第42話 小部屋

 プレハブ二階のセッケン部室には誰も居ないように見えた。

 春目が引き戸の入り口にある鍵穴に、小熊なら五分でピッキング開錠できそうな鍵を差して回し、やはり簡単に蹴破れそうなアルミサッシを開ける。

 暗い室内へと入っていく春目についていくように入室した小熊は引き戸を閉めたが、滑らかに動くアルミサッシが通常の住宅、事務所用の物より重い事に気づく。ガラスもかなり分厚い。

 そういえば春目は鍵を回す前、引き戸の横にあるただのプレハブ壁の傷にしか見えない箇所に無意識に触れ、何かを押したように見えた。どうやらこの部室は、小熊が思うほど守りが薄いわけでは無いらしい。


 土足禁止の部室で、小熊が革ショートブーツの紐を解いている間に部屋の灯りを点けた春目は、和室仕立ての居間のような部室を見まわした後、部屋の右手にあるドアをノックする。

 しばらくしてドアの奥から「どうぞ」という声が聞こえてきた。春目がそっとドアを開け、中へと入ったので、小熊も首だけ突っ込む。

 十二畳はありそうな和室に比べ狭苦しい小部屋は、作業のためのスペースのように見えた。木の机と椅子が置かれ、周囲にの壁には工具が掛けられている。小熊も色々と取り揃えているバイク整備より繊細な作業を行う場所である事は、壁に並ぶ工具を見ていればわかる。


 竹千代は入室してきた春目を見もせず、掌に乗るほど小さな機械をいじっていた。声をかけるべきか迷っている様子の春目に、手元の作業を続けながら言う。

「小熊くんは分配金を受け取ってくれたかな?」

 小熊はあやしい活動の分け前など貰う気は無い。それを直接伝えるためここに来たわけだが、竹千代が行っている作業に少し興味を持った。

「それは腕時計ですか?」


 キズミと呼ばれる片目に装着する拡大鏡で時計を見ながら、米粒どころか芥子粒ほどもないネジをピンセットで摘まんでいた竹千代は、外科医のような手つきで作業を続けながら小熊の問いに答える。

「チュードルの機械式時計でね。以前遺品整理の仕事を請け負った時に、処分品の中から見つけたんだ。修理に出さずとも分解掃除だけで蘇ると見込んだので、こうして手間暇かけて綺麗にしているところさ」

 小熊は竹千代の背後に歩み寄り、手元の時計を注視する。金やダイヤの馬鹿高価そうな代物じゃなく、ステンレス製のダイバーズウォッチで、文字盤には薔薇の花が描かれている。

「それをまた売り飛ばして金にする」


 作業を終えたらしく、腕時計全体を鹿の革で磨き上げていた竹千代は、小部屋の灯りを受けて鈍く輝くチュードルを眺めながら言った。

「私の手には余る物だからね。それを必要とする人間の手へと渡る手助けをしようと思っている。当然相応の報酬は貰うさ。優れた物が何の代償も無く手に入れられると思っている人間が持っていい物ではない」

 ならば素人整備などせず、プロに委ねればいいと思った小熊の気持ちを見透かすように、竹千代は言い添える。

「これでも私の仕事と手技を信頼してくれる人は少々居てね、私が直々にオーバーホールしたものならという条件付きで買い取りたいという話が、既に何件か来ている」


 小熊としてはわざわざ大学まで自転車を漕ぎ、腕時計の話をしに来たわけではない。とりあえず言うべき事を言って、こんな怪しいビジネスをしている連中から早々に手を引こうと思った。

「あんたが春目に持たせた分け前だけど。私は受け取る気が無い。それを直接伝えに来た」

 チュードルの腕時計をデスクの引き出しに仕舞った竹千代は、黒いワンピースドレスの上に着けたエプロンの埃を払いながら立ち上がる。落ち着かぬ様子で二人のやりとりを聞いていた春目を見た。

「春目君。私は君にも出来るであろう簡単な用を頼んだと思っていたのだが」


 春目は元より小さな体をさらに縮め、地面につきそうな勢いで頭を下げた。小熊はつい声を荒げる。

「もしうちに来たのがあんたなら、私はスパナ投げて追っ払っていたし、当然ここに来ていない。春目はあんたには出来ない事をした事を忘れるな」

 竹千代は小熊の言葉に、無言の微笑みで返答した。どこかで見たような笑顔。さほど興味も無いのに入った神社や寺社で、よくこんな顔をした奴が祀られている。

「済まない。春目君にはいつも感謝している。ただ、小熊君が冷淡で酷薄な人間なのか知りたくなってね」

「自分ではそう思っているけど? それが魅力的だっていう人も居る」


 春目が小熊の腕を掴みながら言った。

「そんな事無いです!小熊さんは私の自転車を直してくれて、それに、私がいやだと思う事をけっしてさせなかった」

 言葉の内容はともかく、不必要に体に触れられる事は好まない。手で振り払うより言葉で表現する事にした。

「それが私の利益になるのなら、私はいつだってあんたを煮えたぎる窯に蹴り落とす」

 言葉の意味を理解していないのか、春目は小熊の腕を離そうとしない。

 小熊をしっかりと捕まえた春目を見た竹千代はくすくすと笑った。先日春目が山の中で高価なモデルガンを見つけた時にも見た表情。

「春目君は拾い物が上手いんだ」

 

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