短編芥箱

澤ノブワレ

或る爆弾魔

 男は世の中が憎くて憎くて仕方ありませんでした。幼い頃から何をやってもうまく行かず、とうとう彼女も出来ないままイイ大人になって、今日の今日まで何の成功体験も無しに過ごしてきました。もう自分は生きていても仕方がない。そう思った彼はある日、インターネット掲示板に書き込まれていた爆弾の作り方を見て、

「うよっひぁー!」

と、思わず奇声を発したのです。


 次の日曜日。男は早速爆弾を作ると、とても素敵な笑顔で出かけました。もちろん、出来るだけ人の多い場所で、それも人々が楽しそうにしている場所で自爆テロを行うためです。しかし、彼はおおよそこれまでの人生で楽しい場所などに行ったことがありませんでしたから、取りあえず人の多そうな場所を選ぶことにしたのです。


 男が最初に選んだのは、家から近いスーパーマーケットでした。スーパーマーケットになら、幸せそうな家族連れが沢山いるだろうと思ったのでした。


「やーさーいー!やさいーがーいっちえーん!いちっえんー!」

 男がスーパーマーケットに着くと、妙にリズムの悪い売り声が聞こえてきます。声のする方を見ると、メガネをかけた小太りの店員さんが汗をだらだら流しながらメガホンを握っていました。なんだか汚らしいなと思いながらも、呼び込みをやっている近くにならじきに人が集まるだろうと、男はそちらへ寄っていきました。予想は的中。五秒もしないうちに、妙齢の熟女たちが集まってきました。

「家族連れではないが、いたしかたないな。まあ、家族が悲しむことを考えただけでもゾクゾクするし、これはこれでいいな。よし、うまくタイミングを見計らって……。できるだけ引きつけてから……。」

男は心の中で呟いて、口元が緩むのを必死で堪えました。


 しかし、男の目の前で繰り広げられたのは決して幸せな光景などではありませんでした。そこにあったのはブルンブルンと震えてひしめき合う脂肪と、それらが繰り広げる醜い戦いでした。擦れあうセルライト、飛び散る粘性の汗、乱舞する罵声。これが本当の肉弾戦。男は爆弾のスイッチを押すことも忘れ、ただただ唖然として見ているだけです。そうして永遠のごとき時間が流れた後には、猛禽類の貪った死骸のような売場が残されました。先程まで元気に声を張り上げていた店員さんはメガホンを持った手をぶらりと下げ、生気が抜けきった表情で立っていました。彼はしばらくそのままの体勢で斜め下三十度くらいをぼうっと見つめていましたが、

「何やってんだ、俺……。」

と呟いて、バック・ヤードの闇へと溶けていきました。

「殺伐としてるな……。」

男はトボトボと店を出ました。




 やはりこんな廃れた郊外では、人々のハッピータイムに行き遭うことが難しい。そう考えた男はバスと電車を乗り継ぎ、遊園地へとやってきました。園内から漏れてくる賑やかな音楽に心震わせ、男はいそいそとゲートをくぐりました。


 遠くまで来た甲斐がありました!園内は幸せそうな親子連れや黄色い声をあげてはしゃぐ中高生でいっぱいです。

「よーし。ここでなら……うひ、うぐぅひひぃ……。」


 特に男は結婚出来ないことに大変な劣等感を持っていましたので、なるべく親子連れが沢山いそうな場所を探しました。そして彼が目をつけたのはウサギの着ぐるみが風船を配っているコーナー。子供を連れた親が長蛇の列を作っています。男は今度こそと口端を締めると、ずいずいと進んでいきました。


 と、男の横を小さな影がものすごい勢いで通り過ぎていきました。そして次の瞬間、長蛇の列の前方から悲鳴が上がります。見ると、いかにも糞餓鬼といった感じのふてぶてしい小学生の男の子二人組が、ウサギの着ぐるみに向かって喧嘩キックを食らわせているではありませんか。


「シャアアアァァァ!こんの、ド素人がァァァ!」

「泣けぇ!喚けぇ!そして……」

あらゆる意味で小学生とは思えない台詞を発しながら、糞餓鬼たちの暴行は続きます。まさに地獄絵図。着ぐるみの中身が中年男性だということは、動きがちょっぴり疲れていることから明白。ですから、モラルの都合上、小学生相手に反撃することも出来ません。というか、そんな描写は間違っても出来ません。


「この糞餓鬼どもおぉぉぉ!!アリィ!アーリアリアリアリアリアリアリ!アリーベ・デ……」

……反撃してましたね。さすがは酸いも甘いも噛みしめた中年男性。小学生などでは相手になりません。いつの間にか被り物を脱ぎ、「見たか、これが大人の力だ。」と言わんばかりのドヤ顔で血塗れになった小学生を見下すその顔は、とても輝いていました。


