第7話【桃山さんのいない五月】
朝になった。今日も平日の朝。水曜日。王子のヤツは持ってきた物を忘れず全部持って帰ったため部屋にヤツがいたなんらも痕跡も残っていないが一昨日昨日と間違いなく不可思議なことに巻き込まれたという記憶がある。ベッドの上で上半身を起こし整理するように考えてみる。『これは夢ではない』。となると今日どう行動するか、だ。
昨夜、仮称井伏さんは間違いなく桃山さんの家に泊まったことだろう。しかし何日も何日もさらに何日も泊まり続けるわけにはいかない。この状態はどこかで必ず終わる。仮称井伏さんを学校まで一緒に連れて来ちゃうか、桃山さんが一人で来るかはわからないが、話しを切り出すんだったら『必ずどこかで区切りをつけなきゃいけない』、からだな。
俺は考えをまとめベッドから起き学校へ行く支度を始める。やべっ、少し遅れ気味だ。
学校に着いた。そこで知ったこと。事態は意外なところに陥ってしまっていたこと。
桃山さんが来ない——。欠席……。どうなってる? 下手な同情心を抱くに至り行動が変になってしまったか、あるいは……ストーカー王子が桃山さんまで犯罪に巻き込んだか。
一時間目が終わり休み時間になると俺は教壇下の出席簿を手に取り広げてみる。『桃山桃子』のところを指で指し横へなぞる。
『病欠』。はっきりそう書いてあった。少なくとも桃山さんの自宅から学校へは〝欠席の理由〟について連絡は行っている。この手の連絡を本人がすることはまず無く、たいていは親のはず。となると本当に病気なのか? しかしあのストーカー王子ならおかしな術を使ってその辺のところを上手くごまかしてなんとかしてしまうかもしれない……。
なんとか確認できないか……。
一番簡単な方法は桃山さんの家に行って確かめること。しかし、特別親しいわけでもないのにそんなところには押しかけにくい。ではどうする?
『病欠』と書かれているのを信じ何もしないか……。だがそれは無責任じゃないのか? 仮に病欠が本当だとしても仮称井伏さんは今どこにいる? まさか病人を頼って居候でもないだろうにな。とにかく何か不自然なことが起こっている。このまま何もしないでは済まされない雰囲気がある。
俺は廊下に出て窓から桃山さんの自宅のある方向を眺める。こんなところから見ていたって何も分からない。
そして一日も過ぎ木曜日。『このまま何もしないでは済まされない雰囲気がある』、などと思いながら結局何もしない俺がいた。今日も桃山さんは学校に来ない。でも出席簿には今日も『病欠』の二文字。普通に考えて今日も自宅からの連絡があったことが証明されている。表面上は問題はない。しかし休み始めたのは仮称井伏さんを泊めた次の日から。そもそもあの日、本当に泊まったかどうかさえ分からない。
今日も俺は廊下に出て窓から桃山さんの自宅のある方向を眺める。毎休み時間こればっかりを繰り返している。
ポン、と肩を叩かれた。誰だよ? と思って振り向くと同時に「やぁ」との声。
微妙に外した制服もどきを着てヤツが現れた。うえ、王子じゃねえか! 俺の気持ちも知らず緊張感のない声出しやがって。普通ここまで厚かましく紛れ込むか? 却って堂々としているせいか目にもとめずに通り過ぎる者多数。だがそれは男ばかりだった。オイッそこの女子の三人組がこっちを見て何か言ってるぞ! 『紛れ込む』っていう表現撤回だ。その顔でこんなところをウロチョロされると目立ってしょうがねーっ。
「何をしているんだ早く行動を起こさねば」王子が喋り始める。
「こうどう?」おうむ返しに俺は言っていた。
「もはやこんなところにいてはならぬ。早く早退しなければ」と言った途端王子は俺の手をつかみ思いっきり引っ張り始めた。王子が走り出すのと同じ方向にたまらず俺の足も走り出す。「キャー」という女子の声がいま後ろから聞こえたような気が。しかもスクバから何から置きっぱなしのままだぞー。
王子に手を握られ引っ張られたまま一緒に走らされ向かっているこの方向は間違いなく桃山さんの家の方向だ。場所がどこかって突き止めていたのは本当だ。なんたる行動力! 間違いない。このまま桃山さんの家を訪ねる勢いだ。流石は王子、やることが強引だ。俺の動こうともしない限りなくゼロに近い行動力とは雲泥の差じゃねぇか!
