第19話 薄い青色


さて、結果から言うと退学にはならなかった。

どころか、停学すら言い渡されていない。

校長室に入る前にちはやちゃんにこの二つの文字は出ないといわれた瞬間、俺は言葉が出なかった。


覚悟していたものが急に折れたのだ。流石に呆気に取られてもおかしくは無い。

しかし、説教自体は無いわけではなく、俺はまた校長室へと足を踏み入れた。



---



「さて、ここに呼ばれた理由は自分が一番わかっていますね?」

開口一番厳しい剣幕で校長が詰め寄る。その視線にどうも耐え切れず視線をそらした先の時計が指す時間は五時半だった。


俺はそのまま眼を合わせないまま淡々と答える。

「えぇ、まあ。...今回は言い逃れできませんし。」


退学停学がないとはいえ、浮かれて言い状況ではないことぐらい俺は知っていた。

真っ直ぐと、分かっていますよと意味をこめた視線を校長に向ける。

その視線を受け取った校長はふっと一度息をついて肩の力を抜いた。


「はぁ...分かっていてやはり変わらないんですね。」

「返す言葉も無いです。」

もともと手を出すつもりは無かった。けれど、説得するという行為に結局武力を用いてしまったのは反省すべき点だとは思っている。

けれど、自然と罪悪感はどこかに消えていっているのは自分の中で確認できた。


「あれだけ問題を起こすなと言ったでしょう...。それに、今回は校内ですよ?流石に退学など考えないといけなくなるこちらの身にもなってください。」

「それは...そうですね。」

「私は極力生徒を退学にしたくなど無いと思ってるんです。...あなたの素行に対しても甘いほうですよ?...まあ、今回にいたっては被害者側から「何も処罰を与えないでください」なんてお願いされているわけだからいいとして。」


なんだ?戸坂のやつ、そんな気を回してくれたのか?

特別な感謝の感情は無かった。けれど、あいつも気の利かせ方くらいは知っているのだなと始めて思った。

最も俺が願うのは、その気の回し方を古市本人にぶつけることが出来る人間になって欲しいことだけど。


「戸坂がそんなこと言ったんですか?」

「ええ。そこら辺の詳しい話はあとでたっぷり時間を取るので西原と話しなさい。とりあえず私が伝えたいのはこれ以降は許さないという勧告だけです。...くれぐれも学校の治安を乱さないように。特別監視生徒という身であることを考えなさい。」

「分かってます。」

俺は一度強く頷いた。

実際分かっているのだから、嘘のつきようが無い。

ただ本当に、勝手に体が動いてしまう癖だけは直しておかなければな...。


「では、行ってください。外で西原が待機しているはずなので。」

「分かりました。...では、失礼します。」

そうして俺は少しばかり重苦しい雰囲気の残る校長室を後にした。



---



校長室から外の廊下に出ると、壁にもたれかかっているちはやちゃんがいた。おそらく俺を待っていたんだろう。

俺がども、と会釈をするとキッと俺を睨んできた。やだ...怖い。


「おいおい、どこ行こうってんだ?君は今から私と長い長い面談があるんだぞ?」

「ですよね...。どこでやりますか?」

「近くに生徒指導の管轄の部屋が一つあってだな。まあ、別室という奴だが。そこに向かうぞ。流石に旧部室棟に行かせれるほどの余裕はない。」

「了解です。」

ちはやちゃんはやはりご立腹なのか終始語気の荒いまま言葉を連ねる。俺もその点に関しては少しばかりの責任を感じてしまう。

彼女も伊達に特監生の監督をやっているわけではないのだ。そう考えると今回の失態も反省せざるを得ないのだろう。


「どうした、早く歩け。」

「分かってますよ。」


そうしてすぐさま俺たちは場所を移したのだった。




別室と呼ばれる部屋にはデスクが一つと椅子が二つ。窓も無く、ただと慶賀飾ってあるだけで殺風景と呼ぶにふさわしい光景が目の前には広がっていた。

「...さて、先に戸坂から事情を聞いて君からの言い訳タイムという訳だが...。」

「あ、そのことなんですけど先生。戸坂の奴がなんて伝えたのかは先に聞かせてくれませんかね。」

「構わんよ。」


そう言うとちはやちゃんは調書か何か取っていたのか一枚の紙をクリアファイルの中から取り出した。

「えーっと...、自分が恋愛におどおどしていたところを拳で説教された、って書いてあるな。...これ、戸坂が言ったのか?」

「いや、メモしたの先生じゃないですか...。」

先生は自分で書いた書類に目を通して自分で首をかしげる。いや、どういう取り方してるのさ。確かに英語の試験受けるときとかリスニングのとき全文はかけないからと要所要所で分かりやすいように縮めて書いたりはするけどさぁ...。


台詞の言い回しがどうも少年漫画くさい部分があるな。大丈夫だろうかこの人。


「...まあ、冗談は置いておこう。あいつは確か、自分が弱気で前を向けずに過ごしていた中で、それに見かねたのか須波君に殴られた、そう言っていたな。」

「恨み言の一つや二つ言ってませんでした?」

「それは言ってなかったな。...それに、あいつどこかお前に感謝してるようだったぞ?...手遅れになる前にだめなことはだめと気づかせてくれて感謝してるって。」

「へぇー...。」


そんな返事しか返せなかった。けれど俺は自分のやったことが完全に無駄ではなかったことについて少しばかり喜んだ。

しかし、そんな感情が表面に出ていたのか、ちはやちゃんに喝を入れられる。


「何笑ってるんだ。...いいか、笑い事じゃないからな。あと一歩でも間違えば君は退学路線だったんだからな。今回は戸坂がそれを止めただけで助かっただけで。」

「それさっき校長にも聞きましたよ?」

「それでもだ。...いいか?私は君に助言をしたつもりだが、やってはいけない間違えを何度もしていいとは言っていないぞ。ましてや君の場合は暴力問題だ。他の問題と比べて処理が大変すぎる。時には始末書を書かなければいけないこともあるんだからな、暴力って。だからまぁ、これ以上仕事を増やさんでくれ。」


