第5話 数字に囚われる

数字に数字という意味だけではないものを創り上げる人がいる。


私の母がそうだ。


物心つく頃から、母はよく「4」や「9」を忌み嫌っていた。


4は死を、9は苦を連想させるというのはよく知られたことで、なにかにつけその数字が入ることを嫌い、それをそのたびに口にしていた。


つまり、私は常にそれを聞かされてきたのだ。


例えば手元にきた書類などで4や9の番号が偶然割り当てられていると、それがまるで何かの呪いのように、「よくないことが起きる」と思いこんだり、何か嫌な出来事があると、そこに結びつける。


そして、特に嫌ったのが「42」や「49」だ。


高い買い物で、42万円するものがあると、どうしても値段を下げられないのならば、じゃあ43万円払うとか、そこまでするのだ。


常にそんな感じでいたので、当然私にもそれは影響している。


そういう刷り込みをされて育った私も、ついその数字を避けがちだ。


みなさん、お気づきだろうか?


私は記事の投稿でも、コメントの投稿でも、42分だとか、49分だとかの時間で書き込みをしたことは一度もないのだ。


「応援する」も、「コメントする」も、「フォローする」も、自分が4番目だったり9番目だったりすると、「どうしよう」と思ってしまう。


先程、コメントを4番目になるのに入れた。


4番目か。嫌だなという感情と、そんなことに囚われ続けるなんてばかばかしいという気持ちと、そういう感情のせめぎ合いの中で、そんなこと気にしなくてもいいじゃん……という、強い意志を持って入れてみた。


けれど、心がざわざわする。


それでも、応援やコメント、フォローを4番目や9番目に入れることは、日によっては出来るようになっている。


けれど、母がより強く気にしてきた「42」や「49」の数字にだけは、いまだに踏み込めずにいる。


実のところ、その数字をこうして記事の中で書くことにも多少の抵抗があるのだ。


それでもこうして書いたのは、私がその数字に多少のこだわりを持っていることを知っていて欲しいと思う気持ちがあるからです。


私が応援するボタンを押したとして、コメントを同時に入れられない時は、その数字を気にしてのことが多く、なんで応援ボタンとコメントを入れる時間がこんなに離れているのだろう?ということがあっても、そういうことがあってのことだと理解していただけると有難い。


が、そんなことを気にしているのは私だけでしょう。


誰も、私がいつどのボタンを押そうと、気にしてもいないだとも思います。


そんなもんです。


でも、一応、私が数字の囚われていることを書いてみようと思いました。


今、一番の気がかりは、私がフォローしている小説数が「49」だということです。


誰か、私のために新しい記事を書いて、私にフォローさせてください。


お願いします。




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