そしていま、俺は桃山宅斜め前距離約十メートル地点にいる。小学校時代のクラスメートの家の間近に。こんなところで目的地を見ていると実にストーカーっぽい。しかも時間が平日午前中……
「さてと」と、やおら王子はポケットに手を突っ込みキャッシュカード然とした金属色の薄い板、それに耳の裏に掛けるワイヤレスなイヤフォンを取り出し俺に手渡した。補聴器っぽいんですけど。
「なんだよこれ?」
「通信機」、味もケレンミも無いそのままの名前が返ってくる。
「誰と誰が通信するんだ?」
「私とカモさんが」
「まさかっ俺一人に行かせるつもりか⁉」
「だってね、男が二人で押しかけてしかもその内一人は知らない男だなんて入れてくれると思う?」王子はそう言うと通信機一式、早く装着するよう促してきた。俺は渋々それを装着する。こんなものイヤフォンを耳に掛け、このカードを胸ポケットにでも入れりゃあいいんだろう。
『もしもし』と突然通信機から声がした。
「プロント、」と思わず反応。言ってしまった後に気づく。しまった!
「ぷろんと、ってなに? 国語辞典には無かったよね?」
「——イタリア語で『もしもし』って意味らしい……」
「日本語を使わずにどうしてイタリア語ってのを?」
「つまりその〜、前に外交官が主役の映画をテレビで観たことがあってなんとなく格好いいかな〜なんて思っちゃって自分の内面でだけの流行ってやつ? つい言っちゃうっていうか……」
目の前の王子を名乗るこんなヤツ相手に俺の謎状態な弁解が始まっていた。途方もなく自己嫌悪。俺は割と仲の良い連中にその映画のファンだと公言してるから平然と『プロント、』から始めちゃっている。携帯電話を折りたたみ式のガラホにしているのも劇中主人公が使っているケータイとおんなじような感じでカッコイイような気がするから。そんな癖がこんなところで出てしまったーっ。
「じゃあ私もやろう!」
王子はわざわざ口元になにかを近づけ喋っていた。さっきのはこれか。
『マルタイ現場に到着します』イヤフォンからそう声がした。
「おい、〝まるたい〟ってなんだ」
『マルヒの安全を最優先』
「オイ! どこで覚えたそのことばっ」
『昨日だよ。丸一日空いていたから。気分が出るでしょ』
王子が口に近づけていたのは送信機か? 形状は渡された物と同じだ。
「目の前にいるのに通信するな!」
『あ〜テス、テス。だいたい日本では目の前に相手がいても〝メールする〟とかいう文化があるとか』
「そんな文化はねぇ」
『マルタイ、マルヒになるなよ。あくまで自然に、ごく自然に訪ねたっていう雰囲気で』
「俺、女子の家になんて上がったことないんだけどな」
『もう現場だぞ。独り言厳禁。私に伝えたいことがあるときは工夫してくれよ』
俺は意を決し桃山宅正面へと一人で歩いていく。王子は無茶苦茶だが俺の背中を押してくれてはいる。桃山さんのことを気にして休み時間毎にその方向の景色を眺めているより、今やろうとしている事の方がよほど有益なんだろう。とは言っても足が地に着かない。普段より早足なのかスロゥペースなのかそれすらもよく分からない。
「さてさて、王子、いますかね」俺は胸ポケットの板に声が届くよう言ってみる。
『いないと思っているのか?』
「一人だけはいるかもな」
『マルヒの姿が学校に見えない。マルヒの家に他人であるもう一人が残っているとも思えない。だからいれば二人いるし、いないなら二人ともいない。どちらかだ』
「ところでさ、マルヒってなに?」
『被害者』
「……最悪に考えて同情心からの家出くらいだよな」
『だからいるかいないかを確認するんじゃないか』
