第五章 道を違えて

第34話 忘れえぬもの・一

 あーもう、二度と乗るものか。なんでこんなのがこの世にあるんだ。

 花壇の端に座ってぐったりと煉瓦の壁にもたれかかり、私は目の前の乗り物の製作者に心の底から文句を言いたくなった。


 世間じゃクリスマスと騒がれてる今日。私は久しぶりに、友里ゆりたちと遊びに出かけた。行き先は、夏に花火大会へ行った港に近いテーマパーク。中世ヨーロッパの港町をイメージした造りやレストランのメニューがお洒落だって情報誌に記事が載っていて、近頃人気のおでかけスポットだ。

 そんな観光地の一日パスを、和子かずこのお母さんがたまたま伝手で安く手に入れられることになったらしくて、和子は私のコンクール連覇祝いにって誘ってくれた。誘われた次の瞬間には、手を上げて即答してたよ。


 だから私は思いっきり遊んでやるって決めていて、叫んで、肩落として、どや顔して、笑って、泣いた。ともかく思いっきりテーマパークを満喫した。だってせっかく来たかったところに来たんだもの。楽しまなくちゃ。

 ――――――――その結果がこれだ。


水野みずのさん、意外とああいうの駄目だったんだね。駄目とか言いつつ、結構平気なタイプだと思ったのに」


 皆がハイテンションで二度目に挑んでいった中、ジェットコースーターで酔った私の付き添いということで残ってくれた倉本くらもと君はそう、心配してるのか呆れてるのかよくわからない顔をして、隣に座る私を見下ろして言った。

 馬鹿をやらかした自覚はあるから見栄を張ることもできず、私はそっぽを向いた。


「苦手なの、忘れてたわけじゃないよ……なんでかわかんないけど、いけると思っちゃったんだよ……一人で残るのも嫌だったし」


 でもだからって、ひねりあり逆さ吊りありの最新のやつに乗ったのは間違いなく無謀だった。ただものすごいスピードで走るだけのやつでもへばった中学の遠足のこと、忘れたわけじゃないのに。勢い任せって怖い。


「まあ、君が体調を崩したおかげで僕もこっちに残る理由ができて、あの三人にチャンスが回せたわけだし。役目としては悪くなかったとは言えるね」

「確かにね……」


 うわあ、ものすごく前向きな解釈だよ。でもまあそう考えとこう。うん。

 そう、実のところ、和子主催の合コンなんだよね、これ。和子が前に言ってたオケ部で仲の良い男子三人がいよいよちょっと危険なことを呟きだしたからって、和子がたまたま手に入れた一日パスの有効活用を思いついたらしい。だから私は言ってみれば、三人に女子たちの目が向くよう仕向ける女子側のサクラでもあるわけ。


 で、どうして倉本君なんて特級のお邪魔虫を誘ったのかと言えば、女子集めのためだ。別に悪くないねってくらいの見た目の男子三人じゃ、和子が目をつけた友里たち女子三人に予定をキャンセルしてでも来てもらうには、ちょっとばかりインパクトに欠けるから。話してみたら、結構いい人たちなんだけどね。少なくても、こういう小細工を面白がって引き受ける倉本君よりは年相応の男の子だと思う。


 倉本君の顔のおかげでか結局、予定よりも多い五人の女子が集まったわけだけど……なんというか、私の出番はほぼなかった。

 何しろ倉本君は和子と絶妙なタッグを組んで、彼女たちに話を振られると上手く男子三人に回し、さらには私を盾にして、自分一人に女の子たちの注目が集まらないようにしたんだもの。私の介抱も、その一環。自分と話したがってた五人を再びジェットコースターへ誘導したあの話術は、世の一流ホストさんや結婚詐欺師はこうやって女の人を夢中にさせるんだろうなあって思えたくらい見事だったよ……倉本君って、ピアニストや普通の会社員にならなくても充分食べていけると思う。


「ともかく、ここで待ってるだけじゃ寒いし、何かあったかい飲み物でも買ってくるよ。水野さんは、ココア飲む?」

「うん、お願い」


 今日は風が吹いてなくて快晴、冬にしては割とあったかめだけど、所詮は冬というか、やっぱり寒い。ここはあったかいもので身体の芯からぽかぽかしたい。

 わかった、と倉本君は立ち上がった。革手袋をはめた手で、私の頬に触れる。


「じゃあ、僕は飲み物を買いに行くから。水野さんはここから動かないようにね」

「わかってるっていうか、動きたくないからそこは心配しなくていいよ」

「だといいんだけどね」


 くすりと倉本君は笑む。いや、心配しなくてもこの状態じゃ、どこかへ行く気になんてなれないよ。むしろ横になりたい。ならないけどね。

 倉本君がフードコートのほうへ向かうのと入れ違うようにして、私の頭上で音がした。あー、またジェットコースターが動き出した。友里たちはあれに乗ってるのかな。さっき別れたばっかりだから、まだかな。このジェットコースター、できたばっかりだから結構行列できてたし……友里たちが下りてくるまで、まだまだ時間かかるかも。


