フロイト・ザ・バーバー

「今晩は、レギアス先生」


 帽子を脱ぎ会釈をするとレギアスは閉院間際の訪問者である私をどこか呆れた様な厭な顔で眺めた。医師という職業は公共福祉のため政府に手厚く保護されている。そのためどこか高慢な態度が表情や言動に染みついた者も多い。レギアスも多分に漏れずその類だ。


 そのような医師たちの集う帝都ロンドンの組合に於ける私の評価は、貧民街で診療所を営む得体の知れない変人フリーク。大体がこれだ。


 また、そういった都合で少なくない補助金を政府から頂戴していることも無関係ではないだろう。嫉んだり貶めたりと、忙しいのは結構なことだが。


 レギアスは彼の専門ではそれなりに権威に当たる。論文も拝読したが、興味深い内容だった。人のエゴと躁鬱の発症を絡めた仮説は、些か科学的というよりも哲学に近い内容ではあったが。


 レギアスの修めている心療内科なるものは、近年フロイトなる変人ギークのオカルトまがいの研究により『発明』されたものだ。


 吸血鬼ヴァンパイアである私に人間の科学である医療が通用するのかは未だに知れない。ましてや、心療内科が科学であるかどうかさえ専門書を紐解いてみても甚だ怪しいもので、私としても正直気休めに過ぎないと考えている。


 しかしそんな気休めに縋らざるを得ない程度に、やはり私は困窮者に違いなかった。


 診察台の前の椅子に私が腰かけるとレギアスは回転椅子を回してこちらに向き直った。


「クライドドクター、医者の不養生か?」


「…同じことわざを本日助手からも頂戴しました。診断は貧血ですか?レギアス先生」


 レギアスは私の軽口を鼻で笑った。


「確かにあんたは血の気が多そうには見えないな。…私の見立てではおそらく精神抑圧によるストレスだね」


 レギアスは棚から私のカルテを取り出すとパラパラとめくり出した。


「ストレス…ですか」


「どこかで女でも捨ててきたか??」


「え…」


 私はぎくりとした。表情に表れなかっただろうか。少しばかり自信が持てなかった。


「あんたはまだ若いし、それに色男だからな」


 レギアスが意味ありげににやりと笑ったのを見て、それが性質たちの悪い冗談だということに私はようやく気が付いた。私はほっとしている自分に気が付き、内心かぶりを振って自らに言い聞かせた。


 …クライド、何も心配することなどない。


 お前が犯したかような罪悪など、余人の想像に余ることなのだから


「例えばだが…罪の意識は精神抑圧の典型的な原因と言われている。あんたの過去に何があったかは私も知らないがね。教会で懺悔でもして来たらどうだい?…なんとなく危ういんだよな、あんたは。何か得体の知れない重圧に押しつぶされそうに見える」


 レギアスは淡々と喋り続ける。


 教会。私はその善意の皮肉に笑いそうになる。


「…お医者様からフロイト博士。…お次は神父様ですか?」


「…まあ、どれも似たようなものだな」


 レギアスは自嘲的な笑みを浮かべた。彼にしては気の利いた冗談だと思った。


「…軽めの鎮静剤を処方しておこう。適度な運動と栄養のある食事……ストレスのかかる環境はなるべく避けて夜は早めに眠ることだ」


 私は彼のいつもの説明を聞きながら目尻の皺をぼんやりと見つめた。彼も老いと日々の生活の重圧に疲弊した困窮者なのかも知れない。


「…あと、これは友人として言うんだがね。その神経質そうな笑顔はどうにかした方がいい。すこしばかり気味が悪い」


 私が引き攣るような笑いで誤魔化すのとほぼ同時に、これで終わりと言わんばかりにレギアスは椅子から立ちあがった。

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