「確認するのは俺の仕事ってわけか」
『恋人の安否がかかっている。カモさんが動くのは不思議ではない』
「オイ、恋人ってなんだ?」
『口動かすな。見てる可能性高いぞ』
「誰がだよ!」
誰がだよ!、俺のこのことばにこんな反応が返ってきた。
『もしかして犯人だ』
遂に桃山宅正面だ。一昨日来たばっかりだけど。はっきり言って桃山さんのことは小学生時代から気になっていた。しかし遂に〝そんな機会〟も無く、つまり『家に上がらせてもらう』なんてことも無いまま小学生時代が終わった。ひょんなことから本当にひょんなことから今俺はその機会を得ている。
インターフォンを押す。ピン・ポン、ピン・ポンと二回呼び出し音が鳴る。
ほんのしばらくの間を置いて『どちらさまでしょう』とインターフォン越しに声が応じてきた。おそらく母親だろう。俺は氏名を告げ所属高校名を告げ、同じ高校の生徒であることをアピールし、次いでクラス番号を告げさりげなく同じクラスであることもダメ押しでアピールした。気がかりはこの時間帯まだ学校は授業中だってことだ。
ともかくその上で「桃山さんはご在宅でしょうか」と言った。
ゴザイタク、いままで使ったこともないような語彙に、なんとなぁ〜く気まずさを覚えたものかしばらく黙ってしまっていると『学校でなにかあったんでしょうか?』と再びインターフォン越しに声が返ってくる。その声の調子は深刻そうに聞こえる。
「いま桃山さんはどこに⁉」咄嗟に俺は言っていた。俺の声は相当に慌てていたのか調子が外れていたのかインターフォンの向こうの相手に何かしらの違和感を持たれたらしい。
『どこに? っていま家にいますよ』
! あれぇと思うほか無い。家にいる? 二人じゃないのか? しかしよくよく反芻すれば件の声には深刻感はあっても切迫感は無いような。ともかく何か返事をしなければ。
「いえここ二日学校に姿を見せてくれないもので、僕は頼まれて来ました」と言った。頼んだヤツは実は王子だったが。
『そうですか、では』とインターフォンの中から四回目の会話の声がするとそれっきり途切れて終わってしまった。
俺は悟った。同じ高校同じクラスを名乗っても、もちろん嘘じゃないが、得体の知れない男は女子の家には上がれないのだな。感慨……を持っていたとは思わないがそれでもなおその場にとどまり桃山宅を見上げていた俺。耳の奥の声に残った声は容赦ない。
王子の通信が入り込んでくる。
『もう終わっちゃったわけ?』
「終わるしかないだろう」
『困るなあ。家にいるって確認してないよな、本人の姿を見たわけじゃないし』
「何が言いたい?」
『あの家に上がって欲しいのだが』
「無茶言うな。母親に信用されてねーんだよ俺は」
『厳密にはあの声が母親かどうかも定かではないが』
「お前そこまで疑うのか!」
『では桃山さんの母親と会話したことは?』
「……無い」
『ともかくいまは一旦引くしかないな。戻ってきて』、ヤツがそう言うと通信は切れた。
時間も時間なので話し込む場所としては俺の家は相応しくない。しょーがないので『野宮此之公園』をその場所とするしかない。二日前仮称井伏さんが座っていたブランコ前のベンチに俺らふたりは腰掛けている。
王子は俺に宣言した。「こうなったらプロを動員するしかないね」。
「何のプロだよ?」
「捜査」
「警察か! けど下手に百十番通報なんてしたらイタ電扱いされて困ることになるぞ」
「カモさん、何か勘違いしているようだけどココの警察じゃあないですよ。私の国の、だ」
「日本の警察じゃない?」
「そう。グレイドレンランセスタウェルリントンスラッテレンユーライテッドヨードレンダム王国のだ」
