第23話

 着いた先は車で30分程走った先の海浜公園の駐車場だった。

 夜も遅い時間だったが、週末だったため公園周辺には数多くの屋台が立ち並び、明るく賑わっていた。公園内の木々にはクリスマスのイルミネーションが施され、それを見に来た家族連れも多く、少し離れたところに停めた車の中にまでそぞろ歩く人々のざわめきが聞こえて来る。イルミネーションの黄色の光が夜の闇のそこここに溢れていた。

「うわ…どうしよ、ぐっちゃぐちゃだよ…」

 浜村がテイクアウトボックスに詰めた市倉の夕飯はものの見事に容器の中で崩れていた。原型をとどめないこれはなんだ?そういえばこれを叩きつけるようにして市倉に押し付けたっけ、と匡孝は思い出した。

 そんでそのあと道路に落として踏んづけた…

「あああああ……っ」

「──何やってんだおまえは」

 がこ、と開いた運転席のドアから市倉が呆れたような顔で覗き込んでいた。屋台で買ってきた飲み物を2つ手に、だってと涙目で見る匡孝の手元を、車内に滑り込みながら覗き込む。

「あ───………、…まあ、口に入りゃ同じだしな」

「……真顔で恐ろしいこと言うね」

 どこかで聞いた台詞に市倉は眉を上げた。ふうん、と潰れた紙の容器の中から肉の何かだったものを摘み上げてぱくりと口に放り込んだ。

「旨い」

「あ、手っ」

「もういいだろ」ほら、と言って容器を匡孝の手から取り上げた。

 今度はちゃんと付いていた箸を使って食べた。次から次へと口に入れる市倉に匡孝は呆れた顔を向けたが、やがてふっと可笑しそうに笑った。

 確かに、口に入れば同じだ。

「そんな腹減ってたの?」

 ホルダーにある自分の分の飲み物を手にした。温かい。ひと口飲むとそれは甘くて、少し苦く、いい香りがした。

 市倉が匡孝に買ってきたのはミルクティーだった。

 カップを両手に持つと指先が暖まってじんと痺れた。こんなにも手が冷たくなっていたのだと、いまさらに気づく。

「ごめんね…こんなにして」

 なにが、と市倉は言った。

「今食ってるだろ?」

「そうだけど…」

 本当はもっと綺麗に盛り付けされていた。浜村が作った美味しいものが、容器いっぱいに彩りよく詰められていたのに。

 市倉がスープの入った保温容器の蓋を開けた。

 浜村が大沢の夜食用に用意していたコンソメスープを市倉にもと分けてくれたものだ。

『あったかいもんあると冷たい弁当も美味いからな』

「俺が踏んだんだもん…」

 市倉が笑った。

「俺も踏んだぞ」

 それでも何か言いたそうにしている匡孝を見て、市倉は仕方がないなというふうにかすかに笑った。「おまえのせいじゃないだろ…お互い様って事でいいだろ?」

 な?と顔を覗き込むようにすると、匡孝は小さく──納得しようとしたのか──頷いた。その髪をくしゃっと掻き混ぜて、ご馳走さま、と市倉は言った。

「ありがとう、江藤」

「言うなら浜さんにだよ」

 市倉が紙袋に空になった容器を入れるのを見ながら匡孝は言った。「結局どれがどれだかわかんなかったから、美味しかったのどっちだったか言えないけどさ」

「違うよ」と市倉は苦笑した。

 え、と匡孝は目を丸くした。

 何が違うのか考える。

「なに…違うって」

 思い当たることがなくて匡孝は市倉の横顔を見た。

「飯の事じゃなくて…それもあるけど」市倉の視線が、正面のフロントガラスから離れ、ゆっくりと動き、匡孝の顔で止まった。目が合って、近い距離に匡孝はどきりとした。イルミネーションの光が市倉の瞳に映っている。

