースを見た。家の取り壊し現場にでも行って分捕ってきたのか、箪笥の裏には建材が積んである。

「私は君が凡百の人間よりも金の重みという物を知っていると思っている。もっと有益な判断が出来ると」

 この底知れない女は一体自分の何を知っているのかと、薄ら寒い思いをした。この女から貰った金で買った物を、自分の身近に置きたくなかったが、ここから早々に立ち去り、竹千代の張る蜘蛛の糸のような罠から逃れるには、折衷の妥協案を出すしか無いと思った。

「もうちょっとマシな使い方をしろというなら、私はその金でここにある物を根こそぎ買い取りたい」


 小熊の提案がどこまで予想外でどれだけ想定内なのか。竹千代は微笑みを崩さぬまま愉快そうな声で答えた。

「我々を見くびって貰っては困るよ。この部屋にある物は全て我々が厳選した商品だ。小熊君への報酬は弾んだ積もりだが、このキスリングの少作さえ買えないだろう」

 竹千代がついさっきガラスケースの棚から取り出した、一面にミモザの花が描かれた油彩画を小熊に見せる。絵についてはよくわからないが、相応の値の張るものなんだろう。

「もちろん、こんなゴミ全部貰っても置き場所に困るだけ。だからこの中にある物を、いつでも漁り、あんたらの許可を得た物を持っていってもいい権利を買いたい」  

 春目が竹千代と小熊を交互に見る。二人のやりとりから次に出てくる言葉を楽しみにしているようにも、大物の魚がまんまと釣り上げられる様にほくそえんでるようにも見える。

「この部屋にある物は我がセッケンの共有資産だ。我々の仲間である君はすでに権限を有していると思っていたが、小熊君がそういう形で権利を得る事を望むなら、喜んでそうさせて貰おう」


 竹千代は指を鳴らす。すぐに春目が小熊に渡す予定だった現金の入った封筒を竹千代に差し出し、二階へと駆け上がっていった。戻って来た春目は二つの鍵と、何かの記号が書かれたプラスティックのタグを小熊に差し出す。

「これが一階の鍵で、こっちが二階の鍵と、防犯装置の解除キーです」

 一階のガラクタだけが目的だった小熊は、二階のキーとタグを返そうとしたが、竹千代に「念のためだ、持っていて欲しい」と押し付けられた。

 小熊は自分の掌の上にある鍵を眺めた。数万円の金と引き換えに、何かとんでもない物を受け取ってしまった気がする。今さら後悔しても遅いので、とりあえ小熊は、自分に衝動的な決断を促した物に手を触れた。 

 箪笥に隠されていた建材の一部。幅広で長さも百八十cmほどありそうな、分厚い檜材。

 小熊が欲しいと思っていた自作バーカウンター用の木。

 

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