 しかし、その栄光も束の間でした。返り血と陽光を浴びて燦然と輝く中年男性の前に現れたのは、そう、ペアレンツ。しかも普通のペアレンツではありません。二人揃って、体中はおろか顔面からもジャラジャラという金属音が聞こえ、頭髪はベネトン・フォードカラー。世にも珍妙なペアルック。きっとオシドリ夫婦なのでしょう。しかし、目は完全に座っていました。彼らはガクガクと震える中年男性を挟み、肩を両脇から掴むと、そのままどこかへと消えていきました。


 スイッチをポケットから出すことさえ出来なかった男は、遠くから聞こえる「土下座」とか「ツイッター」とかの怒号を背に、すごすごと遊園地を後にしたのです。




 もう日は暮れかかって、そろそろお家に帰らないとママに叱られる時間です。男の門限は五時ですから、今から帰ってもきっと間に合いません。男はママの鬼の形相を想像して少し涙ぐみました。そこで、どうせ叱られるのなら、もう一カ所だけ思い当たる節を当たってみようと決意しました。


 男が最後にやってきたのは、ちょっとお高めの大きなショッピングモールでした。ここなら人も沢山いるし、スーパーみたいに殺伐としていないだろうし、全体的な民度が高いから遊園地みたいなこともないだろうと考えたのです。しかし、その予想はモールの入り口で早くも裏切られました。ショッピングモールは驚くくらいに閑散としていましたし、入り口を入るなり怒声が聞こえてきたからです。


「ふざけんじゃないわよ!こんな閑散とした場所だなんて聞いてないわよ。こんなんで売り上げが出るわけないじゃない!」

「いや、そんなこと言われてもですね。出店している以上は出店料を納めていただかないと……」

「は?その出店料だっておかしいでしょうよ!売り上げに関わらず月に二百万だなんて、鬼畜なの?米英なの?」

「は?いや、だから契約は契約でしょうが!」

どうやらショッピングモールの管理会社と、管理会社に嘘八百を吹き込まれて出店してしまった婦人服店が言い争っているようなのです。とても険悪な感じでした。


 その光景を見た男の中で、何かが弾けました。そう、婦人服店の女性店員は、とても男の好みでした。それはもうイイ感じの、本当にイイ感じの熟女だったのです。

「ああもう、さっきからピーピーギャーギャー五月蠅いんだよ!とにかく、明日までに二百万納めろ!でないと、強制退店の上で訴えるからな!何なら風呂に沈めてやってもいいんだぞ!」

その脅し文句を聞いた熟女は、さっきまでの勢いはどこへやら、泣き出してしまいました。

「そんな……。私、夫と別れて、一人で六人の子供を……」


 熟女の涙と、彼女が独身であるという事実と、さらには子持ちであるという設定とに、男はすっかり参ってしまったのでした。そう、男は、すっかり彼女に参ってしまったのです。もう一度言います。男は彼女に参ってしまったのです!


 それは男にとって初めての感情でした。胸が苦しくて、顔が上気して、とてもやるせない気持ちになったのです。

「はっはーん!子供が六人もねぇ。じゃあこんな寂れた店をやってるより、それこそ素直に沈んだ方が稼げるんじゃ……」

「やめろおおぉぉぉ!!」

男は自分でも気がつかない内に叫んでいました。うおおぉぉっという雄叫びを上げながら、男は走っていったのです。




 男は大切なものを手に入れました。息子に手を引かれてヴァージンロードを歩く熟女の姿に、男は至福の時を感じていました。あれから熟女の子供を養っていくと決意した男は、死に物狂いで職業訓練所に通って、死に物狂いで働いて、人並みのサラリーを得るようになりました。初めはどん引きしていた熟女ですが、その熱意に惹かれて再婚を決意したのでした。男のママは三十歳差婚に猛反対しましたが、生まれ変わった男に敵はありませんでした。


 神父様が祝福の言葉を並べます。教会全体が、幸福に包まれていました。


 最後列に座った三人は特別に素敵な笑顔で二人を見ていました。三人はみな、新郎の知り合いです。スーパーで一生懸命働いている姿を汚らわしい目で見られたメガネの男と、拉致されるところを見て見ぬ振りされた中年男性と、風呂に沈める予定だった女を横取りされてヤクザから逃げる羽目になった男です。

 

 三人は満面の笑みを浮かべて、ポケットの中に忍ばせたスイッチへ親指を掛けていたのでした。

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