一日目 「脈」



「みんなみんな! 今日さ! すげーのあったんだ!」



 まだ全員の生徒が揃っていない教室で一人の男子が大声を出した。その声を聞いて教室だけでなく廊下の生徒たちも何事かを教室を覗き込む。



「今日の朝、俺の懐中時計に脈が走ったんだ! 俺にも神様が現れるのが決まったんだぜ!」



 高々と腕を上げて同級生に見せるそれは、手のひらよりは小さい銀色の懐中時計だ。依り代候補にする道具では定番である。



 ちょっと触らせて。あ、本当に脈がある。すっげー、俺んところねーちゃんだけだから羨ましいわ。あたしのも早く脈起きないかなー。



 顕現の前兆である脈によって話が広がる。


 廊下でその話を聞いた貫之は、同じように自慢をしようと思ったが、これでは完全に食われるとして紗江子の言いつけ通り我慢して自分の席へと向かう。



 考えてもみれば依り代は個人にとって最も大切な宝物だ。見せびらかすのはおかしい。


 鞄に入っている教科書類を机の中に入れ、筆箱から万年筆を取り出す。


 脈は安定した間隔で続けている。紗江子の例では刀匠が打った包丁を両親から貰い、小学六年生に脈が起こってその翌日には顕現したらしい。


 前兆である脈の開始から神が姿を現す顕現まではそれぞれ異なる。紗江子のように翌日に顕現することもあれば、半世紀経とうとしない場合もあって予測は誰にも出来ない。出来れば受験前に験担ぎで顕現して欲しいところだ。



 神様の名前とかってもう考えたの? もう顕現した? 神様見せろよ。俺のところ誰も顕現してないから見たいんだ。



 誇らしげに自慢したことによって、神も依り代も持たない同級生たちから興味津々で詰め寄られている。危うく自分がああなっていたと肝を冷やした。


 貫之は自慢だけはするのはやめようと改めて思い、ルーズリーフと革のカバーをした手帳を机の中から取り出した。


 開いた革のカバーの手帳の左ページには【脈】の一文字があり、その隣に【話】とだけ書く。ルーズリーフのほうは神の名前を決めるために使う。


 神様の名前は人と同じように外部が名付けるのが慣習となっていて、依巫になることが確定した人の最初の仕事は神様の名前作りと言われている。



 ひとまず『万年筆』と綺麗とも汚いとも言えない月宮貫之の字で書き、そこからどうかけ離れすぎず威厳を表せる名前にするかを考える。


 まず『筆』は確定だ。『万年』では万年筆と伝わりにくいし、威厳より蔑む印象を受ける。



「月宮、おはよう」



 そこに同じ教室の同級生が声を掛けてきた。



「あ、おはよう。なんか凄いことになってるな」


「中学生で前兆が来るのって相当珍しいからな」



 三人に一人と言ってもそれは総人口六千万人から出しただけで、年齢別では逆ビラミットで少子化ならぬ少神化だ。昔ならほとんど十代から顕現していたようだが、大量生産大量消費時代を半世紀以上続けた煽りで減少に歯止めが掛からない。そして顕現時期も年々高齢になりつつある中で先立っての前兆だ。いつ起こるか分からない一生に一度のことだから誰であっても気にしてしまう。まだ脈も無い人にとってはなおさらだ。



「いいよなぁ。俺んちはじいちゃんまでしか顕現してないから神様と親身に話してみてーよ」


「昔はほぼ全員に顕現したって話だけどね。でもいつかお前にも顕現すると思うよ?」


「だといいけどなー」



 早期に神が顕現をするのは日本人にとって成功する必須条件だ。政治家になる人も社長や幹部になる人のほとんどに神が顕現していて、神が顕現した人らは依巫(よりまし:よま)と呼ばれる。もし十歳未満で依巫になれば神童として一目置かれ、十代でなれば少なくとも幸福な人生が約束されるのだから願望は誰でも強い。



 しかし少神化が進行している現代では中々に都合よく行かず、よって貫之の万年筆に脈が起きたのは宝くじで上位等が当たったに等しいのだった。



 そう考えるとどうしても顔が綻んでしまう。



「なにニヤニヤしてんの」



 挨拶してきた同級生と入れ替わって、同じく同級生の女子が貫之の顔と万年筆を見比べながら聞いてきた。



「いやなにも」



 ここで万年筆を隠せば何かあると悟られる。月宮貫之が普段から万年筆を使っていることは知られていて、持っていることはなんら自然だから何も素振りもしない。


 すると女子は、反応するのが遅れるほど流麗に貫之から万年筆の先端を掴んで抜き取った。



「あ、おい」


「あ、脈打ってる」



 貫之が声を荒げる前に一言呟くとそのまま万年筆を返した。



「へぇ、あんたも脈打ってたんだ。おめっとさん」


「勝手に触るなよ」


「別に減るもんじゃないでしょ。壊せば重罪だし」


「だからって……って、あんたもってことはお前も?」


「は? もってあいつのことに決まってんじゃん」



 言って指差すのは脈打つ懐中時計を女子に取られ、力ずくに奪えないでいる男子だ。



「ああ、そう」


「脈が出たくらいで騒いで、ホントガキよね。あんたは騒がないわけ?」


「それで取られたら嫌だからな」



 貫之は万年筆をポケットへしまうと、女子は興味が失せたのか薄茶色に染めた髪を靡かせ、他の女子のところへと歩いていった。



「……言いふらさないよな」



 古川という女子は今年のクラス替えで同じ教室になっただけで親しい間柄ではない。名前を知っている程度だからいまいち分からないが、言いふらしたところで得になることはないから大丈夫だろう。


