第8話【異世界警察の者ですが】

 あと少しで夕飯を食べ終わろうかというその時、ピン・ポンと音がした。俺は直感的に誰が来たのかを悟り「ご飯はすぐ食べるから」と取り繕い大慌てでインターフォンに出ると、『カモさんか?』と声がする。王子の声だ。俺は玄関へと向かう。玄関の鍵をカティンと縦にする。その音を確認したものかすかさず玄関の扉が開く。


 俺は声を出せなかった。どうして、三人も、人がいるんだ?

「ごめんなさいっ」と言って頭を下げた人物がいた。

「王女っ」俺は思わず言っていた。紛れもない。それは仮称井伏さんだった。

「もうわたしの正体……ご存じなんですね……」そう言われた。つまらない冗談は言わなさそうな感じの人だ。これは本当なのか。

「あの公園にひとりで来たところを見つけてね、いっしょに来たんだ」王子が言った。


 その直後だ——

「話しが長くなりそうな上に事は急を要します。夜分たいへん恐れ入りますがこの家に上がらせて頂きたいのですが」と上から声がする。目線を上に上げるとかなりの長身、細身だが屈強そうな男がいた。背広姿。こいつも日本語を喋っている。


「紹介しよう」と王子。「——彼は王立警察の特務警察官でね。階級は警視。名前は……、カモさんには長すぎるから省略でいいか」


「誰なの?」と奥から母親の声。まずい。王子と王女は同級生や友だちでごまかせてもこの警察官だけは同級生にしては老けている。言い訳のしようがねぇ。


「今日俺を送ってくれた友だちが来てくれたんだ。ちょっと話しをしてくから!」俺は適当な事を言い、「王子、あまり足音を立てず俺の部屋に行っててくれ」と三人に指示した。よく分からない人間を自分のいないところで自分の部屋に入れておくと何されるかわからないのだが、王子と王女と警察官なら間違っても間違いは起こらないだろう。連中の自己紹介を100%信用すればの話しだが。

 俺は三人が階上に姿を消したのを確認して戻り、残りのご飯を大急ぎでほおばった。




 タタタッと小走りに階段を駆け上がり俺の部屋に入ると三人は仲良く(?)円陣を描くように床の上に座っていた。しかも正座で両手は膝の上で。ベッドもあるのにそれに腰掛けようとする者はいなかった。これは相当に日本文化(?)に関しての知識を仕入れているのか。

 この態度で悟った。間違いなくこの連中の素性は良い。


「鍵はかかりますか?」警察官が低く抑えた声で俺に尋ねた。

「かけられますが」

「ではお願いします」

 俺は部屋の鍵をかける。しかし、まさかこんな中俺だけベッドや肘掛け付きの椅子に座るわけにもいかず俺まで床の上に正座してしまった。王子と仮称井伏さんは婚約者だったはず。その真ん中にだけは割り込まないようにと王子のもう一方の隣りに座ることにした。つまり王子と警察官の間。必然的に俺の正面には仮称井伏さんの顔。


 改めて近くから見てみてもやっぱり非の打ち所がない。この顔なら王子がぞっこんになるのも無理はないし桃山さんだってこの顔に惹きつけられ引き寄せられたんだ。その割に腹も立たないのはそのしおれ具合、元気の無さが手に取るように見えるからなんだろうな。

 俺がここまで冷静でいられるのは最初から縁が無い、既に誰かの婚約者なんだということを予め知っているからだ。だがこんな事はどうでもいい。あの怪電話についてだ。


「本当にちょうどよかった。怪しい電話が俺のケータイに掛かってきたんだ。『恋人を預かったとかなんとか』って」俺がそれを言った途端に仮称井伏さんの目から涙が三滴四滴五滴六滴と正座した腿の上に立て続けに落ちる。