 がたがた揺れながら、コースターは快晴の空の下、ゆっくりとレールを上っていく。どこかのパニック映画の有名すぎるBGМの頭みたいな、何かが迫ってくるような期待と不安を煽る音。私は不安と恐怖しかなかったけどね。その場のノリで乗るのはよくないよね、うん。

 私がコースターから目を逸らして数秒後、絶叫が空から降り落ちてくる。悲鳴とコースターが爆走するものすごい音が入り乱れた微妙すぎるBGМを聞きながら、私は辺りを見回した。


 快晴の昼下がり、頭上には最新ジェットコースター、という時間と場所なだけあって、私の目の前の通りを多くの人が行き交ってる。家族連れにカップル、友達同士、職場の仲間っぽいの。屋台で買ってきた食べ物や飲み物を載せたトレーを手に、テーブルへ向かったり路面に座ったり。あるいは、アトラクションへ向かったり。その賑わいは、人気が少ない私のところまで届く。


 さっきまで屋台の食べ物やら持参した弁当箱やらを辺りで食べてた人たちはいなくなって、いつの間にか私一人になってた。まあ日向とはいえこんなちょっと奥まった場所、長居しようとは思わないよね。休憩するにはちょうどいいんだけど。


 私は深呼吸を一つして、目を閉じた。

 目を閉じてゆっくり呼吸だけしてると、一層色んな音が意識に触れてくる。その合間を縫うように、さっきの情景――――倉本君に頬を触れられたことが頭に浮かんだ。


 いかにも高価そうな、なめし革の手袋だった。革らしい匂い、感触、人の体温。触れられてるあいだに感じた感覚が、鮮やかによみがえる。

 あれ、皆の前でやられなくてよかったよ……やったら今日のお役目が果たせないから、やらないだろうけどさ。


 コンクールの夜におかしなことになりそうだったけど、私と倉本君の関係はこれっぽちも変わっていない。専攻も教室の階も違うから、そう頻繁に会うわけでもないもの。廊下で立ち話をしたり食堂で一緒にお昼を食べたり、行き帰りでたまに一緒になるだけ。倉本君は、桃矢とうやの次に仲のいい男友達でしかない。


 でも、私の恋の情けない結末を知ってるのは倉本君しかいない。その特別さは、前よりも大きくなってるような気がする。たまにからかいのネタにされていらっとするけど、言いたいことを話せる気楽な空気は居心地がいい。失恋する前、桃矢と二人でいるときに時々感じた小さな緊張がないのも楽だ。……別の意味の緊張があるような気がしなくもないけど。いつからかってくるかわからないからね……。

 ともかく、私たちの関係は変わらない。深くなっても、色は同じまま。私と桃矢の関係が少しだけ変わっても、根本は変わらなかったように。――――それでいい。


 ……………………。

 身体のだるさも目の疲れもましになってきて、私はゆっくりと目を開き、瞬かせた。人の波にアトラクションに屋台。目を休ませる前と変わらない、テーマパークの景色だ。

 皆、そろそろ戻ってきてほしいなあ。待ってるのも飽きてきた。目の疲れとかはましになった程度だから、スマホで何かする気になれないし。このままぼけっとしていても、桃矢や倉本君のこと考えちゃうし。

 なんで桃矢も倉本君も、あんな顔したのよ。大木おおき君みたいな、怖いくらいの――――………………。


 …………? 足音?


「お、いいのがいるじゃねえか」


 斜め後ろから足音が近づいてきたと私が気づくのと同時に、男の人の声が落ちてきた。聞いたことのない、嫌なふうに楽しそうな声。

 警戒心と共に顔を上げるとまず私の目に入ったのは、角刈りの髪、フード付きジャケットをした、これぞ不良としか言いようのない怖い顔つきの男の人だった。その後ろには、ピアスをたくさんした金茶の髪の遊び人っぽい人と、二人とは正反対にいかにも賢そうな黒縁眼鏡さんがいる。不良はただ怖いだけだけど、後ろの遊び人と眼鏡の人はそれなりに顔がいい。桃矢や倉本君ほどじゃないけど。


 危険だ。私が直感的にそう思ったのと、黒縁眼鏡さんがにこっと微笑みかけるのはほとんど同時だった。


「こんにちは。君、一人? それとも、友達と待ち合わせ中?」

「……」

「そんなに警戒しなくても。俺たちも人を待ってるだけだし」


 私が答えず黙ると、眼鏡の人はそう苦笑する。白いシャツでほっそりしてて、見た目だけなら好青年。倉本君っぽく見える。――――つまり、裏があるってことだ。

 この人たちに付き合ってたら、絶対やばい。感情が動かなくなっても正確に機能する危機感を覚えて、私は無言で立ち上がった。

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