第38話 出会い(完)

 それから約二週間が過ぎ、暦は十二月へと入った。


「はぁーい、じゃあこの問題が分かる人いますかぁ? 誰もいないのぉ? じゃあ櫻井くん」


 当てられた春樹は席を立ち、その問題に答える。


「うん正解ね。さすが春樹君」


 なんだかシャーリーは以前より、少しその態度に自信があるように伺えた。


 とは言ってもそれはつまり何の変哲もない、日常的な授業風景だった。まさかこの学校のメンバー間で世界の命運を懸けた戦いが起こったなんて、当事者以外の人間には信じられない話だろう。


 リンファ、ポール、サニャとは、春樹はあまり友好的とは言えない関係になってしまったのが少し悲しいところであった。まぁ、仲間だと言ったのに、春樹が裏切ったような形になってしまったのだから仕方ないのかもしれないが。


 逆にクレイは案外春樹に対して友好的だった。というよりもいまだにロベルとしての復活を諦めていないらしく、春樹に対して「今からでも遅くない」「共に世界を導こう」とか言って近づいてくるのだ。しかしその時はアイから彼は何かしらの制裁を受けているようだった。


 先日、春樹はクレイがイジメらしい場面を止める姿を学校内で目撃した。


 春樹はその時ふと思った。ロベルとクレイのイメージの違いには最初驚かされたが、結局根本にあるのは、あのまっすぐな正義感だったのかもしれない。


 きっとそれが感染という強力な能力によって飲み込まれ、暴走してしまったのだろう。




 アイは約束した通りそれ以降小春に憑依することはなくなった。……と思ったのだがその日の放課後、春樹が学校の屋上から眼下に広がる街を眺めていた時だった。


 春樹は後方の階段室から誰かが現れた事に気づきそちらへ目を向けた。


「小春……?」


「残念外れ、私はアイよ」


「お、お前……! もう二度と小春には憑依しないって約束しただろうが」


「ま、今日は、今日だけは特別よ」


「なんだよそれ……」


 春樹はぶつぶつ文句を言いながら体を元に戻して再び街に目を向けた。


「こんなところで何をしているの? 一人で黄昏ちゃってるわけ?」


「いや、あれから二週間経ってさすがに皆、ロベルの不在に気付き始めてるだろ。だからもしかしたら世界中がこれからサンクアールのような状態になってしまうのかなって思ってさ」


「そうね……既に犯罪率は上がっていると聞くわ。まぁいつ復活するかも分からないから、しばらくは大した犯罪は起こらないとは思うけど」


 するとアイは春樹の隣までやってきた。


「もしかして後悔してるの?」


「え……」


 そして「フフ」と小悪魔的に笑い、話を続ける。


「私ならあいつと同じように世界に感染者を溢れ返させることが出来るわ。そしたら、また争いのない、理想の世界が作れるはず。どう? 私と一緒にこの世界を支配してみるってのは」


 アイは頭を傾げ、春樹の顔を艶めかしい目で覗き込んできた。


 春樹はフッと軽く笑い「それは遠慮しておくよ」と、迷いない答えを述べる。


「ふーん、別に意地にならなくたっていいのよ?」


 春樹は「そうじゃない」と言った意味でかぶりを振る。


「これから先、世界は混乱に陥る事は間違いない。でも、だからってお前の力に頼ってたら駄目だ。自分達で過ちに気付いてその先にあるものを目指していこうって、そう決めたんだ。きっとその混乱は一時的なものになるって信じてる。だから、後悔なんてしてないよ」


「そう……まぁ、それも悪くないかもしれないわね」


 その時、二人の間を爽やかな風が吹き抜けていった。アイは小春の長い髪をかき上げる。


「ところでさっき特別って言ったけど、それは本当のつもりよ。今日は最後にあんたにお別れを言いにきたのよ」


 アイは手すりに軽く押し、その反動で後ろに数歩下がった。


 春樹は「え……」と軽く驚き、その姿を追うようにして振り返る。


「その前に一応謝っておくわ。今更だけど、悪かったわね。大事な妹を脅しの材料に使って。戦いに巻き込ませて」


「……そう思うなら最初からやるなよ」


 その言葉にアイはブスっと頬を膨らました。


「……何よ、この私が珍しく謝ってるのに」


 珍しくというより、謝ったのはこれが初めてではないだろうか。


「じゃあ、そろそろ行く事にするわ。もう会うこともないでしょうね」


 アイは踵を返して春樹に背を向けた。小春に切り替わろうとしているようだ。


 これでやっと完全に小春はアイから開放される。そして春樹ももう危険な事件に巻き込まれたりする事はなくなるだろう。でも……。


「待て」


 春樹は呼びかけ引き留めた。アイは振り向いて春樹を見る。


「……何?」


「お前の本体は今、身寄りもなく一人で暮らしてるんだったよな。働きもせず、学校にも通ってもいないのか?」


 それは、二週間前の戦いのあと、チラリと聞いた情報であった。


「……まぁ、そうだけど」


「そうか……」


 春樹は一度下を向き、アイに軽く微笑んで言った。


「だったら、俺と一緒に暮らさないか」


「は……?」


「一人ぼっちは寂しいだろ。奇遇にも俺も両親がいないことだしな」


 すると、アイは急激に顔を紅潮させたのだった。


「ば、馬鹿じゃないのあんた! い、一緒に暮らすって……私の顔すら知らないくせに!」


「それはそうだな」


 そんなこと、今はじめて考えたというような春樹の顔をアイはビシリと指差した。


「言っておくけどね、私はもしかしたら五十代くらいのおっさんかもしれないのよ!」


「……いや、お前は以前サンクアールの中で感染者じゃなかったというのに暮らしていたんだ。五十代ってことはないだろ。俺と同じかそれ以下の年齢のはずだ」


「そ、それは……」


「っていうか、年齢とか性別とか、別にそんな事は問題じゃない。俺はお前と一緒に暮らしたいって言ってるんだ。あとはお前が了承するかどうかだけだ」


「え……う……そんなの……!」


 アイは両手拳をぎゅっと握りしめ、言葉を発しようとする。しかし中々声にならないようだった。


「それで……答えは?」


 春樹の催促にアイはフンと腕を組んで体を横に向けてしまった。


「そんなの……いきなり一緒に暮らすなんて絶対無理よ……」


 しかし、目だけを春樹へと向ける。


「……だけど」


 ◇


 そして次の週の日曜日。春樹は学校の最寄りの駅前でアイの到着を待っていた。やはりアイはクレイが言っていた通り、近くに住んでいたらしい。


 アイはいきなり一緒に住む事を断ってしまったが、とりあえずその本体と顔を合わせる事を承諾してくれた。


「しかし遅いな……」


 時計を見ると、既に約束の時刻を三十分ほどが過ぎてしまっている。


 これはもうアイはやって来ないのではないか。春樹がそう諦めかけた時だった。


「春樹」


 後方から春樹の名を呼ぶ声がした。春樹はゆっくりと振り向いてその声を発したであろう人物を見た。


「待たせたかしら?」


 そんな事は当たり前なのだが、今の春樹にはそんな事どうでも良かった。


「アイ……なのか?」


「……そうだけど。ふん、なによ、なんか文句でもあるわけ?」


 アイは見たこともない顔で、見たことのあるツンとした表情を春樹に向けていた。


 それになぜか安心し春樹はふっと笑みをこぼしたのだった。


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感染カノジョ 良月一成 @1sei44zuki

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