 えっ? ええっ? と俺は動揺する。


「ちょうどよく此処に来たんじゃありません。偶然来たわけじゃないですよ、カモさん」王子が言う。

「偶然じゃないってことは必然なのか?」

「『その電話』、我々のところにも掛かってきたんですよ。間違いなく桃山さんは事件に巻き込まれています」

 その王子の声で仮称井伏さんは右手を床につき上体も崩れてしまう。「うっうっ」という泣き方のままこらえるように声を抑えている。

 〝気品〟とはこういうものなのか。この非常時に妙なことを考えてしまう。


「これって誘拐事件ですよね?」俺は反対隣りの警察官に話を振る。が、警察官は小声で無関係な返事をしただけだ。

「この部屋から複数の声が聞こえたら家人に怪しまれますからね」と。

「実は部屋の真ん中で密集して座ろうと言い出したのも彼でしてね」と王子が言う。

 この円陣の正座も必然的に顔が近くなるっていう合理的な理由があるってわけか。

「というわけで会話は私が担当で私が間違ったことを言ったときに限って彼が訂正なり補足するんだ」とさらに王子が付け加えた。


「なにか要求を報せてきたんじゃないのか?」俺は問う。

「カモさん、鋭いね。我々のところには要求を報せてきたのです」

「なんで王子のところに要求が行くんだ? 親でもないのに。だいたい同じ他人の俺のところにはなにも無かったが」

「簡単な事です。カモさんに要求しても意味のない、いや、実行不可能な要求だからです」

「いったい犯人グループは何を求めている?」


「私とミーティーの婚約解消です」


「は?」


「『なんだそりゃ』って顔してますね」

「思い出したぞ。俺のケータイに掛けてきたのは女の声だった。女だったぞ! 王子っその女に心当たりは無いのか?」

「カモさん、ずいぶん低い話しにしてくれていますね。それではまるで事件の背景は三角関係のもつれだと言わんばかりじゃないですか」

「いや普通の発想じゃないのか? 王女の性格を熟知する犯人が王女の親友を誘拐し王女に婚約を解消させる、辻褄は合う」

「悲しいかな合ってしまいますね」

「『違う』って顔してんな」

「もうちょっと背景は高尚だと思いますよ」

「それじゃあ犯人の方にたいそうご立派な犯行動機があることになる」

「またまたカモさん鋭いですね。私がこの前言ったでしょう? この婚約は政略結婚なのだと。しかも国境を越えた、ね」

「オイ、だとすると犯人は国際テロリストってことになるじゃないか」

「まあ私の立場では犯人をテロリストだ! と断罪することもありでしょうね」

「違うのか?」

「『この結婚は国のためにならない。禍根を残す』と一部『愛国者』連中が騒いでいてね」

「なんか変だぞ。お前は王子で王様の家族だろ?」

 ゴホッと突然咳の音。警察官だった。王子をお前呼ばわりしちゃったのがまずかったのか?


「なるほど、私のことを『できないことなど何一つ無い絶対権力者の一族』だと思っていますね?」

「間違ったか?」

「半分当たりで、半分ハズレ」


 俺が憮然として黙り込んでいると王子は続けた。

「私の国では『王』と言えども勝手気ままなことはできなくなっていてね、何かをやろうというときは議会の承認が要るんだ。他国の王室との政略結婚というのは要するに外交の案件だから議会の投票に掛けられた。ところがだ——」

「ところが?」俺はおうむ返しに言う。

「議会の承認が得られたものの票差は僅差。『かろうじて』認められたってわけ」

「じゃあ問題は解決しているじゃないか」

「〝僅差〟ってのが問題なんだよね。つまり一部『愛国者』連中というのがけっこう国の中、半分近くいてね、その中のさらに一部が『王室が議会の一部を買収した』などという噂をばらまく始末で」

「あの……さ、こう言っちゃうのはどうかと思うけど、そういう奴らを逮捕しないんだな」

「いや、逮捕するための法律はあるんだよ。『議会侮辱罪』っていうのが。だけど誰が噂をばらまいているか分からないから誰も逮捕できない」

「……『王』って思ったほど偉くないんだな………」

「そうなんだよね。王がその程度なら、まして『王子』なんてなーんの力も無いわけよ」

 この時低い声が静かに耳に響いた。

「少し片面的過ぎますね」それは警察官だった。

「分かっているよ。みなまで言うな」王子が応じて言う。そして今度は隣の仮称井伏さんに視線を送り、「申し訳ないが言わせてもらいますね」と声を掛けた。

「言わないで下さい」

 俺の真っ正面にいる仮称井伏さんが言い切った。俺の目を真っ正面から見ながら。目尻にはまだ涙が残ってる。なんだこの『ほえー』っとした感覚は——。仮称井伏さんは続ける。

