70億人異世界転生

逃ゲ水

70億人異世界転生

 人は、どうしようもなさすぎる事態に直面すると開き直るしかないらしい。

 例えば、恐竜絶滅クラスの小惑星が数十個も固まって地球に降り注いでくるような事態、とか。

 そういうわけで、開き直ってしまった俺たち70億人は大した混乱や暴動もなく最期の日を迎え、地表に降り注いだ小惑星群によって一人残らず絶滅した。



 ……目を開けると、嘘のような青空が広がっていた。

 地面の代わりに綿のような白い雲。太陽が見当たらないのに真昼のように明るい空。

 天国みたいだなと俺は思い、それは実際当たっていた。

 背中から真っ白い翼を生やした美少女、あるいは美少年。どう見ても天使にしか見えないその人物は、ふわふわと宙を漂いながら俺の前に現れた。

「……天使だ」

 思わず漏れた言葉に、目の前の天使はパクパクと口を動かして──両手を自分の耳に当てた。自分の耳を触れという意味だと俺は理解し、自分の耳に手を伸ばす。なにやら耳栓らしきものがはめられている。

 キュポッと耳栓を抜くと……何か遠くでざわざわと鳴っているような。

 そんなことを考えていると、目の前の天使が微笑みながら会釈した。慌てて俺も会釈を返す。

「おはようございます。これから少しの間あなたを案内させていただきます、天使です」

 やっぱり天使だった。

「ではこれから少し移動していただきますが、よろしいでしょうか?」

 鈴のような声でささやく天使。俺としては色々と聞きたいことだらけだが、あまり時間を取らせるのも悪いなと思ってひとつだけ尋ねることにした。

「ここは、天国なのか?」

「天国か否か、ということでしたら間違いなく天国です。ですが、あなたが考える天国とは少し違うかもしれません」

 何が違うのかは分からないが、まあ天国は天国なのだ。あまり気にすることもないだろう。

「そうか。それじゃあ案内してくれ」

「では、わたしについて来てください」

 天使はふよふよと前進し、俺はその後を追って雲の上を歩く。すると数十秒もしないうちに雲の端にたどり着いた。

「ここから下に降ります。わたしに掴まってください」

 俺は差し出された天使の手を握り、奇妙な浮遊感とともに雲の下へと運ばれた。

 そうしてふわふわふよふよと高度が下がっていくと、ずっと聞こえていたざわざわという騒音がだんだんと大きくなっていった。

 何の音だろうと下を見ると、地平線まで続くほどの大量の何かがひしめいていた。色合いは茶から黒が一番多いだろうか。

 人混みみたいだな、なんか懐かしいな、なんて思っていると、

「あそこが目的地です」

 天使はその大量にひしめく何かの中心を指差した。

 ……ということは。

「あれってもしかして」

「あなたと同じ人間ですよ」

 つまり、「人混みみたい」ではなく「人混みそのもの」だったわけだ。

 なんでこんなことに、と一瞬考えてからすぐに気付いた。何個もの小惑星が降り注いだ結果、地球人類は数分の間に前代未聞の大量死をしたのだ。ここが死後の世界なら大混雑するに決まっている。

 そんなことを考えている間にも天使は下降を続け、わらわらと群れる人混みの端の方に俺を下ろした。足元はさっきと同じ白い雲だ。

 周りを見回すと人、人、人、人。年齢性別人種服装がまるでバラバラな人たちがそれぞれ思い思いに歩いたり話したりしている。こういうところは天国っぽいな。

 と俺が考えているうちに、天使は俺の手からするりと抜け出して浮上していった。

「待って、俺はここで何を?」

「待機です」

 鈴のような声で返ってきたのはどうにも投げやりな指示だった。


「あなた、今来たばかりですよね?」

 突然置き去りにされて困惑していた俺に、呼びかける声があった。

「あ、はい。そうです、けど……」

 振り返ると、インド系っぽい顔つきの青年がいた。

「あれ? 日本語……?」

「いえ、私はヒンディー語で話してますよ。ここでは言葉が自動的に翻訳されるそうです」

 そう言われて口元を注視してみると、なるほど確かに声と口が吹替版のような感じになっている。

「へぇ、さすが天国だな」

「すばらしいですよね! 他にも……」

 そうインド系の青年が話を続けようとした瞬間。

「コラァ! 勝手にくっちゃべってんじゃないわよ!」

 白いローブを着て翼を8枚ほど生やした美女が、ミサイルのような勢いで飛び込んできた。黙っていれば美女っぽい顔立ちだが、喚き散らしながら鬼のような形相で飛んでくるので流石に怖い。

