ニートなお姉さん

百谷シカ

本編


 四時。

 安物のカーテンだろうと遮光スキルは保てるものだと感心する。試しに指でひっかけてみたら、くすんだ水色の朝。雨か。


 パッキリと覚めた目が、瞬きも受け付けないほど乾いている。眼精疲労は免れない、スマートフォンあっての毎日だ。立てた膝に腕をかけて、コメントをチェックしながら、長い髪を指で雑に梳いた。


 ダメだ。目が痛い。


 腕を伸ばし、サイドボードの置時計の影から目薬を探り当て、両目にさした。自分では好んで買わないようなきつい清涼感に体が強張る。ティッシュで強く抑えてからは、かなり視界がよくなった。


 好きな料理はカレーライス。コメントで知ってから食器棚をあさったが、幸いな事に二段目の左側、固形のルーが二箱あった。狭い単身者用のアパートはまだ生活感が薄く、さほど汚れてもいない。駅からもたった五分の好立地。


 冷凍庫には小分けにされた白米と、ポリ袋にしまわれた肉がいくつか入っていた。この分なら根菜も常備してあると期待して、台所周りの収納を丹念に調べると、ジャガイモもニンジンも食器棚の隣に積まれた段ボールの底にあった。


 オーソドックスなカレーを煮込む。このスマートフォンではよく投資や仮想通過の動画を見ていたようで、手取り十七万の介護福祉士が無謀な夢を見すぎだと呆れた。やっぱり芸人の作業用まとめ動画に限る。


 九時半には着くとコメントがあった。


 ピルケースにしまって運んできた二件前の指輪をカレーの海に放り込む。

 ルーのとろみにジャガイモが加わって、鍋の上から下までどこにいったかもうわからない。かき混ぜていたら、さすがにいい匂いで鼻歌を口ずさんでいた。


 約束より二十分も早く男が着いた。


「いらっしゃい」

「はじめまして。うおぉぉ~ッ、いい匂い!」

「狭いけど、どうぞ」


 あまり近所の住人に見られたくない。

 男は興奮こそしているものの、獰猛さは皆無で、労働のあとの空腹からキッチンを通過するわずかの間かなり浮かれた声をあげていた。マーケティング部というのがどういう仕事かわからないが、スーツはきちんと着こなしている。


「先に食べます?」

「え?」


 上着から袖を抜きながら、男が固まる。

 カーテンレールにかけておいたハンガーを取って、上着を受取りながら質問を重ねた。


「先にシャワー浴びますかって意味」

「いやぁ」


 男の顔に警戒が走った。その隙に財布から金を抜き取られるかもしれないとか、ありきたりな危惧だろう。とりあえず、こちらが照れたように肩をすくめると、男も笑って取り繕った。


「先に食べます! 本当にカレー作ってくれるなんて感激だな。毒とか入ってないかちょっと心配」

「まさか」


 ネットで知り合った女の家に来ておいて、一体どの口で言うのか。

 ローテーブルに食器を並べ、テレビをつけ、二人でカレーを食べた。汚れた食器を下げ、男が買ってきた酒と摘まみで仕切り直す。


 食事をして落ち着いたのか、男は冷静な様子で私に問いかけた。


「どうして、こんな」


 俯きがちに笑いながら、寂しいからと答えた。男の手がおずおずと私の腕に触れる。それから抱き寄せるでも、襲い掛かるでもなく、背中をさすり始めた。私は甘えるように胡坐をかいた男の太い太腿に頭を乗せて、寝ころんだ。


 テーブルの裏からリップクリームほどのボトルを剝がして、息を止め、男に真下から催眠ガスを噴射した。


 それからはいつも通り、男の首にノズルを貼り付けてから頭にゴミ袋を被せて縛り、別のボンベを繋いで袋がぱんぱんに膨れるまでガスを注入する。痙攣と失禁を見届けてから、相方にメッセージを送った。


 男のスマートフォンを機内モードにしてから、男の免許証を写真に撮る。男の身元がわかる所持品を定期以外すべてジップロックにまとめて、バスタオルにくるみ、アパレルショップのビニールに入れてリュックの背中側に突っ込んだ。スマートフォンはデニムのポケットにねじ込む。


 前の男の所持品をジップロックから出して、部屋の中にそれらしく配置してから、今まで使っていたスマートフォンを電子レンジの中に入れる。鍵は施錠してガスメーターに貼り付ける。


