三代目ときづち職人

 空が低くて、少し憂鬱な朝。

 こんな日は体も重く感じるから不思議だ。


「よう、三代目。寒いのに今日も精が出るねぇ」


 朝のランニングをしている私に声を掛けて来たのは、きづちを作る職人のおじさんだ。


 我々一族は多くの種族と同じくして、オスとメスの二種類がいる。

 見た目はあまり変わらないが、オスは力や素早さに秀で、メスは器用さや賢さに秀でており、職業の分担が明確に決まっていた。そこに例外はなかった。

 戦闘員が八割以上を占めるので、必然的にメスの個体数は少ない。

 戦闘に関わる職業にメスが就いた例は今までないし、このきづち職人だってそうだった。


「おじさんこそ、いつも朝が早いね。仕事立て込んでるの?」


「いや、今日はあんまりだけど、早起きがクセになっちまっててな。体にもガタが来てるし、少し動かしとかねえと」


 おじさんは、いかにも使い込まれたと分かるきづちを使って、様々なストレッチをしている。


 このきづち職人のおじさんには、うちの家系も大変お世話になっている。当然私がいま手にしているきづちも彼が作った物だ。

 きづちの日々のメンテナンスは自分でするのが基本中の基本。

 我々が持つきづちはマーレの木のみを原材料に作られている為、水分を含みやすいので、乾燥作業は必須。少しのひび割れやへこみはマーレの樹液で補修する。

 しかし、大きく欠けてしまった時などの修復作業は、彼のような職人に任せるしかない。

 我々が、きづちのパフォーマンスを最大限に引き出せるのは、体重ときづちの重さが全く同じ場合のみである。

 我々にとって、体重管理とともに、きづちのメンテナンスは最も重要な仕事なのだ。

 なので、きづち職人は一族の中でも最大級の尊敬を集める存在だ。


「おじさん、やっぱり腰に付けてるそれ、触らせてもらう訳にはいかないかな」


 私はおじさんの革ベルトの左腰部分に納められているのみを指さす。


「いくら三代目だからって、それは出来ねえ相談だな」


「えー、ケチだなぁ。ちょっとくらい良くない?」


「子供には、まだ早いんだよ」


 私は慌てて、おしりに手をやる。

 もうほとんど冬毛も生えなくなってきたが、ほんの少しでも生えてくるうちは、一族から大人とは認められない。

 そこには厳格な線引きがある為、私は何も言えなくなった。


「まぁ、他人には触らせられない決まりだからな。だから、息子にだって触らせられねぇんだ、諦めな」


 きづち以外の道具を持つ事が許されている稀有けうな職業のきづち職人。


 私がきづち以外の道具に興味を示すのは、あまりいいことではないかもしれない。

 でも、私はどうしても、あの鑿という道具に興味を引かれてしまう。


 全ての戦闘員に持たすことが出来れば。


 そんなことを少しでも考えてしまったのが祖父や父にバレてしまったら、きっと叱られるだろう。


「じゃあ、もう行きますね」


「おう、励めよ三代目!」


 そう言って、おじさんは走り出す私にきづちをクルクルと振る。


 私はランニングの後、無心になれるまで、きづちの素振りをすることにした。

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