「守ってくれようとしたこと、…ありがとう」

 匡孝は息を呑んだ。匡孝を見る市倉の目は穏やかに笑んでいた。車の側を家族連れが賑やかな声を立て、笑い合いながら通り過ぎていく。

「…うん」

「おまえに何もなくてよかったよ」

 シートの背もたれに深く背を預け、沈み込みながら市倉は天井を見上げた。髪をかき上げて長く、長く息を吐き出した。

 市倉は目を閉じた。

 目元をあらわにしたその横顔には疲れの色が見えた。

「大事なものを奪っていくんだ」

 やがて市倉はそう言った。

 それがりいが市倉にした事のすべてだと、匡孝は分かった。



「彼女は、俺の友人の妹だ」

 もっともそれに市倉が気づいたのは、すべてが終わった後になってからだった。

 それまでは市倉の自宅に招くことが多かった高校からの付き合いの友人宅に、大学生になってから何度か遊びに言った覚えがある。けれど共働きだった彼の両親や当時小学生だったはずの妹に出くわした事は1度もなかった。

 何度も思い返して遠い記憶を探った。しかし出た答えが変わることがない。

 その存在は知っていても、市倉はりいの顔を知らなかった。知る機会さえなかったのだ。

 だがそれで何が変わっただろうか?

 匡孝が初めて市倉を見た、あの日。その日よりも4ヶ月ほど前──つまりは約1年程前に、りいは素性を隠して市倉の前に現れた。


***


「市倉さんって、彼女とかいないんですかあ?」

 大学の研究室にいた2つ年下のその男は、何かというと市倉に絡んできて鬱陶しかった。やたらと市倉の動向を気にしてくる割に視線を向けると怯えたようにぎこちなく振る舞う。何がしたいのか知らないが、仕事さえしてくれれば職場の人間関係に特に執着も興味もなかった市倉は、お決まりのように繰り返されるその質問にも目を向けるだけで応えておいた。

 男は気まずそうに笑った。

「今度あそこの女子大の子が来るって聞きましたあ?研究交換授業の一環だとかって、面倒だけど女の子来るんならいいですよねえ」

 可愛い子だといいなあ、とはしゃぐように言う男に背を向けて市倉は研究室を出た。そろそろ昼の時間だ。

 背中に男の舌打ちを聞いた気がしたが、さして気にも止めず、すぐにそれも忘れてしまった。


 それから幾日か過ぎて、市倉はいつものように大学に出勤した。

 朝8時40分。研究室の鍵を開けるのは市倉の役目だ。望んで引き受けたわけではないが、大学からほど近い所に住んでおり、出勤するのが人よりも労なく早いため、いつの間にかそういう事になっていた。

 鍵を開けて中に入ろうとした時、声を掛けられた。

「あの、米森研究室の方ですか?」

 振り向くと少し離れたところに若い女が立っていた。

 廊下の窓から差し込む朝日が、その長い髪を淡い色に見せていた。

「そうだけど」

 扉を薄く開けたまま市倉は返した。

 若い女は一歩、市倉に近づいてきた。

「今日から研究交換授業でお世話になります、私、香倫こうりん女子大の花田です」

「…交換?──何?」

 まるきり失念していた市倉は、咎めるような目をその若い女に向けた。

 それがりいだった。

 りいは困ったように眉を下げた。

「あ、ええと、聞いてませんか?あの私」

「悪いけど、ほか当たってくれる?」

 りいの言葉を遮って市倉は言い、そのまま部屋に入ってばたんと扉を閉めた。


 扉の外が騒がしくなったのは、それから20分ほど経ってからだった。

 出勤してきた誰かが話しているのだろうと、自分の机で仕事前の雑務を片付けていると、扉が開いて室長である米森が入ってきた。

「ちょっと市倉君!なんで締め出しちゃってるの!」

 米森は60を少し過ぎた小柄な女性だ。白髪の髪を短く切りそろえ、化粧っ気のない顔に真っ赤なショールを首に巻いているのがトレードマークの、この大学の教授であり市倉の直属の上司だ。やや大袈裟でお喋りで直情的に物事を話すので、市倉にとっては──助かる存在だ。こちらが必要最小限の言語だけでも会話が成り立つという貴重な人だからだ。

