第26話【紙ヒコーキの暗号】

 次の日日曜日、俺はいてもたってもいられず朝から真っ暗闇の中はしごを昇っていた。昨日のテレビCMの結果は?

 俺が暖炉の中に顔を出すとちょうど井伏さんがしゃがみ込み鉄の棒を外しているところだった。「うわぁっ!」と双方が大きな声。俺は即座に頭を引っ込めた。


 時間をやり過ごし鉄格子が暖炉から外される頃を見計らい、俺は井伏さんの部屋に這い出た。


「あのっ、見えてませんから安心してくださいね」俺はびくびくしながら言った。

「見えてないってなんのことでしょう……?」井伏さんは丸テーブルに寄りかかりながら天井の方に視線を彷徨わせそう言ったのだが即座に、

「そんなものの話しをしている場合じゃないです。飛んできたんですっ‼」

 そう言いながら井伏さんが腰をねじりテーブルの上から取り上げた物は紙片。それをハタハタと振っている。

「紙飛行機がっ⁉」俺は声が絶叫調になっていることを自覚した。その紙片には、再び折れば明らかにヒコーキになりそうな折り目がついていた。

「はいっ、日本語が書かれています! こんな時にこんなことを言うのは不謹慎なんだろうけど、でもねカモさん。わたし嬉しいんです。だってとーこさんに通じたんですよ!」

 

 暗号めいたあのメッセージがドンピシャリと〝ど真ん中で通じてしまった〟と思っている井伏さんは心底幸福そうに見えた。

 だがこれについては俺のメッセージの効果じゃないかと思えるのだが、そこは黙っておこう。


「だけどとーこさんも暗号文で書いてきているんです。なのであなたに読んでいただきたいんです‼」

 暗号? そんなものが俺に解けるのか?

「どんな感じで?」

「はにらち街か、って」

 ハニ拉致町? なにそのぶっそうな暗号。

「ちょっと見せて下さい」そう言って俺は紙片を井伏さんから受け取る。


 そこにはこうあった。



 私たちは

 西市街に

 いるから


「……日本語は横書きもアリなんです」俺は言った。

「——その際は左から右へ向かって読むんです。だからこれは『私たちは西市街にいるから』となります」


 井伏さんはなんとも言えない表情になった。目が泳いでいる。


「まあ、横書きの国語辞典は無いのでしかたないかなぁ、なんて」

「すっ、すみません。慌ててしまって。よく見れば分かりましたよね」

「まあ、慌てることは誰にでもありますよ」

「でもそういう中身なら少し変じゃないですか?」

「と、いうと?」

「どうして『私は西市街にいるから』じゃないんでしょう? 『達』は複数を表すことばですよね?」

「もちろん複数を示しています」

「それはとーこさん以外の誰かもそこにいるって意味ですよね?」

「そうなりますね」

「カモさんは誰だと思います?」

「これまでの経過など状況から考えて犯人である可能性が高いです」

「ということは、未だ犯人はとーこさんを解放していないと言えます」

 う〜ん……

「しかし確実に言えることは『政略結婚を解消しろ』だとか、その手の要求は一切書かれていないということです」

 今度は井伏さんがう〜んと考え事。

「——前は本当に友だちに見えたって言っていたのですよね?」

「そ、それはあくまで自分の主観で」

「そこは確かめてみないと分かりませんよね……でも……」

「はい?」

「感じからして犯人はわたしの書いた新聞メッセージを正確に訳してとーこさんに伝えた、ですよね?」

「そうなりますかね」

「どう思います?」


 どういうことだ? この紙ヒコーキをこの建物の敷地に向け飛ばした行為の動機に、不純なものが混じっていないか? という意味なのだろうか? 俺は敢えて声に出して訊いてみた。

「犯人が本当に桃山さんの友だちなのか? それとも何かを企んで桃山さんに助力するポーズをとっているのか? ってことですか?」

「ええ、まあ」

 俺はもう一度紙片に目を落とし件の文面を確認する。


 あ。れ?