 男の最寄り駅まで電車を乗り継ぎ三十分程度だった。その間、免許証の画像で住所を確認し、地図アプリを起動しておいた。スーパーもコンビニも不自由しない、駅から歩いて十分弱の一本道。ラッキーだ。


 マンションの五階。ワンルーム。

 直置きされているマットレスに、脱ぎ散らかした衣類、空の弁当箱やペットボトル。汚い。洗濯機の中には、これから洗うのか、ここから取って着るのかわからないぐちゃぐちゃの衣類。生臭い匂いはさほどキツくない。すると洗濯済みか。

 リュックを下ろし、髪を結んでまずは大掃除をする。いつも通り。


 


     *  



 男のパソコンとスマートフォンにデリバリーの履歴が残っていると、とても快適に過ごせる。同じく、動画見放題のプランに登録してあったので、映画もバラエティーもたくさん視聴できた。

 マットレスは次亜塩素で消毒してから新しいシーツをかけて、敷きパッドを敷いて使っている。みんな通販サイトが大好きで、だいたいの物は当日か翌日には届くから便利だ。完璧を求めなければ二日で環境は整う。


 明け方、相方から物資が届いた。

 好みの体だったのか、十万添えられていた。現金は貴重だ。リュックの内ポケットからこれまでのボーナスを入れてあるジップロックを出し、合わせて数え、またしまった。


 物を捨て、カーテンとラグも新しくして、メッセージアプリのプロフィールをアルファベットと無難な風景画像に変えて余計な情報を消し、チャットアプリをダウンロードして、投稿を始めた。


 写真と、それらしい言葉。

 

 すぐにコメントがついた。単純に卑猥な声かけのものはスルーして、数人に絞りふるいにかける。

 一人暮らし。ペットを飼っていないこと。これは絶対条件だ。既婚か否かは、相手が嘘をつく場合もあれば、別居中や家族に隠れて一部屋キープしている場合があるから重要ではない。そしてもう一つ、今夜会えること。


 長くても五日が限度だ。無断欠勤で会社が動き始める。


 候補を七人に絞り、職業を尋ねる。会社員が四人、会計士が一人、調理師が一人、自営業が一人。私は職業を〝無職〟にしてある。真実だ。調理師の男になぜ働かないのかと尋ねられ、切った。余計な説明をさせる気の利かない男は嫌い。


 自営業の男が、働き口に困っているなら相談に乗ると言ってきた。働きたくないのも事実だが、働けないのも事実だ。私は住所不定で身分証もない。ある程度のところまで現金が貯まったら、女を見つけよう。同世代で、一人暮らし。社会とも家族とも繋がりのないニートがいい。私みたいに。


 戸籍がある暮らしへの憧れが、また、頭を擡げる。


 実家暮らしの女をひっぱり出すより、一人暮らしの女を退職させる方が簡単な気がする。何人か女も練習しながら現金を貯めよう。単純な性欲では釣れないだろうから、共通認識とか、共感性を身につけないといけない。相方に相談していいものだろうか。利害と趣味の一致で組んだ奇跡的なペアを、解消するのは骨が折れそうだ。


 いずれにしてもまだ先の話である。


 無難な会社員から一人選んで、時間を決めた。

 今回からは素直に金銭を強請ってみよう。戸籍を手に入れる日まで、貯められるだけ貯めておきたい。そうだ。まとまった金額さえあれば、どこかに寝泊まりしながら女を物色できる。そういう性癖の女と仲良くなって、一緒に暮らして、いい頃合いで全てを貰うのが理想的だ。


 連絡先を交換すると、さっそく男が何か欲しい物はあるかと尋ねてきた。それは、今いちばん欲しいのはニートなお姉さんである。だけどとりあえず、二番目に欲しい物が現金なのでそう答えようと思ったが、やめた。


 真新しい敷きパッドの感触が心地いい。仰向けに寝転がり、膝を立て、返信ではなく無料通話をかけてみる。男が通話に応じた。雑踏のアナウンスで、駅にいるとわかった。

 もしもし、と。少し活舌の悪い、低い声。

 こちらももしもしと一言つけて、欲しい物を伝えた。


「あのね、メロンパン食べたい」

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ニートなお姉さん 百谷シカ @shika-m

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