「は?」

「はじゃないよ、言ってあったよねえ、大学生来るって!」

 そういえばそうだったか、とようやく市倉は思い出す。

 米森は振り返って、戸口に立ったままのりいに、ねえ、と同意を求めた。

「本当にごめんなさいねえ。このひと人の話聞いてないのよ、右から左なの、研究馬鹿なの。どうしようもないのよねえ」

 そして彼女の背を押して、市倉の前に立たせた。

「花田さん、こちらうちの助手の市倉君」

 ほら、と促されて市倉は立ち上がりりいを見下ろした。

「どうも、さっきは悪かったね」

 そう言うと、りいはいいえ、と笑った。

「花田、りいです。2週間よろしくお願いします」

 彼女の挨拶に頷いて雑務に戻ると、りいを相手に米森のおしゃべりが始まった。

 正直どうでもいいと思った。2週間なんてあっという間に過ぎる。自分に関わることなどこれ以上はない。

 その時は市倉にとってそれだけのことでしかなかったのだ。


 市倉が初日にりいを締め出してしまったことは、研究室内で恰好の笑い話のネタとなっていた。

 それにうんざりしつつも、りいが訪れてから4日が経ち、市倉の2つ年下の男──岡島は、案の定ベタベタとりいの周りをうろつき、何かと構っていた。

 それは市倉にとっては有り難い事だった。

「市倉君、明日の資料の事なんだけどね…」

 その頃市倉の業務は多岐に渡っていた。

 室長を含めて5人が在籍するこの米森研究室は、言語野の研究を主な専門としており、古い文献から最近の若者言葉に至るまで研究内容の対象は膨大だ。米森はその第一人者としてこの分野では知られた存在であり、大学の講義はもとより地方の講演会や一般聴講会など、多くの仕事を抱えていた。それは研究を世に知らしめるためでもあったが、後継を育て、それに当てがう研究資金を稼ぐ目的でもあった。

 どんなこともお金がなければ出来ない事の方が多いのだ。大学内での予算などたかが知れている。

 そのサポートをするのが研究室で一番の古株の市倉の役目だ。研究員でありながら研究の傍ら米森の補佐をこなし、財務を管理し、手の回らないところはカバーした。残りの研究員もある程度の事は手を貸してくれるが、研究室に在籍している以上、主な仕事は研究を進めることである。従ってその役目の多くを市倉が担っていた。

 そのうえ女子大生の相手など願い下げだと思っていたのだから、岡島の存在はこの時ばかりは市倉にとって都合が良かったのだ。

 りいとは初日に挨拶を交わしてから特に話すこともなく2週間は過ぎた。

 最後の別れの挨拶も市倉は思い出せない。

 どんなふうに、何をりいが言ったのか。

 それだけのことだったのだ。

 その日の午後遅く、構内を歩いていると呼び止める声がした。

「市倉さーん」

 岡島だった。

「これからりいちゃんの送別会やるんすけど、市倉さんもどうですかあ?」

 りいちゃん?

 それがあの女子大生の事だと分かるまでに少しかかった。ああ、と市倉は言った。

「いや、俺はいいよ」

 今日は米森も出張でいない。仕事はまだ残っていた。

「ええ~りいちゃん来てほしそうだったけどなあ、冷たいっすねえ。来ないんですか?」

 ろくに話したこともないのに。

「行かないよ。俺が行ってもしょうがないだろ。行く義理もないしな。よろしく言っといてくれ」

 じゃあな、と背を向けて歩き出した市倉の背中に、つっまんねえ奴と岡島が呟いていたが、いつものように相手にしなかった。


 それからしばらくして、岡島とりいが付き合っているという話が研究室内で噂になっていた。噂と言っても本人を除いて4人だけの間で上る話という感じだった。言い出したのは1番若い研究員だった。

