(5)

「何だって?」


 口の中だけで呟いた言葉は、ハイネスには伝わっていなかった。

 だが、アインはようやく理解した。シュヴァルがアインに対して向けた言葉を。どれだけ救いを求めているのかと言った言葉を。ハイネスを通して理解した。

 アインはハイネスを見た。

 ハイネスは怯えたようにアインを見返した。


「あなたは――」


 アインは、絶対に自分は違うと否定しながら口にした。


「――救いを求めているのよ」

「は?」


 ハイネスの顔に訝しげなものが過ぎる。

 無理もないと素直にアインは認めた。


「理解出来ないのは仕方がないと思うし、認めたくないと思うのも頷けるわ。

 でも、あなたは孤独になりたいんじゃないのよ」

「じゃあ、何だって言うんだ?」

「孤独から、救って欲しいのよ」

「そんなはずは……」

「ないとは言わせないわ」

「ないはずだ!」


 意地になってハイネスが叫んで来た。

 アインは冷ややかな眼でハイネスを見下ろすと、


「あるのよ」


 殊更冷たい声で断言した。


「だからあそこにアレが現れた。あなたが本当に孤独を望むなら、どうしてあなたはあの光景を見て涙を流しているの? どうして冷ややかに見詰めないの? 憎しみを露わにしないの?」

「――っ!」

「あんな奴らと一緒に居たくないと言うのなら、普通は視界に入れるのも嫌がるものなのに、どうしてあなたは食い入るように見詰めて、そんなに苦しそうな顔をしているの?」

「そ、それは……」

「そして何より、どうしてここに来たの?」

「何?」

「だってここは『シルバーラビット』の『霧の館』なのよ」

「知ってるさ! ここは孤独な人間を連れて来てくれる」

「だから、おかしいと言っているの」

「どこがだ!」

「知らないの? 『シルバーラビットの歌』。歌にはこうあるわ。


《孤独を忘れた人間は戻らない 戻れない

 だってそこは幸せだから》


 ここは、孤独な人間に孤独を忘れさせて幸せにする場所なの」

「知ってるさ!」

「だったら、あなたはここにどんな幸せを求めてやって来たの?」


 冷ややかに問われ、ハイネスは息を呑んだ。

 言い返そうと口を開くも、言葉が出て来ないのか無音に終わる。

 代わりに口を吐いたのは、


「子供のお前に何が分かる!」


 説明と答えを放棄した拒絶だった。

 ハイネスを見下ろすアインの眼に冷たさが増す。


「どうして分からないと思うのかが分からないわ。

 もしかしてあなたは、子供の内は孤独なんてものを知ることなく生きて行けるものだと思っているの? だとしたら、それは大きな間違いだと指摘しておくわ」


 きっぱりと言い切られ、ハイネスは口を噤んだ。

 身に覚えがあるのか、納得してしまっただけかはアインには分からない。が、


「だから私は、責めはしない。

 だって、孤独な人間が望むのは、自分を肯定してくれる仲間と共に過ごすことだもの」

「違っ……」

「違うの? 本当に? 本当に望んでいないと自分に誓える?」


 畳み掛けるように言葉を連ねれば、ハイネスは唇を噛んだ。

 それが、答えだった。

 認めたい自分と認めたくない自分が激しく葛藤しているかのようだった。

 忌々し気に笑い声を上げる一角を睨み付けている。

 本来は自分が居たはずの場所を見て、ハイネスは拳を握る。


 アインは黙って様子を見ていた。

 ハイネスがどうするのか、どう結論を出すのか、少しだけ待ってみようと思っていたのだ。

 無理やり連れて行くのは骨が折れる。素直について来てくれればそれに越したことはない。

 ただ、『ハイネス』と共に和気藹々としているアトリエの人間たちを見て疑問が沸いていた。


 アイン自身が言ったように、あの光景はハイネスが望んでいるものだと思う。それはシュヴァルも言っていたことだ。シュヴァルが嘘を吐いていない限りは正しいはずだ。

 だとすれば、どうして幻の中に『ハイネス』自身もいるのか分からない。本当ならば、あの幻が現実のハイネスを囲んで孤独を忘れさせるはずなのではないのかと腑に落ちなかった。


 あれでは見せつけられているようなものだった。

 他の被害者たちは一体何を見て帰ることを拒んだのか、それを知るものは誰もいない。

 少なくとも、辛うじて連れ帰られた被害者の話では、望んだ世界で望んだ扱いを受けていたと、現実など忘れさるほどに楽しい時間を過ごせたと、言っていた。

 ならば、今目の前で繰り広げられている光景は何なのかと。


 本物を蔑ろにしている幻。

 これではどう見てもハイネスに孤独を思い知らせているのと変わらない。

 ここでまた、アインはシュヴァルの言葉を思い出していた。


――孤独を抱えた人間を救えるのは同じ人間でしかない。


どんなに自分が望んだところで、幻は幻でしかない。

それがどんなに現実味を帯びていたとしても、現実であるハイネスが騙されない限り、それはどこまで行っても偽物だった。偽物である以上ハイネスが幸福を得られることはない。偽りの幸福など虚しいだけだろう。