「いい? 翻訳機能だってタダじゃないのよ! そこんところわきまえて会話は最小限にとどめるようにっ!」

 翼8枚美女はそう叫びながら俺の目の前で鋭角ターンで切り返し、そのままの勢いで飛び去っていき……

「ゴルァ! 当たり判定がないのに掴み合いの喧嘩しようとすんじゃないわよ! 周りも見てないで止めなさいよね! こっちだって70億人さばかなきゃいけないんだから無駄な騒ぎ起こすんじゃないわよ! あっ、そこのバカ! 天使にちょっかい出してんじゃ──」

 高速飛行と鋭角ターンを繰り返しながら、罵声もとい注意をして回っているようだ。

「……えーっと、あれは?」

「上位の天使なんだって。ほら、人が多くてトラブルも絶えないから」

 そう言ってインド系青年は肩をすくめた。どうやらずっとあの調子らしい。

 ……ちょっと同情するな。


 翼8枚の上位天使に目をつけられないようにゆっくり会話をしていると、今度は人混みの中から悲鳴が湧き上がった。

 また喧嘩かと思っていると、人混みの中から巨大な何かがぬうっと立ち上がる。

「人間ばっかりで落ち着かないゾーウ!」

 翻訳された大声で叫んだのは、アフリカゾウだった。いやその語尾なんだよ。

「っていうか、人間以外も来てるんですね」

「そうなんだよね。虫とかは見ないんだけど、牧場とか動物園にいるようなのはちょこちょこいるらしくてさ」

 そう喋っていると、

「道を開けなさーい!」

 さっきの翼8枚上位天使がすっ飛んできた。そして天使の腕には、翼は生えてないもののやたらと立派な杖とローブを身に付けた女神っぽい人が抱えられていた。まあこの流れなら女神だな。

 その女神は荒ぶるゾウの前まで連れて来られると、優しい口調で語りかけた。

「落ち着きなさい、大いなる獣よ。ここにはあなたに害なすものは存在しません」

「そういう問題じゃなくてぇー! ここ人間しかいないし連れて来る場所間違えてると思うんですよボクー! 出来ることなら仲間のところに帰して欲しいゾーウ!」

 暴れながらも割と真っ当な意見を述べるゾウを前に女神は深々とため息をつき、隣の上位天使を見上げた。

「どうしましょう……」

「順番はアレですが、先に『移動』させてしまうしかないかと」

 すると女神は決心したように頷き、杖を掲げた。

「女神イセンテの名において、大いなる長鼻の獣よ、あなたを転生させます!」

 直後、ゾウは鼻の先から尻尾の先まで光に包まれて、跡形もなく消え去った。


 ゾウが消え去った瞬間、俺を含め周囲一帯の人間は言葉を失っていた。しかし静寂は一瞬で崩れさり、上位天使と女神の周りには説明を求める人々が殺到した。

 そんな中、自分の中をすり抜けて走っていく人たち(どうやらここでは人間同士の当たり判定がないらしい)を眺めながら俺は考えをまとめていた。

「転生」。そう女神は言った。

 ここは死後の世界であり、輪廻転生的なことかとも思ったが、それなら人間や大きな動物しかいないのは不自然だ。つまりこれは異世界転生──

「うわあぁぁぁぁん!!」

 押し寄せる人波と口々に喚く喧騒の中を、一際大きな泣き声が貫いた。

 子供にしては低い泣き声。もしやと思って見てみると、群衆のど真ん中で女神が杖にすがって泣いていた。

「わ、わたしだってえ! ひっく、好きでこんなことしてるんじゃないんれすよお!」

 翼8枚の上位天使は隣でオロオロし、人間たちは予想外の事態に固まる中、女神はなおも泣き叫んだ。

「二、三人くらい、タイミングよく死んだ人がいたら転生させるだけだったのにぃ! なんなんですか一体! ゲート開けた瞬間に何億人も入ってきやがって! 頭おかしいんですかぁ!!」