「この集まりは『カモさんのために』です。だからわたしの口から言います」

 俺は気の利いた返事もできずにいた。


「婚約に反対する人はわたしの国にもいます。むしろわたしの国の方が反対する人が多いくらいです。もっとも誰もそんな人の数を数えようともしませんが。だからこの事件の犯人はわたしの国の人である可能性も高いのです」


 俺は話しの続きを待った……が話しはこれで終わってしまった。もっと何かもっともっと込み入った話しをしてくれるのかと思っていたがある意味拍子が抜けてしまった。

 だが分かったことがあった。仮称井伏さんもまたあの機械を使ったのか最初に会った時に比べると日本語の会話力が雲泥の差になっていた。桃山さんも協力してあげたらしい。

 警察官はもう何事かの音を唇に乗せるようなことはしなくなった。どうやら犯人を自国の人間のみに限定するかのような話しの流れが気にくわなかったらしい。


「じゃあ誰が犯人か見当がつかないってわけか」俺が言うと王子が口を開く。

「犯人がどちらの国の人間かだなんて分かったところで意味はないよ。結局この婚約に反対しているんだから」

「王子——」、またあの低い声だ。


「私のような立場の者からすれば国内犯か国外犯かの違いは重要です。そもそも逮捕できるかできないかについて場合と場所が絡んできますし、たとえ逮捕できたとしても処罰の問題が次にやってくる。国内犯なら簡単なのですがね」

 この警察官の言い草、まるで最初から犯人を国外犯だと決めてかかっているかのようだぜ。これに応えるように王子が喋りだす。

「そうだな。君の立場ではな。私の立場では〝恋は盲目〟だ」

「それはつまり犯人の要求を断るということですか?」その声は仮称井伏さんだった。場に緊張感が走る。


「断りたいね。結婚が第三者の妨害によって流れるなど認められない」

「わたし達の結婚は第三者が決めたのが始まりでもですか?」

「出会いのきっかけが第三者などということはよくあることだ。別離のきっかけが第三者であることは許せない」

「まだくっついていません」

「確かに。厳密にはそうだな」

「わたしが何を言いたいのか分からないのですか?」

「残念なことに人の心の内を透かして見ることはできない」

「〝とーこさん〟はどうなってしまうのですか?」


 『とーこさん』——はきっと桃山さんのことだな。会ってからたぶん数十時間程度しか経っていない人だと思われるのに……これって本来俺が言うべきセリフだったよな……

 しかし言うべき事を言えないのはなにも俺だけじゃない。王子はなにも言えなくなってしまっていた。何か言うべきだろ! と人ごとながら突っ込みたくなる。俺は心の内だけで突っ込んだ。俺もこの王子も男としての格が相当落ちた。

「カモさん」

 突然仮称井伏さんに話し掛けられた。

「はい……」

 この場合の『カモさん』の『さん』は敬称のように感じる。いやそういうことにしたい。

「本当に申しわけありません。わたしみたいな者と関わったためにあなたの大切な〝とーこさん〟が……さぞわたしを恨んでいるでしょうね。だからわたしこの事件のこと隠さずに全部話します!」


 『あなたの大切なとーこさん』……か、全然そんな相思相愛レベルに達してなくて、俺がここにいる理由は道義的責任で……なんてことは言うのに変で、ただ話しを聞いているしかない。


「いまから誘拐事件が起こった時のことをお話しします。とーこさんは本当に心の大きくてお優しい方でした。わたしの婚約についての話しもずっとずっと聞き続けてくれました。そんなときです事件が起こったのは———」


 俺は身を乗り出し一言半句も聞き漏らすまいとする。


「突然とーこさんの部屋の扉が開かれました。顔を隠した四人……、でも本当は全部で何人かは分かりません。いきなり部屋に押し入って来てとーこさんの上に乗り、あっという間に縛り上げたんです。それでもとーこさんは暴れて抵抗していましたがそのうち一人がわたしに凶器を突きつけたみたいなんです。なにか尖ったものが視界に入りました。その時です。わたしの方を見たとーこさんが抵抗をやめ止まってしまいました。その一瞬の隙に身体も口もぐるぐる巻きにされてしまったとーこさんは声をたてることもできずに連れ去られてしまいました。わたしになにかを突きつけた人はわたしに危害を加えるでもなく一緒に行ってしまいました。わたしはとーこさんの部屋で独りになってしまいました」