 だからか……と、アインは呟いていた。

(やっぱりハイネスは、本当に孤独を望んでいるわけじゃないんだわ)


 さもなければ、そんな現実などやって来るわけがないと確信しているから。

 どちらにしろ、本気で孤独を望む人間は誰とも接しないはずだし、危険な目に遭っている人間を見ても心を動かされることはない。

 だが、ハイネスはアインを心配した。殴り飛ばされたり蹴り飛ばされたり、斬り付けられたり投げられたり、体中に痣を作って、顔にまで痣を作って、その度にハイネスは声を張り上げて『もうやめろ』と訴えて来た。『もう帰れ』と叫んで来た。


 心の底から孤独を望む人間は、他人との接触を絶とうとする人間は、赤の他人がどうなろうとも眉一つ動かさず、見向きもしない。

 その点、ハイネスはまだ救いのある方なのかもしれない。

 いや、危険なのかもしれないと唐突に気が付いた。

 シュヴァルは言っていた、自分の居場所はここにないと気が付いた奴は『霧の館』をさ迷い歩き、最後には力尽きてあの部屋へ運ばれる。


 ゾッとした。

 今見下ろしているハイネスが、あの部屋で見た物言わぬマネキンと化し、無造作に積み上げられている様を想像して、アインは突然寒気を覚えた。

 何故かは分からない。分からないが、恐ろしいことのように思えた。


(こいつをシュヴァルに砕かれるわけにはいかない)


 そんなことになったらラチェットとの契約を果たせなくなる。

 焦ったアインは、ハイネスが答えを出す前に口を開いた。


「一緒に帰るわよ、ハイネス」

「え?」


 呆けた顔を向けられた。


「一緒に帰るの! ラチェットの所に!」


 腕を掴んで声を張り上げる。

 刹那、ハイネスの顔に動揺が走った。

 お陰でアインはハイネスの攻め所を見付けた。


「いい? あなたがこのままここに居残ったら、今度はラチェットがこの館にやって来ることになるわ。それでもいいの?」

「は? どうしてそんなことになるんだ? どうしてラチェットが?」

「当然よ。孤独を選んだあなたは良い。でも、残された人がどんな思いをしているか。

 特にラチェットって人が、他のメンバーと一緒に居てどうなっているか想像がつかないの?」

「!」


 ハイネスは今初めて気が付いたと言う顔をした。


「仲間の誰も引き連れないで、たった独りであなたの救出を依頼して来たのよ? その後アトリエで他のメンバーとラチェットがどうなるか、あなたは想像出来ないの? そこでもし、あなたと他のメンバーとの確執を知ったら、ラチェットがどう言う反応を示すか、あなたには解らないの? そうじゃなくとも、あなたの異変に気付いていながら何も出来なかったことを後悔していたラチェットがどうするか。自分を責めて、仲間を責めて、あなたを捜して霧の夜に外に出るかもしれない。『シルバーラビット』が現れなくても、一人でここまで辿り着くかもしれない。それでもあなたはいいの? 捜しに来たからと言ってあなたと絶対に会える保証なんてどこにもないのに。あなたはそれで、本当にいいの?」


 反論する暇も与えず矢継ぎ早に言葉を紡げば、ハイネスは事の重大さを理解したかのように眼を瞠り、明らかに動揺した。

 これでもう大丈夫だと、アインは確信した。


(現実世界のラチェットのことをここまで気にする人間が、この世界の幻を受け入れられるわけがない。だったら絶対に帰ると言うはず)


 アインは自信を持って促した。


「さあ、立って。ラチェットのことを切り捨てられないのなら、私と一緒に帰るのよ」


 ハイネスは、頷いた。

 その眼には強い意志が宿っていた。

 立ち上がったハイネス越しに、幻が消えるのを見る。

 さて、これで後は帰るだけとなり、アインはしっかりとハイネスの腕を掴んでシュヴァルの名を呼ぼうと口を開いた――ときだった。


「……君、何しているの?」


 弱弱しいくも、繊細な響きを持つ声が、アインの背後で上がった。

 氷の柱を背中に入れられたようだった。

 背後から心臓を鷲掴みされたようだった。

 息が止まった。

 掴んだハイネスが後ずさっていた。


 その視線はアインの背後を凝視して、冷や汗とも脂汗とも分からないものを流し、腰を抜かして崩折れる。

 故にアインは、振り返らずとも察してしまった。

 自分の後ろに立つ、冷気を放つ存在を――

 とうとう『シルバーラビット』本人が姿を現したのだと言うことを。

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