「付き合ってるっていうか、お互いじゃなくって、あれはもう岡さんがベタ惚れって感じですよね」

 そう言って豪快に笑う彼女は数年前に学生結婚をした一児の母だ。去年入って早々に産休を取り。子供を産んで3ヶ月後には職場復帰を果たしたという強者である。

「送別会の時、あー、市倉さんいませんでしたよね?岡さんがりいちゃん送ってったから、アレが決めてだったのかなあ」

 学生の少なくなった時間帯の学食の片隅で、窓の外を見ながら市倉はふうんと頷いた。

「市倉さん来なかったからりいちゃんガッカリしてたなあ…ほーんと、素っ気ないですよー。優しくすればいいのに、こんなにカッコいいのにー」

 市倉は苦笑する。

「旦那に言うぞ」

 彼女の伴侶は以前この大学に通っていた学生だ。専攻は国文学で米森のゼミを受けていた縁で市倉とも親しい。今は鉱石を扱う企業に就職をし、時々市倉に飲みの誘いをかけてくる。

「うわ、嘘嘘、黙っててくださいよお。拗ねちゃうんだもん、あのひと」

 暖かな午後、窓際の席で同僚と笑い合って食事を終えた。

 懐かしい記憶。

 あの頃の自分はそれを大事なものだとは認識することもなく、ごく当たり前のように受け取っていた。

 今では分かる。

 あのなんでもない日々こそが自分を形作る重要なものだったのだと。なによりも大切な、けれど気づくことさえ出来なかった毎日。

 それはほんの1ヶ月程後に訪れた。

 りいによってすべてが、手の中から奪われていってしまったのだ。


***


 そこまで話し終えた時、頬の上を何かが落ちていった。

 先生、と呼ばれた気がして横を見ると、匡孝が心配そうな顔で自分を見ていた。

「先生」

 匡孝の指が左の頬に触れる。何かが落ちていった後を辿り、顎の下にとどまっていたそれを拭った。

 左目だけが妙に霞んで見える。

 ああ涙だ、と市倉は思った。

 片方だけ。匡孝に見える方だけで自分は泣いていたらしい。

 あの時は何も、涙も出なかったのに。

 どうして今頃。

「結論から言うと…彼女の俺に対する悪意の動機は復讐なんだよ」

「復讐…」

 それも後になって分かった事だ。

「俺が彼女の兄にしたことが…彼女をそうさせてるんだ」

「それって…どんなことか、聞いてもいいの?」

 市倉は頷いた。

「あいつの…、大学院での論文不正を告発したんだ。まあ、ほかにも色々と…問題の多い奴だったんだが…」

 高校からの付き合いの長いその友人は親友と呼べる類のものだった。基本的には陽気でいい人間だ。しかし、軽率な部分もある男だった。

 専門誌に提出した博士論文は不正な手段で行われたものだった。市倉によって告発された後、大学内で大騒動となり、友人は大学から、ひいてはその研究分野から永久に追放されることとなった。

