第9話 東へ

 ウマルがベモジィを出立したのは翌早朝だった。


「それは、また急な……」


 寝床でウマルの出発の報を聞いた太守は目を丸くした。

 公邸に召し抱えられたばかりの若いカンクァは、日の出より早く出ていこうとする客人を、気の利いた言葉で引き留めることもできず、眠っている主人をわざわざ叩き起こしてまで報告することもできず、ひとり送り出したのだった。カンクァは太守が寝間着から着替えるのを手伝いながら、太守に世話になった礼も言わずに出発する非礼を、ウマルが詫びていたことを伝えた。


「……ふむ。一緒に朝食を摂ってからの出立でも遅くはならないだろうに。せっかくいくさ続きのタサから離れたのだから、もっと羽根を伸ばしていけばよかったのだ。悪い知らせを受け取ったわけでないのならよいが……よほど戦地を好むのか。いずれにせよ――」


 太守は緑色のローブを羽織るのに言葉を切った。


「ウマルのような優秀な若者たちが、自ら死に急ぐべきではない」




 ベモジィを出たウマルは、朝靄あさもやの中、黒い砂漠の道を馬で駆けた。前を見据えるウマルは、ベモジィでの出来事を過去へ――背後に置き去っていくことを決意しているかのようでもある。

 薄明の空をデデの黒い影がウマルを追って、徐々に白んでくる東の空へと滑空する。

 真っすぐに東にのびるセズトン大街道の先に太陽が昇る。新しい日の向こうへ。過去は背中に置いて、ウマルは進む。




 サイード・アルマリクがタサに到着したのは、ウマルの到着から十日後のことだった。

 東方蛮族掃討作戦会議に現れたサイードの金糸銀糸で縁取られた豪奢な鎧は、質素倹約を旨とし、実用的な革鎧を身に着けたタサの武人たちの中では場違いに見えた。

 鎧は無論サイードのためにあつらえられたものである。実戦で身に着けるのは初めてで、まだ革が固い。そのため動きがぎこちなくなるのもある。長身ではあるものの、痩せているサイードは、もともと鎧が映える体格ではない。

 無理矢理着せられたような鎧姿のサイードの顔は、一様に日焼けしたタサの軍人たちの顔の中で、色白を通り越して青白い。

 会議の末席に着座している筋骨逞しい同年代のウマルと比較すると、戦場での経験も違う。上座のサイードの頼りなさは一層哀れに引き立てられた。

 長い平和の続く首都ガパから出たことのない皇太子はその身に着けた、凝った刺繍の施された鎧と同じく「飾り」にすぎない。この次期皇帝の折れそうな華奢な双肩にエラムという大帝国の未来が安心して任せられるようには思えなかった。

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