 どうやら話しはここで区切られるらしい。


 だが俺は合点がいってしまっていた。俺の隣にいる警察官が仮称井伏さんの国の人間が犯人ではないかと疑うに足る相当に濃い理由がある……。

 俺が警察官の方をチラ見すると向こうもこっちを見ていて目が合ってしまった。「どうだ分かったろう」と言わんばかりに見えたのは俺の思い込みだろうか。


 だがこうも言える。仮称井伏さん、いや王女さまと言った方が分かり易いが彼女は自分にとってかなり不利となる話しをあけすけに話した。

 誘拐されなかったのは王女で、誘拐されてしまったのが単なる一般人であったという結果は動かせないとしても、殴られるでもなく縛られるでもなく無傷で済んでしまった経過についてもうちょっとマシな状況描写もあるはずだ。

 例えばトイレに二人同時に行くことはないだろう。まして学校でもないし。つまり桃山さんが一人でいる時を狙って襲われ誘拐された、という証言だってアリのはずなのだ。それをわざわざ選んで不利になる証言などするだろうか? つまり逆に真実味がある……


 話しが終わったようである以上は何か反応が求められるところだろう。王子は犯人の要求を吞むことについて否定的。逆に仮称井伏さんは犯人の要求を吞まなければ桃山さんが……という立場。


 俺の立場は……どう考えても仮称井伏さんの側だ。それは言わねばなるまい。ただし道義的矛盾があることは否定しない。


 俺は王子に向かって『ま、女は諦めろ』という大意のことを言おうとしているも同じである。にもかかわらず俺は同時に『俺の女は救出しなければ』という大意のことを言おうとしていることになる。

 しかしその点は王子側も同じ。婚約は破棄しない、は『俺の女は諦めない』と言っているも同じ。その場合の人質に取られた桃山さんについては『ま、女は諦めろ』という大意のことを俺に言っているも同じである。

 つまり他人に向かっては女を諦めろと要求する一方で自分の女には執着するという見事に身勝手なことを互いに言い合う構図となる。まあ『諦めろ』の中身、深刻さの度合いは違ってはいるが。この事件を起こした犯人達、こういう手で仲間割れを誘うという意味では策士かもしれない————


「〝とーこさん〟……いや桃山さんがどうなってしまうのかと言ってましたよね」俺は言う。

「はい」仮称井伏さんは真っ直ぐな目で俺を見て言う。


「交渉します」俺は言った。

「こうしょう?——」王子が裏返ったような声を出す。

「交渉して助け出します」俺は断言した。

「犯人の要求を吞むということですか?」と仮称井伏さんが尋ねてくる。

「いえ、それは譲歩としか言えません。交渉とは犯人にもこちらの要求を吞ませるということです」俺は再び断言した。〝こちらの要求〟とはもちろん桃山さんの救出だ。

「それで〝とーこさん〟を助けることができますか?」

 仮称井伏さんの目は俺を直視している。


 偉そうなことを言いながらも俺は悟っていた。なにをか? 俺の言ったことなどしょせんは『まやかし』に過ぎないのだと。犯人の要求をはね付けるでもなくかといって吞むでもなくの、あるはずのない折衷案を求めることを『交渉』などと言っている。それを見透かされたかのように仮称井伏さんに言われている。〝助けられるのか?〟と。


「助けます」俺は三度断言した。


 完全なハッタリだった。俺は追い詰められると開き直るわけじゃないがついこれをやらかしてしまう。仮称井伏さんは両手をぎゅっと握りしめその拳を見つめるように下を向いた。そしてやおらバッと顔を上げ、

「助けることができますかなんて言ってごめんなさい。助けなきゃですよね」と言い切った。俺は自分でこのやり取りに感動してしまう自分を覚えたがここで水を差された。例の低い声である。


