第六章『シルバーラビットの目的』

(1)

「何か、おかしいと思った。君、誰?」


 線の細い銀色の兎だった。

 年の頃はシュヴァルと同じぐらいか一つ二つ下。背は高い。銀色の兎の耳に銀色の髪。前髪が目にかかるほど長く肌は純白。銀色の睫毛が掛かる目は伏し目がち。ファーの付いた純白のロングコートから覗く手はウサギの手。


 まるで自ら発光しているかのように白く輝くシルバーラビットが、何一つ感情を浮かべない顔で、何一つ感情の籠らない淡々とした声で、何一つ感情も宿さない凍てついた湖面の色――青銀色の瞳をアインに向けて立っていた。


 アインは――何も答えられなかった。

 自分がいつ、シルバーラビットへと振り返ったのか分からなかった。

 ただ、アインの歩幅で五歩の位置にいるシルバーラビットを見て、初めて見るシルバーラビットを見て、何故かアインは既視感を覚え、胸がざわついた。


「あいつは、どこ?」


 小首を傾げて言葉を向けられ、咄嗟にアインは理解が出来なかった。


「あいつは、どこ?」


 近づくこともなく、ゆったりとした同じ口調で問い掛けられる。


「あいつって、誰?」


 辛うじて問い返すことが出来た。ともすれば、後ずさりしそうになる自分を必死に留める。

 シルバーラビットは何もしていない。それでもアインは寒気が治まらなかった。

 ハイネスに至っては、一度は自ら進んでシルバーラビットについて来たくせに、今は顔を強張らせて硬直していた。


「あいつは……誰?」


 鸚鵡返しが返って来る。


「あいつは……誰、だったんだろう……。どうして、いなくなったんだろう」


 言葉とは裏腹に、何も感情の浮かばない顔からは、声からは、執着心など欠片も感じ取ることが出来なかった。


「でも、いい。別に、いい。いないなら、いなくて、いい。どうせ、違ったから」

「何が?」

「違った。また、違った。だから、いい。別に、いい。僕は、独り。また、独り。君は、誰?」

「わ、たしは、ハンターよ」

「ハンターって、何?」

「妖魔を倒せる人間よ」

「妖魔って、何?」

「あなたたちのように人間に仇なす者たちの事よ」

「人間に……仇を、なす?」


 意味が分かっていないようだった。


「だったら、僕には、関係ない」


 ある意味、衝撃的な発言だった。

 人形の墓場の、人間の成れの果てを思い出す。

 シュヴァルに打ち砕かれ、青い光となって消えて行ったマネキンたちを思い出す。

 消える直前、解放感に喜びを抱いていた魂の叫びを思い出す。

 あれだけの、数えることも恐ろしい人間の成れの果てを生み出しておきながら……いや、生み出すだけの人間を攫って来ておきながら、


「関係ない訳がない!」


 アインは怒鳴り返していた。

 シルバーラビットはゆっくりと瞬きをした。


「あれだけの人間たちを攫っておきながら、関係ないなんて言わせない!」


 アインはウサギの鞄の中から短銃を取り出して構えた。

 銃を構える手が震えてはいたが、狙いはしっかりとシルバーラビットの額に合わせていた。

 だが、


「何の話を、して、いるの?」


 突然シルバーラビットが一歩を踏み出した。

 思わずアインは後ずさりしていた。


「動かないで!」

「何故?」

「来ないで!」

「何故?」

「撃つわよ!」

「何故?」


 問われて、近づかれて、目の前に立たれて、アインは息が止まった。

 アインの頬に、シルバーラビットの手が添えられていた。


「……小さい……子供?」

「だったら、何?」


 声の震えを押さえるだけで精いっぱいだった。

 怖ろしく綺麗な妖魔だとアインは思った。

 触れれば壊れそうなほど繊細な妖魔だと思った。

 色がないせいかもしれない。どこか儚げな空気を纏っているからかもしれない。

 作り物めいた美しい顔を睨み付け、アインは気が付いた。

 目と鼻の先にありながら、シルバーラビットと視線が合っていないことに。

「どうして、子供が、ここに?」


 声は変わらず平坦極まりないが、内容を聞く限り疑問に思っているようだった。

 その間もシルバーラビットは、アインの顔を確かめるように、背格好を確かめるように、ウサギの手を這わせた。


(この妖魔は、眼が見えない?)


 と、アインが察したとき、シルバーラビットが膝を付き、突然アインを抱き寄せたから堪らない。

 アインは自分が凍らされたのかと思った。

 だが、


「あれ。でも……この、匂い……」


 首筋に顔を埋められ、においを嗅ぎ始められたなら――顔も体も関係なく嗅ぎ始められたなら、アインは急速解凍させられた。

 羞恥によって瞬時に体温が上昇。


「嫌!!」


 アインは力一杯シルバーラビットを突き飛ばした。

 シルバーラビットは素直に突き飛ばされた。

 伏し目がちだった目が軽く見張られていたが、やはりアインの目とはしっかりと交わらない。


「どうして、突き飛ばすの?」

「当たり前でしょ!」


 先程とは違う意味で鼓動が速まる音を聞きながら、叫ばずにはいられなかった。


「あんなこといきなりされたら、誰だってそうするわ!」

「でも、昔の君は、そう……しなかった。君も、僕に、そう……してた」

「は? 一体何の話?」

「やっと、見付けた」

「何を?」


 問う声が震えていた。

 シルバーラビットが笑っていたから。

 初めて見る表情の変化。

 それは、心臓を鷲掴みにされるほどに魅力的なふわりとした微笑みだった。

 目が離せないほどに魅了される微笑みだった。

 眼を細め、口角を少しだけ持ち上げたものにも拘らず、アインは自分の顔が赤く染まるのを自覚した。

 目が離せない。胸が苦しい。それなのに、


「君に、決まってる。やっと、見付けた」


 頭の中では先程までと変わらない平坦な口調だとは分かっていても、その顔を見ていると、声にまで若干の喜びを感じ取ってしまえば、シルバーラビットの特別な存在だと言われてしまえば、平静など装えるものではなかった。


「私が? どうして?」


 シルバーラビットが立ち上がる。

 見えていないはずなのに、ピタリとアインの前に立ち、アインの手を取り、顔を見下ろし、魅惑的な微笑みを浮かべたままに、答えた。


「だって、君が孤独を、望んで、いるから」


 舞い上がっていた気持ちに冷水を浴びせられたようなものだった。

 一気に現実に戻される。


「だって、そうじゃないと、おかしいもの」


 何が? とは問わなかった。


「僕を、孤独にした君が、孤独を、望まないなんて」


 どうしても、意味が分からなかった。


「何を、言っているの?」

「でも、いい。やっぱり君も、孤独になって、いてくれたから。

 そして、戻って、来て、くれたから。これからは、ずっと一緒だよ――シュヴァル」


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