第33話 ありえないもの

水野みずのさん、そろそろ起きて。もうすぐ駅だよ」


 身体が揺さぶられ、夢うつつだった意識がゆっくりと上昇していく。

 あれ、車…………? 倉本くらもと君が隣……?


 ………………………………って!

 意識が一瞬で明瞭になる。私はそれでもまだ落ちそうになる目を何度もこすりながら、苦笑する倉本君と、鏡越しの運転席の女性の顔を交互に見た。


「すみません、私、寝てました?」

「いいのよ。よっぽど舞台に集中してたのね。あんなにいい舞台だったのだもの、仕方ないわ」


 鏡越しに、倉本君のお姉さんはそう言って笑う。栗色の緩く波打つ髪、真っ赤な唇。間近で見るきらびやかな美貌は、商業施設で遠目に見たときなんかよりもずっと迫力がある。

 うわーこれ、寝顔見られたよね絶対。やっちゃったよ……目を閉じておくだけのつもりだったのに……。


 声楽部門優勝の発表がされ、駆けつけた友里ゆり和子かずこ、その他の友達とハイテンションではしゃいだあと。タクシーで帰るつもりだった私は、倉本君のお姉さんに送ってもらうことになった。申し訳ないし、一応断ったんだけどね。でも倉本君の超絶美人なお姉さんに押しきられたというか、流されたというか。気づけば、丸みを帯びたデザインがなんとなしに可愛い青い車の後部座席に、私は倉本君と一緒に座ってたのだった。


 窓の外を見渡すと、運転席側に線路が見える。正面には、ファストフード店とかの看板が光ってる。

 ……ということは、家の最寄り駅近くに着いたんだ。それって結構私、寝てたんじゃ……。


「すみません、この辺りでいいです」

「あら、家の前まで送るわよ?」

「いえ、ここからはそんなに離れてないですから」


 駅前から私の家まで、大体歩いて十五分くらいだ。こんなに真っ暗だしちょっと怖いけど、毎日使ってる道だし、家まで送ってもらうのも申し訳ない。

 何言ってるのよ、と倉本君のお姉さんは眉をひそめた。


「駄目よ、女の子の夜の一人歩きは危険なんだから。……そうね、圭介けいすけ、家の前まで送ってあげなさい。ちょうど私、色々買っておきたいものがあるし」

「うん、わかった姉さん」


 お姉さんに言われるまま、倉本君は素直にこくんと頷く。え、あの、ちょっとお二人さん? ホント私、大丈夫ですよ?

 ……って倉本君それ、私のドレス!


 私の戸惑いをよそに姉弟はさくっと同行を決定すると、倉本君はドレスを入れた鞄を私の手から取りあげて車の外へとんずらした。油断した……!

 こうなってはもう、倉本君と帰るしかない。いやいやお姉さん、笑ってないでくださいよ。ああもう、とんだ似た者姉弟だ。


 家の近くに住んでるおばさんに見つからないことを祈ろう……あの人、おしゃべり好きなんだよね。私が桃矢とうや以外のかっこいい男の子と一緒に歩いてるのを見たら、きっとご近所さんに話して回るよ。


 大通りに面して駅前には飲食店もあるとはいえ、この時間になると、通りから一本中へ入るだけで急に静かになる。テレビの音はたまに聞こえてくるけど、それ以外は私たちの声と足音、それから電車の音くらい。車の音どころか、犬の鳴き声もない。

 車も自転車も通ってないからって、スマホをいじりながら歩く倉本君がねえ、とスマホから顔を上げた。


「そういえば水野さんの家の近くに、夏にコンサートをやった教会があるんだよね」

「うん、まあ近くと言っても、歩いて十分くらいだけど。ここからだと、公園の前で右の道を公園沿いに歩いていったら教会に着くんだよ。公園の中をまっすぐ歩くほうが早いから、私はいつもそうしてるけど。……それより倉本君、帰り道はわかる?」