「あなたに交渉の経験はおありですか?」警察官は無表情で言った。

「そんなものは無い」

「なら無理でしょう」

「ただ、王子の国でもなく王女の国でもない第三国の人間であるという立場は交渉者の立場としては中立的で悪くないはずだ」と俺は反論した。

「なるほど……それは一面道理です。しかし一面、あなたが素人であることは間違いない」

「プロであるあなたのアドバイスは受け入れるつもりですが」

「ではさっそくアドバイスを受け入れてもらいましょうか」

「どんなです?」

「『誘拐事件を起こした』という犯人グループからの第一報があってから既に約二時間が経ってしまっています——」

「まさか、もう手遅れだと言うのか⁉」

「我々が誘拐事件が起こったと知ったのは今日ですが、桃山さんでしたか、彼女は昨日も学校へ来ていなかったのですよね?」

「そうだけどそれがなに———」まで言ってようやく合点がいった。


「まさか、『誘拐事件は昨日から始まっていた』、とか言いたいのか?」

「早速ご理解頂き幸いです」


 そう言や俺、肝心なことを聞いていなかった。王女に。

「王女、事件が起こったのは今日ですよね?」俺はそう問うた。

 仮称井伏さんは蒼ざめた顔でしかしカッと目を見開いたまま無言でいた。その目線は真っ直ぐ警察官を射抜いている。だが確かに仮称井伏さんは『事件が起こった日』つまり今日か昨日かについてはそこをぼやかした。これは単に忘れたのかそれとも故意か。


「事件は今日起こったとミーティーから証言を得ている!」王子が同郷人に向かって声を荒げる。だが事件が起こった日を証言する者は仮称井伏さんのみなのだ。この警察官は王女の証言を頭から信じていない。俺は王子を制し先を促す。

「アドバイスというのはそれですか?」

「話しはまだ終わっていません。先を続けてよろしいでしょうか? それとも聞きたくありませんか?」警察官は丁重だが威圧感を隠そうともしない語調で尋ねてきた。

「聞きたい」

「ここから後は完全な私見です。私は誘拐事件は今日ではなく実は昨日から始まっていた可能性があると考えています。なのに犯人グループの要求は今日になってから行われた。この空白の一日に何があったのでしょうか? 私は誘拐事件の被害者を同情心によって絡め取るための工作を実行する期間だったと考えます。いまや誘拐事件の犯人と誘拐事件の被害者が通じグルになっている可能性がある——」


 どこかで聞いたような……確か〝ストックホルム症候群〟とかいうやつか。


「かなり妄想が入っているんじゃないの?」俺が嘲笑的な皮肉を込めて全否定してみる。とは言いながらも桃山さんの『他人に頼られると面倒見が良い』という性格はこの手の工作に利用される可能性が無いとは言えない。まして桃山さんはこの婚約に気乗りがしないという相談を仮称井伏さんから受けていただろう。犯人グループがこの婚約の解消を求めているなら情的に絡め取られる危険はかなりある……


「妄想と来ましたか。だがこう考えるのにはそれなりの根拠がある。王子と王女がこの世界——日本とか言いましたか——ここに婚前旅行に来るというのは限られた人間しか知らない情報です。すると犯人グループは王子と王女の婚前旅行の行き先をどのような手段で手に入れたのか? どこから情報が外へ漏れたのか?」

「そ、れはだな……盗聴とか、通信傍受とか」

「無難な考えですが『人から聞いた』もかなり可能性としてはあるんじゃないでしょうか?」

 この男、明言こそしていないが『犯人は王女本人から婚前旅行のことを聞いた』と言ってるぞ!

「——被害者までが犯人の一味と化しているなら交渉の余地などあるはずがありません」

 この警官、桃山さんを絡め取った張本人、その真の黒幕は王女だと言いたいのか?


 王子の方に視線を送ればただこわばったような顔をしているだけ。お前が何か言ってやらないとまずいんじゃないのか?


「う……しかしだっ、必ずしも王女の国の側から漏れたとは限らないだろう!」

 なぜ俺が、と思うが、仮称井伏さんがそう悪いことをする人に見えないという直感のまま反応してしまった。

「王女さまも言っていたでしょう? この婚約の反対者の割合は王女さまの国の方が多い。我々の国の方では確実に賛成者の方が多数派ですから」

「だからといって犯人はいないなどと言えないぞ!」

「さて、あなたが考えるべき第一義は桃山さんの救出のはずです。先入観で『犯人がどこにいないか』を決めつけてしまっていいのでしょうか?」

「……」遂に俺は何も言えなくなってしまった。


 その時階段を上がってくる音が。しまった! 俺たちはどれくらい話し込んでいた? しかも俺と王子以外も喋りまくりだったぜ。ノックと同時にドアを明けようとガチャガチャ音がする。鍵がかかっているので当然開かない。

「開けなさい」と母親の声。たぶん既に声は外に漏れている。ここは開けるしかない。

 ドアを開けると母親の姿。目を丸くしていた。そりゃそうだろう。二階にいるのは俺の高校の生徒に化けた王子だけのはずなのにどこの制服だか分からない制服もどきをきた女子(仮称井伏さん)にどう見ても同級生に見えないしカタギにも見えない男(王子の国の警察官)までが家に上がり込んでいたのだ。まずい!


