第8話 恋

「お怪我は!?お怪我はありませんでしたか!?」


 慌てて降りてきたのだろう。ラフに纏ったシェイラからハーラの銀色の髪が零れている。月光がハーラの白い顔を照らし出した。紺碧色の瞳は見開かれウマルの姿を捕えていた。


「ああ。大事ない」


 実の妹に犯罪の瞬間を目撃され、きまり悪そうに項垂れているラクピから離れると、ウマルは


「明日の出立は早いので、今夜はここで失礼する」


と言って、ハーラに目礼し、踵を返した。


「待ってください!」


 この場から立ち去ろうと近付いてきたウマルの腕に、ハーラがすれ違いざまに触れる。

 それは意識的なものではなく、ほとんど反射的な行動だった。


 びくりと身体中に電流が走る。


 ハーラは思わずウマルの顔を見上げた。その漆黒の瞳に自分の驚いた顔が映っているのを認めた。


 時が止まる。

 それは一瞬の出来事だったが、永遠に続くもののように、ハーラには思えた。


 ハーラが我に返ったのは、ウマルがふいと自分から目を逸らしたからだった。

 腕に置かれたハーラの手をとると彼女に返した。

 ハーラの手を包み込むウマルの大きな手のぬくもりが、残る。

 彼女にとって、身内以外の男性の肉体に初めて触れた瞬間ということもあるのかもしれない。胸が脈打つ。息がつまって返す言葉が出てこなかった。


「今夜は、何もなかった。何も聞かなかった」


 ウマルの低く穏やかな声がハーラの胸に響いた。


「すべて忘れてください」


 ウマルはハーラに背を向けた。ハーラの胸が締め付けられる。


 ――呼び止めなければ……


 心臓が熱く脈打つのをハーラは感じた。呼吸は浅くなり、口が渇く。


 ――あの人が行ってしまう……!


 身体の内側から自分が壊れて行くような、激しい鼓動。

 くらくらと眩暈がして足は動かない。

 夜闇の中、離れていくウマルの背中だけが、月に青白く照らし出されやけにはっきりとハーラには見えていた。


 ――あの人の姿が闇の向こうに消える時、私は、あの人を忘れなければならないのだろうか。


 月闇の中、ハーラはウマルに繋がる、心許なく細い糸を必死に探して、手繰り寄せようと考えを巡らせた。しかしそれは、頭上に見える小さな星の瞬きを掴むように難しいことのように思えた。


 ――兄の罪は私の罪。それに……


「ハーラ、行こう」


 去っていく男の背中を見つめ続ける妹に、ラクピが呼びかけた。


 ――私には婚約者がいる。


 今宵、ハーラの胸に一瞬確かに燃え上がった恋慕の情は夢想。

 いずれ時が経てば忘却の向こうへと儚く消えていく砂上の楼閣に同じ。

 未来永劫交わることのないえにし

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