「大丈夫だよ。僕、鳩並みに方向感覚はいいんだ」

「それって髪の毛で電波受信してるんじゃ……」


 またリメイクされた妖怪アニメの主人公みたいに。……うわー、想像してみたら、なんかそれ似合う。というか、頭に乗ったアレの声が…………! ごめん、駄目だ。笑う。

 一人勝手に吹き出したあやしすぎる私を、倉本君はじろりと見下ろした。


「……水野さん、人を顔を見て笑わないでくれないかな。どうせ、おかしな想像をしたんだろうけど」

「ご、ごめん……」


 鋭いね、倉本君。でもこれは不可抗力だよ。鳩並みとか言った倉本君が悪いんだ。私はきっと悪くない。

 公園の角まで来たところで私は立ち止まり、倉本君を見上げた。


「倉本君、私はここで大丈夫だよ。すぐそこだから」

「そう? 最近はどこも物騒だし、女の子を家の前まで送るのが男のマナーだと思うんだけど」

「いいよ、そこまでしてくれなくても。ホントにすぐそこだし」


 実を言うと、こんな時間に一人で歩くのは怖い。でも街灯があるし、家々の明かりからするとまだ起きてる人もそれなりにいるみたいだから、変な人もうろついてない、はず。何より、倉本君を早くお姉さんのところへ帰してあげないと。だから私は、首を振って断った。


 ……紳士の科白に聞こえるのは、倉本君だからなんだろうなあ。他の男の子が女の子に言ったら、遊び人が下心ありで言ってるか、普通の人がかっこつけてるようにしか聞こえないと思う。

 …………ああでも、一人だけ、無理してるように聞こえないのがいるよね。一人じゃ危ないからって無理やり私と一緒に帰ろうとしてきた、ご近所の忠犬もどきが、いた。


 ………………。

 ともかく、倉本姉弟の気遣いは嬉しい。特に倉本君には、感謝しかないよ。


「……なんか、倉本君には助けられてばっかりだね」

「なんだい、いきなり」


 つい苦笑すると、倉本君は目を瞬かせた。


「いやさ、これまで一応は私、倉本君に助けてもらったじゃん? 話を聞いてもらったりとか、アドバイスもらったりとかさ。今日の伴奏もだし」

「友達を助けるのは当然のことだろう? それに、水野さんの反応は見てて飽きないし。からかい甲斐がある」

「……」


 うわあ、いい笑顔で人を玩具宣言したよこの人。今日も最後までぶれない腹黒紳士っぷりだね。わかってたけど、私の素直な感謝の気持ちを返してちょうだい。

 ともかく、ここで倉本君を帰してあげないと。だから私は倉本君の手から自分の衣装鞄をとって、お別れを言おうとしたんだけど。

 …………?

 あれ? 頭、撫でられてる?


「倉本君?」

「いや、舞台でもそのあとでも、君は泣かなかったから」


 偉い偉い、って小さい子供にでもするみたいに、倉本君は私の頭を撫でる。優しい顔、優しい手つき。……慈しむ仕草。

 私はなんというか、呆れた。


「倉本君……私をいくつだと思ってるのよ。そりゃ桃矢と真彩まやが一緒に座ってて複雑だったけど、泣いたら皆を困らせるだけじゃん。…………桃矢に相談された日のあとしばらくは、何度か泣いたし。告白もできなかったのは自業自得なのに、今更泣けないよ」

「うんまあ、まったくそのとおりなんだけどね。でも乗りかかった船というか、君と斎内のことは、君の反応を見て楽しんだところもあるし……傷心の君を放っておくのは、気が咎めるんだよ」

「倉本君、ものすごく楽しそうにしてたもんね……」


 花火大会での突然の暴露に、文化祭の小細工に、その他の学校生活でも色々。倉本君は毎回、私に爆弾投下して笑ってたよね。おかげで、倉本君の腹黒い本性がよくわかったけど。

 でも、そんな申し訳なく思う必要なんてないのに。振り回されて疲れたのは確かだけど、倉本君のおかげで桃矢と二人きりになれたことはあったし、そのときはどきどきして嬉しくて、私は楽しかったんだから。