おぉっ、なんかそれっぽいこと言ってる...けど、後半絶対私情だよね。

しかし今はふざけれる身分でもない。俺はおとなしく、はいと口にした。


そんな中でふと気になったことがあった。

「そういえば先生、戸坂って特別監視生になるんですか?」

「は?何だ急に。」

「いえ、なんとなくです。」

今回殴った相手が何の問題点も無い一般生徒ならこんなことは聞かない。

聞いた理由とすれば、戸坂に問題児性があるからだ。


完全に意表を突かれたちはやちゃんは少し言葉に詰まったが、気を取り直して一度咳払いをして述べた。

「...なんで君がそう聞いたかは知らんが、その予定だ。もともと極度の内気であってだな、候補にはなっていたんだ。そして本人と話そうとした矢先に君の暴力事件だよ。これじゃ入れようにも入れにくいじゃないか。」

「あはは...すいませんほんと。」


そう乾いた笑いを一瞬だけ浮かべたが、それはすぐに引っ込んだ。

「...あれ、でも内気なだけで特監生ですか?」

「あー...。」

ちはやちゃんは言葉を濁す。どうやら他の理由もありそうだ。


「なぜか知らないがあいつ、全くといっていいほどの勉強音痴なんだ。そういう面から見ても問題児認定はできるだろう。」

えぇ...、そこも入るんだ。

どこか最近問題児としての判定のラインが下がってきている気がする。でたらめだ。


...まあ、そんなことはどうでもいい。

それともう一つ聞いておきたいことがあったから。


「戸坂って古市について何か言ってましたか?」

「なんだ?今日はやたらと質問が多いな。」

「ただの気まぐれです。」


そう言ってとぼけるが現実はそうではない。

ひとつひとつの質問には重たい効果がある。それをしっかりと眼差しにこめてちはやちゃんに向ける。

それが届いたのかどうかは知らないがちはやちゃんは困ったように少し後ろにのけぞった。


「気まぐれとは思えない目つきをしてるけどな...。うーん、別に何も言ってなかったぞ。というか、なんでこんな野暮な質問をしたんだ?」

「いや、もし特監生になるとしたら古市との付き合いもあるだろうし。やはり男女間ということで何か不都合があったらまずいじゃないですか。」

「あー...そういうことか。」


ちはやちゃんは俺の言葉のどこかに引っかかるところがあったのか苦い顔をした。

そのままさてどこから語ろうかと言ったような仕草をする。

しかし、そんな時間も一瞬。ちはやちゃんはすぐにそれを纏め上げ、てきぱきと用件を伝えだした。


「...最近の古市の様子はどうだ?」

「少しずつですけど、明るくなったな~なんて感じはしますね。それが?」

「ああ、やっぱりそうか。...実はそろそろ、あいつの特監生を解除しようと思っててだな。」

「えっ?」


あまりにも急すぎる事実に俺は言葉を失った。

しかし、どうしてという言葉はどこからも出てこない。


優秀な生徒の欠陥が無くなればもう問題なんて無い。

それが当たり前のことだというのは、もう体が分かっていた。

ただ、あいつは...あの部屋での日々をどう思っているんだろうか。

あいつは自分の問題である部分を着々と治している。それはあの場所から一刻も早く出たいが為なんだろうか?

そんなこと俺は分からない。分からなくて当然なのだ。


ただ一つだけいえることがあるとすれば、俺はもし、自分の問題点が直って解除される身分になってもあの部屋を出るつもりは無い。


もう、あの場所が自分の居場所だということを体に刻み込んでいるのだから。


「...なるほど。分かりました。それっていつぐらいになります?」

「分からんな。ただ、もう言いと判断が出ればすぐにでもそうするつもりだが。そうだな...、今日は金曜日だ。来週月曜にはもう答えが出てるだろう。」

「そうですか...。分かりました。」


それ以上の言葉は要らなかった。

別に悲観はしていない。本人がそれを望むなら俺に口出しする権利などない。


ただひとつだけ欲を言えるとするのならば。

せめてあの日々が楽しかったと一言だけ笑って口にして欲しいくらいだろうか。


「...さて、お話もこれくらいだ。これ以上君を拘束している理由は無い。それにもうこんな時間だ。荷物をまとめて帰りなさい。」

「分かりました。」

俺は指示に逆らうことなく、ちゃっちゃかと部屋を出た。

そのままかばんを持ってちはやちゃんから遠ざかっていく。


そうして人影は遠くへと去っていき、気がつけば俺の周りには誰もいなくなっていた。そんな光景に少し寂しさを覚える。

そして一つため息をついてしみじみと思う。


これでやっと終わったと。


これから先の日々は想像がつかない。けれど、その景色に古市がいないことだけ確かだ。

別に悪いことではないのだ。ただ、どこか寂しさだけが募る。


楽しかったといえる日々だった。会話もあまりないし、表情もあまりない奴だったけど、楽しかったといってる今の自分に間違いは無いだろう。



だから寂しい。

そうして俺はその寂しさを赤に染まる夕方の空に紛らわすように一人外へと歩き出した。


一歩。また一歩。

自分の家がある西側に向かって歩いていく。

目の前には太陽が沈んでいき、色あせた青い空だけが残っている。

存外、今の俺もこの青に似ているのかもしれない。

けれどそれはあの日の答え。







薄くながらも、俺は青春と呼べる日々を過ごしていたのではないか、今ならそう思える気がした。

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