「三矢、この方達は?」母親が当然すぎる問いを発する。

「実は、もの凄く深刻な相談を受けていて——」場の空気が凍りついたように静まり返る。「恋のもつれなんです」と言った。

「——両想いじゃない男女の問題は深刻で話しが長くなってしまって……」とさらに続ける。


「こちらの方は?」母親は警察官の方に手を向ける。クラスメートって顔じゃねーっ!

「え、と友だちの家の執事です」他に言いようがなかったのか、俺よ! と自身に突っ込みたくなったがそれ以外思いつかない。だいたい黒ずくめの上下なんて執事じゃねーか。

「まあ、そうお金持ちなのねぇ」母親が間の抜けたことを言う。俺が間の抜けたことを言うからこうなるのだろう。しかし王子の国で雇っているんだから執事みたいなもんだろ! それに王子が金持ちってのも間違っていないぜきっと。


「だけどね三矢、女の子を遅くまで引き留めないように。九時前に家に着くようにしなさい」と説教を食らう。時計を見ればもう二十時半過ぎだ。どうやらこの辺が潮時か。



 俺たち四人は密談を切り上げ外へ。突然警察官が俺に話し掛けてくる。

「さて、交渉人さん。向こうは端っからあなたと交渉する気なんて無いでしょう。なにしろなんの権限も無いんですから。だけど犯人側の要求はあなたのところに来る可能性もある。そこで——」と言いながら警察官は「携帯電話はありますか?」と訊いてくる。

 俺が自分のケータイを取りだし示すと警察官はさらに訊いてきた。

「これ、通話の録音はできますか?」と。

「できます」

「じゃあいちいち録音をお願いしますよ」

「なぜ?」

「犯人がたった今なにを喋ったのかを知りたいからです」

「知ったからといって、どうせその要求通りにはしないんだろ?」

「この際ともに事件に当たるべきと考えませんか? わたしはあなたの携帯電話を盗聴しない。こうして録音をあなたに頼んでいるんです」


 意外な提案、と感じた。


「それは一応の信頼というやつなのか?」

「まさかご自分で『わざと録音しないこともあり得る』とその可能性について言及しているのでしょうか?」

「そういうことになるのか」

「そこは信じますよ。むろん我々があなたに情報を提供してもらう以上はあなたの交渉人としての行動を我々は絶対に妨害しません。ただ——」

「ただ?」

「『交渉』を通じても進展が無い場合、私の提案に協力していただけますか?」


「提案? どんな」僅かに逡巡した。

「それはその時です。どうです? あなたと私はどうも合わない。合わないが事件を解決するという目的に於いては同志のはずです」


 俺はさらに少し考えて了承した。すると警察官は王子がまだここにいるのにくるっと身体を半回転させ闇の中に消えていった。しかし半回転の前に律儀にお辞儀をしていったよな……なにを考えているのかよく分からない変な男だ。


 ふうっと深いため息の音がした。それは仮称井伏さんだった。

「私も得意じゃない」と次に王子が言った。「同じくだ」とさらに続けて俺が言う。三人意見の一致をみたようだがなんとなく虚しい。



 しかしなにかが引っかった。

「おかしくないか?」傍らの王子に俺は訊いた。

「と、いうと?」

「この近辺にそっちの世界の犯罪者がいるのは間違いないんだろ? 要人警護を放棄して消えるってのはどうなんだ?」

「要するに彼は私達がここにいるのも〝自己責任〟と言いたいのだろう」

「それでも警察か?」

「ひとつカモさんに教えておきたいことがある」

「なんだよ?」

「私は本国の警察に連絡を入れたが期待した人物と全く別の人物が来てしまった」

「意味がよく分からない」

「昔からの馴染みの頼りになる人物をこちらに寄こしてもらおうとしたが差し替えられてしまった」

「アイツは頼りにならないのか?」

「結論から言えば頼りになる。警視庁一の切れ者だと内部でかなり評価をされている人物だと聞いている」

「能力的に問題が無いならいいんだ」

「しかし〝頼りになる〟の中身が問題なんだ」王子が俺ではなく虚空に向かって言っていた。

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