 ……そんなこと言われても、こっちも死にたくて死んだわけじゃないが、まあ女神の側としてもこの事態を想定しろというのは無理な話で。

 うん、まあ、誰も悪くない。

「ていうかぁ! 上の神々もちゃんとゲートの設計しとけってんですよ! 体と魂のサイズが一定以上のもの全部通すとかガバガバなことやってるから人間以外も入ってきちゃうんでしょうが! てかこんなことになってるのに誰もヘルプ来ないしぃ! ばかばかばーか! 神々のあほー! まぬけー! あんぽんたーん!」

 あんぽんたーん、たーん、たーん……

 女神の叫び声が響き渡った。その時にはもう、その場のほぼ全ての人間が黙りこくっていた。さしずめ見てはいけないものを見てしまった時の罪悪感のような感情だろう。全員が全員、複雑な表情を浮かべていた。

 するとようやく女神も気付いたのか、

「あ、あはは。なんでもない、なんでもないですよー…………忘れてくださいぃ」

 消え入るような声で女神は懇願し、再度うずくまった。

 そんな様子を見ていられなくてふと目線を上に向けた。その瞬間。


 空があるはずのところに、海があった。

「なんだ、あれ」

 一人が頭上を指差し、ざわめきはあっという間に伝播していく。

 頭上にある逆さまの海。死後の世界。体と魂のサイズが一定以上のものを通すゲート。

 そして俺は思い出した。地球に降り注いだのは何十個もの巨大小惑星。

 地球上の生命どころか地球自体がその形を保っていられないほどの大破壊が起きたはずだ。

 その結果、もし地球が真っ二つに割れていたとしたら、それは死とみなすことができるのではないだろうか。

 そして、もしも地球に魂があったのなら。

 

「地球だ……」

 思わず、俺は呟いていた。その一言もまたあっという間に伝播して。

 喜怒哀楽、多種多様な感情が人々の中から湧き上がり、雲の上は今日一番の混沌っぷりを見せていた。

「ちょっと! 誰か説明しなさいよ! 何よあの海!」

「え? は? なに? なんなの?」

 困惑する女神と天使に、周りの人間は口々に好き勝手答えていく。

「地球? あんたたちの星? なんでそれが……」

「え? 空から巨大な岩が降ってきて? 大地が壊れた? 惑星が?」

「「はぁ〜〜〜〜〜!?」」

 予想外もいいところだろう。死者を数人転生させるだけのつもりが、70億人の人間に母星のおまけまでついてくるとか。むしろ予想できる方がおかしい。

「どっとどっどうしましょう女神さま!!」

「どうにもできないわよこんなの! あんぽんたんの神々になんとかしてもらうしかないのよ!」

 キャパオーバーで混乱する上位天使をよそに、とっくにキャパオーバー済みの女神は一周回って開き直っていた。

 女神は杖を掲げ、叫んだ。

「こちら女神イセンテ! あんぽんたんの神々に緊急連絡! あんたたちのせいで大変なことになったんだから、急いでこれなんとかしなさいよ! ばかばかばーか……」

 あほー……まぬけー……あんぽんたーん…………

 やけに通る女神のかわいらしい罵声が、喧騒と共に遠ざかっていく。


 ピピピピピ……


 電子音のアラームが鳴る。

 俺は綿のような雲ではなく、ベッドの上にいた。

「変に壮大な夢だったな」

 呟きつつ起き上がり、スマホを手に取った。

 ロック画面にはニュースアプリの通知が来ていた。

『〇〇動物園、ゾウ一頭行方不明』

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