「……」
「何か問題でも?」
「いや、とにかく王国の警察から人が来るんだな」
「その通り!」
「ところでさ、王子」
「なに?」
「一旦家へ帰っていいか?」
「ええっ?」
「俺いま学校を無断で早退していることになってて、取り敢えずすげー吐きそうってことにして家に戻るから」俺は一方的に言うやいなやベンチから立ち上がりとっとと歩き出していた。プロが来るんじゃあもう俺の出る幕も無い。任せるしかない、と思いながら。
俺は下手な演技をしながら家に戻った。
「あぁ気持ち悪りぃ吐きそうだぁ〜」などと言いながら。この下手な芝居は母親相手に通じただろうか? どのみちこの手は今日しか使えない。俺はベッドの上にバッタリ倒れごろりと横になってしまう。桃山さん今頃なにしてるんだろうなぁ……などと考えながら。
横になってしまった不覚! 俺は眠り込んでしまった。携帯電話が鳴り出し起こされる。何時だか分からないが窓の外は既に夕方。昼飯すらすっ飛ばして寝続けてしまったらしい。
俺はケータイに出る。
「プロント——」頭が半分寝ぼけていた俺が思わずそう言ってしまうと、電話の向こうから飛び込んできたのは女の声。仮称井伏さんでも、もちろん桃山さんの声でもない聞いたこともない声だ。さては間違い電話かと思ったその時声の主は言った。
『お前の恋人は預かった』。——女には相応しくない台詞だった。
誰? 誰のことだよ! しかし受話器の向こうから聞こえてきた声は容赦なく続ける。
『こちらの要求が受け入れられなければ分かっているな——』
「オイ、どういうことだ⁉」
何かを警戒したのか通話はそこで途切れた。寝起きの頭は呆然としたまま何が何やら何が起こったか分からないほど混乱していた。
適当な番号に掛けてきたイタズラ電話なのか?
一から思考してみる。〝恋人〟については実際『そんなんいるか!』な状態なのだが、女の声が言う〝恋人〟が誰を指し誰のことを言っているのかについては心当たりがある。
つまり、イタズラ電話ではない可能性がある。
俺の恋人、というのは、桃山さんってことになっている、で間違いない。
俺のケータイの番号、紙に書いて桃山さんに渡していた。一度掛けてもらったしそいつが利用されたんだ。俺は即座に着信履歴を確認。そこには確実に掛けた側の電話番号が残っていた。こいつはわざとか? 照合する。間違いない。桃山さんのケータイから掛けてきたんだ。他人のケータイ使いやがって!
例によってベッドの上に上半身を起こして考える。まともじゃないことが起きている。こういう時こそ落ち着くんだ、俺。
「不自然だ」、俺しかいない俺の部屋に俺の声が響く。『こちらの要求』と言いながらなにを要求するのかその中身を言ってない。
なにか変だがこれは、誘拐事件と理解するしかない。『預かった』というのがそうした理解の根拠だ——。もはやこれは三日前から始まった出来事と関係があるのは疑いがない。
だけど、どうして俺のところに掛けてくる? 身代金目的なら親のところに掛けるもんだ。いったい誰が何の目的で? 俺は最も安易で簡単な結論に流れてしまいそうになる。
こりゃあ——やっぱりイタズラか?
でも……仮称井伏さんはどうなっているんだ?
その時夕ご飯だと階下から母親の声。俺はケータイを持って一階へと降りる。また同じ番号からこのケータイに掛かってくるかもしれない。それに——、一度王子と話した方がいいかもしれない。とは言えこちらからの連絡方法を知らないのだが。
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