5-8

 八月二十八日。

 朝、眠そうな顔をして事務所に入ってきた渚砂は、応接ソファに座るなり切り出した。


「昨夜ずっと考えてたんですけど」


 寝てくれよ――とは思ったけれど、その表情が真剣味を帯びたので敢えて言わずにおいた。


「聞かせてくれ」


 促すと、渚砂は一つ頷いて続けた。


「帯刀さんの手紙で『連絡する』と書いてあったのに、ここ数日連絡してこなかった事が気になっていたんです。言ったことは必ずやり遂げることを信条としているような人なのに」

「確かにそんなイメージはあるけど、そこ引っかかるところなのか? 考えれば渚砂がこちらにいることが岳人にバレたからとか、美夜の存在が気になった岳人が質したとか、いろいろ状況はあると思うけどな――」


 口にして、胸の裡を引っ搔かれるような何か気がかりを覚えた。

 渚砂がこちらで保護されていることも、帯刀が美夜を攫ったことも、帯刀本人だけが知る情報だ。帯刀は単独で何かしている、それは岳人がこちらに連絡を入れてこなかったことからも想像がつく。恐らく美夜の誘拐も、岳人が知る由もない秘密裏での行動だろう。それが岳人にバレるということは、そうそう考えにくい。

 その情報が知れ、岳人が美夜の携帯でこちらにコンタクトを取ってきた。

 それはつまり、帯刀が岳人に情報を伝えたということだ。

 目的は別にあると勘ぐっていたが、それが実行段階になった。そう考えるのが妥当かもしれない。

 渚砂は俺の表情から察したのか、更に考えの先を語った。


「それで思ったんです。携帯でのメールでなく、手紙ならまた来てるんじゃないかと」

「そうか、私書箱……」


 呟きに、静かに首肯した渚砂。

 善は急げという諺どおり、念のため渚砂を事務所に残し、俺は渡されたメモに書かれている民間業者が経営する私書箱へ赴いた。ナンバーを確認し預かった鍵でその扉を開けると、一通の手紙が入っていた。消印は昨日になっている。

 手紙を事務所に持ち帰ると、久しぶりに恭介の姿を見つけた。

 労うことも忘れ、早速手紙が入っていたことを皆に告げる。

 なにかあったのかと問うてくる恭介に、いなかった時に得た情報を事細かに伝えた。

 その上で手紙の封を開ける。そこにはこう書かれていた。


『渚砂お嬢様は連れてくるな。月島美夜に関しては必ず無事に返す』


 書きなぐられていたのはそれだけだ。


「これではっきりしたな。やっぱり、あいつはあいつで何か考えがあっての行動なんだ……。渚砂、帯刀が何を考えてるのか分からないか?」

「私には見当もつきません。昔から言葉少なで、なにを考えているのかよく分からない人でしたから……」

「そんなに古い付き合いなのか」

「はい。私が小学生の頃からなので、もう十年になりますね」


 それだけ付き合い長くても、相手の考えてることが分からないものなのか。まあ、それはそうだろうな。俺だって麗華の考えてることなんて分からない。そういうものか……。

 でも一つ安心したのは、帯刀が『必ず』という言葉を用いてまで、美夜を無事に返すと約束しているところだ。口にしたことを守るのを信条としていると渚砂は言っていた。そんな男の言葉だ、二言はないと信じたい。


「恭介はどう思う?」

「………………」


 久しぶりに事務所にいる男へ話を振ってみるも、返事はない。

 相変わらずミュートしたテレビを前に新聞紙を広げる姿が、懐かしくもあり少しイラっとさせた。協調性という言葉が、欠片も存在しなそうなやつだ。


「おい、聞いてんのか?」

「ああ。……零司、俺も取引場所へ付いて行くが、いいか?」


 訊ねたことへの答えなく、恭介はなぜか提案を口にした。

 それにしても珍しい。恭介から俺に了承を得ようと訊ねてくるなんて。いつもなら興味がないだの疲れただの言うか、もしくは勝手に付いてくるのに。

 ……でもそういえば。

 以前、銃を向けられる案件はそうないからと、思いのほか楽しそうにしてたっけか。人の気も知らず……。


「まあ付いてくるくらいならいいとは思うけど。深夜だぞ? お前起きてられるのかよ?」

「子ども扱いするな。まだオールくらいなら出来る」

「それは意外だな」


 だったら人の仕事くらい手伝ってくれてもいいのに……。

 浮気調査とか、夜行性の家猫探しとか……。ホント俺、端役ばっかだ。

 不満をため息に乗せると、カサッと新聞が擦れる音が際立って聞こえた。恭介に視線を転じると、どこか厳しさを感じさせる目で紙面を睨んでいる、ように見えた。


「それで、従うの? その手紙に」


 タバコの空箱の蓋を開け閉めしながら、麗華が粛然と問うてきた。波紋一つたてない湖のような、静謐な雰囲気を纏っている。


「それを判断するの、俺でいいのか?」

「一番の功労者は間違いなく零司だわ。あんたが決めたことなら、誰も文句は言わないわよ」


 恭介は何も言わず、渚砂はただ小さく顎を引いた。

 信頼して俺に任せてくれるのはありがたいけど、少しばかり荷が重い。

 信用という言葉をかなぐり捨てるなら、連れていくという選択になるだろうけど。判然としないが帯刀には帯刀の考えがあって、美夜を無事に返すと約束してくれている。それに賭けてみるなら、連れていかない方を選ぶべきだろう。

 どちらをとっても危険な気がしてならない。

 でも、神崎を守って美夜を取り戻すには、帯刀に賭けてみるしかない。

 意思を固めた眼差しで、麗華の瞳を見返した。


「決めたようね」

「ああ」


 脇に座る渚砂に「心配するな」と声をかけ、俺は黒鴉のバッヂを力強く握りしめた――。

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