セミBL

チーズフライささ美

セミBL

 俺というセミが羽化したのは、特にこれといった特徴のないある夏の日だ。土の中から這い上がって脱皮すると、蒸し暑い気候が俺を歓迎している。ふやけた身体が固まれば、俺はすぐに木から飛び去った。

 メスがいそうな雑木林に向かう。俺の本能が、今すぐメスに向かってミンミン鳴けと追い立てる。木から木へと飛び移って手ごろな場所を探していると、同族の鳴き声が聞こえた。

 しまった、ここはもう既に他のオスのテリトリーだったか。ジジ、と思わず鳴き声が漏れる。すると、同族も音色を変えてきた。メスを呼ぶ鳴き声ではない。俺を呼んでいる。

 本能は相変わらずメスを誘えとささやいてきたが、好奇心には勝てなかった。他の誰でもなく、俺を呼ぶ声。俺は羽を羽ばたかせて音色の元に向かった


「やあ、来てくれたんだね」


 俺を呼ぶ声の主は、気さくな感じで話しかけてきた。俺は彼のすぐ隣へと着地した。


「俺を呼んだのはあなたか」

「そうだよ」

「俺は見ての通りオスなんだが」

「そんなの関係ないよ。メスでも別によかったんだけど、それ以上にさびしかったんだ」


 どうやら、彼はメスを呼ぶ本能よりさびしさが上回ったらしい。セミはオス同士で馴れ合う生物ではなかったはずだ、と俺の中の本能が告げた。彼は、怪しい。


「あなたは、本当にセミなのか?」

「見ての通りセミのオスだよ。でも、もしかしたら突然変異なのかもしれないね」


 なるほど、突然変異ならば全て説明がつく。メスを求める本能よりも、他の欲求を優先させるオスのセミ。


「ねえ、話そうよ。樹液のたっぷり出る場所、知ってるからさ」

「話すって、何を」

「土の中で何を考えてたとか、今日の太陽はまぶしいねとか、なんでもいいんだ」


 俺はしばし考えた。メス相手に子孫を残すには、樹液という食物も重要な要素になる。せいぜい利用してやろう。俺はよこしまな考えから、彼についていくことにした。

 樹液の染み出る場所は、そこからすぐ近くだった。木の表皮からあふれ出るほどの甘い液の香りが、俺の食欲をそそる。地上に出てから初めての食事だ。俺は夢中で液体を吸った。


「どう? おいしいでしょう?」

「ああ、うまいな」

「よかった!」


 俺が素直な感想を口にすると、彼は楽しそうにブンブンと飛び回った。彼は本当にメスに固執しないセミらしい。もし俺がこの場所を知っていたら、メスを連れ込んでさっさと交尾していたというのに。

 羽化したての俺はまだ身体が発達しておらず、小さな声しか出せない。メスに求愛できるぐらい大きな声を出せるようになるまでは、彼と一緒にいてもいいかもしれない。

 彼は大きな声で鳴ける、ということは俺より少し早く羽化したセミだ。外敵の出没する場所や時間など、生存に有利な情報を握っているかもしれない。


「地上の樹液がこんなに甘くてうまいなんてな。よしわかった、話し相手になってやるよ」

「本当!? 嬉しいな! これからよろしくね」


 心にチクリと罪悪感がわく。しかし、俺はそれに気付かないふりをした。






 それから、俺と彼は実に様々な話をした。地中で長い期間をすごしたこともあり、俺もいわゆるさびしさというものを感じていたのかもしれない。そう思うくらいには、話題は尽きることはなかった。枯れ葉の中で生まれた瞬間感じたこと、地中の根っこで吸った樹液の味、初めて地上に出たときのエピソード。特に劇的なものがあるわけでもなかったが、それでもよかった。俺の心の内の何かが満たされていく気がした。

 そうこうしているうちに、俺の身体が成虫として完成に近づいていく。つまりは、メスに求愛するための大きな鳴き声を出せるようになってくるということだ。俺は焦っていた。何を焦っているのか自分でもよくわからなかったが、彼と言葉を交わしているうちはその焦りを忘れることができた。彼とのお喋りは情報交換だ。つまり、生存に必要な行為である。そう自分に言い聞かせることで、心の安定を保っていた。