 恨み言は本人から散々に浴びせられた。

 しかしそれを市倉は悔いていない。

 あの時出来うる限りの一番正しい判断をしたのだと今もそう思っている。

 けれど、りいは。

「俺のせいだな」

 匡孝が市倉の目元に残った涙を指で拭った。

「もういいよ」

 また今度聞くから、と匡孝が言った。

「…俺の苦労話の山場はまだ先だぞ?」

 冗談めかして言うと、匡孝は何も言わず手を伸ばして市倉のうなじに触れた。細い指が髪の生え際を辿り、そっと包み込んで引き寄せられた。

 匡孝の腕が市倉の頭を抱え込み、肩に載せるようにして抱きしめられる。

「それ…山場って言うの?」

「どうかなあ…」

 互いの声がひそかな笑いを含んでいる。

 匡孝の背に市倉は片腕を伸ばした。

 誰かの温もりをこんなに愛おしいと感じたことはない。

 こんなにも温かい。

 温かい。

 この手を。

「江藤」

 呼びかけると、ん、と匡孝が答えた。それを噛み締めるように聞いて、市倉は言った。

「おまえもう…俺と関わるな」

 ぴく、と匡孝の肩先が跳ねた。

「俺といるとろくな事にならない。おまえを巻き込みたくない」

「そんなの…」

 市倉を抱く匡孝の腕が強張った。

「俺はもう自分の大事なものを失くしたくないんだよ…」

 自分を抱きしめる匡孝の手を探り当てて、市倉はその手をぎゅっと握りしめた。

「おまえが大事なんだ」

「え…」

 びくんと跳ねた体をその手ごと抱きしめた。

 いつの間にこんなに近くなっていたのだろう。

 こんなに。

 こんなにも愛おしい。

「だから、俺から離れろ」

 匡孝が手を握り返した。指を絡めて、確かめるように強く握りこんだ。

「やだよ、そんなの…もう、負けたみたいじゃん」

 耳元で囁く匡孝の声に市倉は笑った。匡孝の指が不器用に髪を撫でていく。

「決着をつけるから。もう俺はこんなことは終わらせたいんだ」

 草場に言った決意は変わらない。

 でも、それでもどこか頭の隅では──いつか、何もせずとも終わると思っていた。

 けれど今日りいが匡孝を見ていたと知って、市倉は自分の考えの甘さに気がついた。

 こんなに大事なものをもう失くせない。

「俺といなければおまえには何もないから、だから」

「いやだ…いやだよ、なんで」

「江藤」

 匡孝の声が震えている。

「なんか、そんなの理不尽だろ。俺だって先生が大事だから、だから、どこにも行かないし、俺が守るんだし、それになんで、離れるとか、そんなことしなきゃなんないんだよっ」

「大事だから嫌なんだ。怖いんだよ」

「なんで?怖いことなんて何もないだろ…!」

「怖いよ。俺はすごく怖い」

「何が⁉︎」

 顔を上げると匡孝は顔を真っ赤にして泣いていた。涙の膜の張った目の右目だけからぽろぽろとしずくが落ちていて、市倉は苦笑した。まるでさっきと逆だと思った。市倉が出せなかった分の涙を匡孝が流しているようだ。

「何が怖いんだよ⁉︎大人だろ!」

「泣くなよ」

「せ、んせーがっ、変なことばっか言うからだろっ!俺のこと大事だとか、なのに要らないみたいに言うから…っ」

 わけわかんないよ、と言われて市倉は笑った。

「そんなこと言ってないだろ」

 匡孝はふいと顔を背けた。

 その横顔に市倉は言った。

「俺はおまえが彼女に傷つけられるのが怖いんだよ」

 怖くない、と匡孝は呟いた。

「そんなの平気だよ」匡孝は繋いだ手を握り返した。

「先生がいたら俺はそんなの怖くない」

「…そうか」

 市倉はその髪を撫でた。

「じゃあ…一緒にいよう」

 匡孝はこくんと頷いた。

 赤い目を覗き込んで市倉は笑った。

 絡めた指のまま手を持ち上げてその甲で涙を拭った。

 辺りがふっと暗くなった。イルミネーションのライトアップは0時までだ。気がつけば午前0時を回ったところだった。

 随分と遅くなってしまった。

 帰ろう、と市倉は言った。

「泣きすぎたな」

 赤い目の淵に指で触れる。

 視線がふと絡んで、込み上げる感情に市倉は息を詰まらせた。 

 何?と問いかける匡孝のまつげはまだ涙を含んだままだ。

 その気持ちをなんと言えばいいのだろう。

 もしも失くしてしまったら──

 一瞬足元が崩れ落ちる気がした。

「先生?」

 震える手で匡孝を引き寄せた。

 そこにいるのを確かめるように、市倉はまだ濡れている頬の、涙の跡に口づけた。



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