 男子に懐中時計が戻ったところで担任がやってきて生徒たちは移動を始めた。



「――そうか、三崎の道具に脈が起こったか。先生も二十二の時に起きた時は嬉しかったな。三崎、くれぐれも大事にするんだぞ。神霊が顕現すればちょっとやそっとじゃ壊れなくなるが、脈がある間は豆腐とまではいかないがもろくなるし、神隠しも出ているようだからな」



「センセー、どうして神様が顕現すると依り代は頑丈になって、脈がある間はもろいんですか」



 次の授業が担任の現代史ともあって、朝の会はそこそこに依り代についての質疑応答に入る。



「適切な例えかは分からんが、昆虫の変態のようなものらしい。道具が幼虫で、脈がさなぎ、依り代が成虫だな。脈の状態はちょうど成熟を終えた魂がそれを核に肉体を作り出したところで、さなぎが無防備になるのと同じようにもろくなるそうだ」



「脈の状態で壊れたら神様も死ぬんですか?」



「脈に限らず、ただの道具の時も依り代も同様だな。けど壊れても無事だった部品を、神社で他の同じ物に付け替えてもらうと心霊の魂が移って新たな神として生まれ変わった例はあるらしい。だが成功例は低く、例え出来ても前の神とはまったく違うこともあるそうだ。まあ、出来ればそうなる前に守ることが大事だな」



 その説明を受け、懐中時計の持ち主である三崎は依り代候補を両手で抱きしめた。



「先生は脈が起きてから顕現するまでどれくらい掛かったんですか?」


「脈が起きてから顕現するのはピンキリだ。数分もあれば死ぬまでしない場合もあってそこは運によるな。ちなみに先生は三ヶ月目に顕現したよ」


「情ってところがよく分かりません。愛情は聞きますけどそれ以外じゃ駄目なんですか?」


「駄目じゃない。どんな気持ちであっても神は顕現するんだが、様々な気持ちの中で飛び抜けて多いのが愛情なんだよ。長く物を持つだけで愛情は必要だからね」


「先生はどんな気持ちを道具に向けてましたか?」


「特別なことは考えてないけど、特別にしてないから愛情なんだろうな。家族と同じでいて当然ってことは愛情があってのことだろ? 愛情がなければいて当然とか思わないさ」



 一言で纏められる顕現の条件は『今まで生きてきた中で一番大切にしている物』で、もっと簡潔に言ってしまえば宝物が依り代になる。大前提として五世代遡って両親が日本人である必要もあるのだが、日本のみの文化であってその前提は然したる問題ではない。



「ちなみに欲情でも構わないし、日本人であればまず顕現する。それでも神々が減り続けるのは物が溢れかえっているのが挙げられるな」



 昔はどんな物でも貴重で、壊れたから買い換えるなんてことは大名や大地主くらいにしか出来なかった。それが安価で大量に同じものが溢れる社会になると、一つの物を大事にすることが少なくなる。それでは顕現に必要な条件である『一つの道具を使い続ける』が当てはまらない。ここ百年で爆発的に増えた精密機器類の神が少ないのもその理由だ。



「けれどみんなはまだ十四、十五歳だ。周りで次々に顕現していっても、その神を羨んだところで何の意味もない。自分の道具とその道具に宿った魂を見てやらないと浮気と同じだ。神と依巫は異体同心だから他の神よりは自分の神様を見るように」



「センセー、先生の神様の神通力ってどんなのですかー?」


「それは教えられないな」



 担任は爽やかな顔で即答した。



「知っての通り、神通力は自然現象とは異なる現象を起こせる。それこそ国家防衛や経済発展の中核になるくらいにな。中には凶悪犯罪も容易に出来てしまうものもあるから、悪用を防ぐために神様の姿は見せても、神通力は家族や本当に信用できる相手にしか見せてはいけないってなってるんだ」



「それだと先生はあたしたちのこと信用してないってことになりますよ?」



 この女子の揚げ足取りに教室中から文句が飛ぶ。



「校則で決まってるんだよ。緊急時を除いて神通力を秘密にするようにと。ほら、三十年前に教室の生徒を神が惨殺した事件があったろ。あれでだよ」



 神関連の事件では十本指に入る悲惨な事件の一つだ。


 端的に説明すれば、担任の神の神通力を知った生徒たちが力を利用しようとひっきりなしに媚びを売り、それに激怒した神が一クラス四十三人を皆殺しにしたのだ。しかもその神は熊の容姿をしていて、五体満足の人は誰一人といないほど食い散らかしたと言う。


 そして神の依巫である担任は何のお咎めがないという、海外ではありえない裁定が下されている。これは、神は自然の一つの考えから言動の一切を天災扱いにされているからで、天災による被害を一個人が補償するのは馬鹿げているし、人災にしてしまうとその人によって顕現した神の侮辱に繋がるため原則無罪なのだ。


 十数年前、北海道に富士山を越す巨大な神が顕現し、その超重量によって新たな湖を作ってしまったくらいだ。



「それに先生の神様は少し短気でね。しつこいと暴れるから話は以上。授業始めるぞー」



 また教室中から文句が出るが担任は授業をはじめ、貫之も現代史の教科書を取り出した。



 万年筆は順調に脈を刻んでいる。

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