 だから私は、倉本君に笑ってみせた。


「私は大丈夫だよ、倉本君。桃矢のことはそのうち折り合いをつけられるだろうし、私の家はすぐそこだし。心配いらないよ」


 それは無理やりな、不自然すぎる笑顔だったかもしれない。でも私はそんな顔をするしかできなかった。私自身のためにも、倉本君のためにも。


 私は放課後の練習室で、『ずっと好きだった』って桃矢に言うべきだった。それが私の素直な気持ちなのだから。きっと桃矢を困らせただろうけど、それでも二度と訪れることのないチャンスだったんだ。あんな可愛げのない、ただの幼馴染みの言葉を言うべきじゃなかった。

 混乱してたからとか言い訳しても、自分の弱さに気づいても、もう遅い。桃矢と真彩は付き合ってる。真彩は私の大事な友達なんだよ。今更告白なんて、できるわけがない。

 私は、自分の弱さで自分の恋を壊したんだ。


 …………大丈夫。桃矢が誰と付き合おうと、私は桃矢の幼馴染みだもの。今まで培った絆は、失わない。一緒にいられる小さな時間がなくなっただけ。

 あとは、私が自分でどうにか気持ちを折り合いをつければいいだけだ。そしてそれは、自分でどうにかしなきゃいけないこと。そのくらいは、馬鹿な私でもわかる。


「……そうかい」


 ………………あれ?

 私は何故かこのとき、倉本君の表情に違和感を感じた。――――今何か…………。

 私の感覚が何かを私に訴える。けど、それに私が耳を傾けようとしたところで、倉本君はまた頭の頭を撫でた。


「話を聞くくらいなら、いつでも聞くよ。適当に聞き流すから」

「…………うん。ありがとう倉本君。倉本君って、腹黒い割には結構親切だよね」

「褒め言葉ということにしておくよ。かなり微妙な線だけど」

「あはは、じゃあね倉本君。送ってくれてありがとう」


 軽く笑って私は身を翻し、倉本君に手を振る。倉本君はまた明日と私に返して、手も振り返してくれた。


 家までの短い距離を歩きはじめて、私の頭の中はすぐさっきの瞬間を思い返した。

 倉本君の、あの表情。数時間前までのめかしこんだときとも、普段のときとも違う、初めて見る顔。


 ――――――――初めて?

 ううん、違う。私、見たことある。倉本君じゃないけど――――――――――

 思い返すほどにさっきかすめた思考がよみがえり、確信を深めていく。倉本君以外の人の顔が、頭に浮かぶ。


 ――――――――っ!

 背筋が寒くなったちょうどそのとき、明かりに照らされた小路の暗がりが見えてきた。近づくほどにそれはより大きく、鮮明な濃さを増していく。

 暗がり――――――――


 私が目の前の景色をそう認識した途端、冷たい水を浴びせられたみたいに私の体温がすっと下がった。

 そして。


 …………あ、れ? 足、動かない――――――――?

 嘘。その一語が頭の中に浮かんだけど、でも本当に、私の足は動かなくなってた。動かそうとしても、コンクリートに接着剤でくっつけられたみたいに地面から足が離れない。

 寒い。防寒具をちゃんとつけてあるのに、寒くてたまらない。


 静けさの中にひそんでいた、家々で暮らす人の気配や聞こえてくる生活音、犬の鳴き声が私の感覚から消え失せる。

 その中で、マフラーをしっかり巻いた首筋に、生暖かいものと冷たくて硬いものが触れた気がした。


 後ろから、声が聞こえる――――――――


 っ……!

 頭の中が真っ白になって、私は弾かれたように走りだした。


 ありえない。これは妄想だ。ただの幻覚だっ…………!

 大木おおき君はここにはいない。私を後ろから抱きしめたりも、私の首に刃物を押し当てたりもしていない。これはただの記憶だ。彼はここにはいない!


 だから、さっきのも妄想だよ。そうに決まってる。

 倉本君がさっき、私に告白したときの大木君や、映画館へ行ったときや練習室での桃矢と同じに見えたなんて――――――――――――

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