「今気づいたんですが、これは〝国語的解釈〟ってことになるんですけど、この文は文として中途半端です」

「どういうことでしょう?」

「例えばですね。〝今どこにいるか〟だけを伝えたいのなら『私たちは西市街にいる』だけでいいんです。ところが文面はそうはなっていないわけで、『から』というのが付け加わっています」

「今いる場所を伝えた上でこの後になにか続けたいことばがある、ということでしょうか?」

「そう考えます」

「とーこさんはそこまで考えられる人ですか?」

「はい。俺の記憶の中ではかなり勉強ができました」

 小学校時代、国語の授業で頻繁に発表していた記憶はかなり濃い。『国語』には覚えがあるはずだ。「——だからこの文面も、この文面でなければならなかった理由があるはずです」

「だけど続きは書いてありません。なぜです?」

「きっと何かを警戒したんでしょう」

「カモさんはこの続き、どう付け加えますか?」

「犯人グループは井伏さんと王子の『婚約の破棄』を要求していました。まずは試しにこれを繋げてみようと思います」

「『私たちは西市街にいるから婚約を破棄しろ』……」井伏さんがつぶやくように口にした。「——なんかおかしいですね。文意がしっちゃかめっちゃかです」

「同意見です」俺は言った。

「別の考えはありますか?」井伏さんに訊かれる。

 俺は思考を始める。

「例えば……、『私たちは西市街にいるから心配ない』でも文意としては通じます。でも〝安心してくれ〟という意味のことを言いたければ文面を省略する必要は無いわけです」

「そうですね……じゃあ省略が必要となると……」

「SOS、救難のメッセージなら、全てはすとんと腑に落ちます。『私たちは西市街にいるから動けない』、『私たちは西市街にいるから来てくれ』とかです」

「ズバリ『私たちは西市街にいるから助けて』でもいいわけですね」

「その通りです!」


「つまり犯人の人も『助けて』と言ってるんですか?」井伏さんに訊かれてしまった。


 一筋縄ではいかない。


「犯人までがとーこさんといっしょに現れるとするといろんな意味で危ないんじゃないですか?」井伏さんがさらに疑問を呈した。

「確かにそうです……」俺は言った。正直桃山さんには一人で現れて欲しかった。

「警察の出動はどうします?」井伏さんに訊かれた。

「西市街という場所が示されたわけですから後は捜索あるのみです」

「頼みたいのはあくまで〝捜索〟で、犯人逮捕じゃないってことですね?」

 井伏さんの頭の中には俺が言った『犯人立て籠もって強行突入、銃撃戦』があるのは間違いない。

「すみません。身勝手で」

「その希望はわたしが責任持って伝えます。あくまで〝希望〟ですけど」

「お願いします」

「でも——」と俺。「でも?」と井伏さんから返ってくる。

「例えば、警察の手を借りずに捜索することは可能ですか?」

 井伏さんは僅かに視線を逸らした。

「わりと広いです西市街って。場所を示すにはあまりにも大ざっぱすぎるというのか……」

 どうやら組織力を使わないと無理らしい。

「カモさん、」井伏さんにまっすぐ見られた。「最後の確認ですが、警察に出動を要請していいんですね?」

「はい。要請します」



 ここでようやく俺はここにいない人のことについて思い出した。

「あれ? 王子は?」

「あの人ならまだ寝てます。もちろん別の部屋ですが」

「いいんですか? 声を掛けなくて」

「なんでわたしがあの人を起こしてあげなきゃならないんです。自分で起きてくるべきなんです!」

 しかし密室で王女と二人きりなど————。俺が要請する形で王子が起こされ連れてこられた。井伏さんは王子に対しざっとここまでの概要を早口で説明し、その後に、

「もうとーこさん奪還作戦が始まっています」と高らかに〝開始〟を告げた。


 だが結局警官隊任せ。犯人がどこかに立てこもったら銃撃戦になるかもしれない——

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