 しかし、他の誰でもない彼自身がその安定を壊しにかかってきた。


「ねえキミ、そろそろ大きな声で鳴けるようになってきたんじゃない?」

「……そうだな」

「大きな声で鳴くと気持ちいいよ! さあ、鳴いてごらん」


 俺は促されるまま、メスに求愛するための声を発した。今までとは桁違いの音量が、雑木林に響き渡る。


「すごい声だ! これなら、鳴き続けたらメスに届くはずだよ!」


 彼はまるで自分のことのように喜んでいた。


「なあ、もしここにメスが来たら、俺とメスがつがいになったら、……あなたはどうするんだ?」

「いやあ、二人の邪魔はしないよ。どこかまた別の場所に行くさ」


 俺はその言葉に激しく動揺した。自分でも驚くぐらいには、己の中の激情を揺さぶられた。


「……行くなよ」

「え?」

「俺は、もう鳴かない。だから、行くな」

「え、でも、メスを呼ばないと子孫を残せないよ? 僕みたいな突然変異の変なセミに付き合う必要は、ないんだよ? これまでたくさんお話してくれたこと、とっても感謝してるんだ。だから、そこまで迷惑はかけられない」


 彼はべらべらとまくしたてるように喋ったが、どうも本心を隠しているような不自然さがあった。


「あなたは俺といたくないのか?」

「いたいよ、……できれば、ずっと一緒にいたいよ」

「なら、最初からそう言えばいい」

「キミはどうなんだい? メスとの交尾の気持ちよさを一生知らなくてもいいのかい?」


 確かに、俺の本能はさっきから『メスに向かって鳴け』とやかましいくらいに煽ってくる。しかし、俺はそれ以上に目の前の彼と共に過ごす時間を選びたかった。性欲とはまた違う欲望で、本能を抑えつけ、ねじ伏せる。


「構わない。あなたと、ずっと一緒にいられるのなら」

「……どうしよう。嬉しすぎて鳴きだしそうだ」

「手本を見せてくれよ。メスを呼ばずに、思い切り鳴く方法を」


 彼は森中に聞こえるんじゃないかというくらいの大音量で、鳴いた。続いて俺も同じように、鳴いた。メスが逃げ出すような汚い音だったが、俺たちはそれでよかった。俺たち以外のセミはオスもメスもいらなかった。





 求愛をしないオスのセミ二匹は、できるだけ一緒に短い時間を過ごせるように睡眠時間を合わせた。時折彼の寝顔を見つめて幸せな気分に浸るのだが、互いに同じことをやっているらしいとわかると気恥ずかしくてしょうがなかった。

 枯れることのない樹液を飲み、相変わらず他愛もない話をして。おおよそ普通のセミでは経験しようのない、素晴らしいときを過ごせた。そう断言できる。

 彼への好意が、日に日に強くなっていく。俺より年上だが天真爛漫で、さびしがりやの突然変異。いや、俺もメスへの求愛を完全に取りやめたのだから同じ突然変異なのかもしれない。種の反映より己の欲望を優先させる、変わり者のセミ二匹だった。

 しかし、楽しい時間もそう長くは続かない。俺たちの生きる時間は、短い。


「ねえ……身体が動かなくなってきたんだ」

「……寿命、だな」


 先に生まれたほうが先に死んでいくのは世の常だが、それでも置いていかれるのは嫌だった。


「もっと色んなことを話してみたかった。もっとキミと一緒にいたかったなあ……」

「ああ、俺もだ」

「……気持ち悪いかもしれないけど、最後に言わせて。ずっと好きだったよ」

「俺も、好きだ。あなたを愛している」


 俺が本心からそう呟くと、彼は満足したように幹からポトリと落ちた。腹を見せたまま、完全に動かない。俺は鳴き叫んだ。まだまだ死にそうにない自分の身体が恨めしかった。

 ひとしきり鳴いた後、俺は木を離れた。森の中を突き進み、ある場所へ向かう。


『あそこは奴らの巣があるから、絶対に行っちゃいけないよ』


 生前の彼に忠告された、危険な場所だ。俺が到着すると、あっという間に黄色と黒の軍隊に囲まれる。

 モンスズメバチ。幼虫を育てるために俺たちセミを主食としている連中だ。


(さあ、喰ってくれ。俺を彼の元へ連れて行ってくれ)


 毒針に刺され命を失う直前、彼との思い出が走馬灯となって蘇る。


(待ってろ、今、そっちへ行く)


 生存本能にすら逆らった俺は、それでも幸せだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

セミBL チーズフライささ美 @chifly333

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