第7話 錯綜

 共感と同調は違う。当たり前のことだ。

 それでも……私には、その違いがわからなかった。今も知識としては認識しているが、実感としては理解していない。

 無論、ドーラの悪意にも気が付かなかった。結果、という「事実」のみが後に残る以上、悪意や善意にさほど差があるのかは疑問だが。


 ナタリーは自分の鬱屈した感情が間違っていないと、そう確信できる言葉を欲しがっている。だから、とにかく肯定して自分も同じ気持ちだと伝えれば良いのだ……と、ドーラからはだいたいそんなアドバイスを受けた。


「……お袋らしいですね。全てを肯定して堕落させるのは、悪魔と同じやり口ですよ」


 ……そうかもしれんな。

 結果論でもあるが、ナタリーの感情は、肯定してはならない類のものだった。とはいえ、正しい対応など当時も今も私にはわからない。


 突き放され、孤独に苛まれた彼女がひどく追い詰められているとレックスは語った。私が支えになれていない、とも。

 だからなんだと思いはしたが、私は妻を追い詰めたいわけでも、苦しめたいわけでもない。支える必要があるのなら……それが「自然」だというのなら、行うに越したことはない。




 ***




「済まなかった。私が考えを改めよう」


 ある日の晩、私はナタリーにそう伝えた。


「ど、どうしたというの、急に」


 ナタリーは息を飲み、右に左にと視線を泳がせ、やがて私を凝視した。


「私とて、我が子が怪物などではないと信じたい」

「……! いきなり……何……? 怪物だとして何か問題があるのか……としか、言わなかったくせに……」

「お前は何も悪くないし、何も間違えていない。不安に感じることなど何一つない」


 それは、間違いなく、「ナタリーが欲しい言葉」だっただろう。

「ローランドが吸血鬼、あるいは近しい存在であるはずがない」……その一点のみに、彼女はこだわりすぎていた。

 たとえそれが事実であったとして、彼女に非があるわけではないにも関わらず、だ。


「あの子は……あの子は、人間よ。間違いない」

「そうだな」

「ちょっと人と違うだけ。……私は、血を啜る怪物を産んだわけじゃない」

「ああ、その通りだ」

「……ジンクスなんて、信じてない。……女優ナタリー・スカーレットの名に罪なんてない……あの日々は、私の誇りなのだから……!」


 ブツブツと呟く彼女の言葉を黙って聞いていた。

 ……そういう場合は抱き締め、心配するなと呟くことが「正しい」と知ったのは、かなり後になってからだった。




 月日が過ぎ、息子たちは着実に成長して行った。

 ロジャーはなんの問題もなく健康に育ったが、ローランドは日中に動き回るのがあまり得意ではなく、更には腹痛に悩んだり嘔吐したり、消化器官の弱さが目立つようになった。


 血を飲んでいないからだとか、陽の光に当たっているからだとか、そういった噂を払拭ふっしょくするため、ナタリーはサマンサになるべく外で遊ばせるように指示した。

 彼女が不都合な現実に対し自分なりに辻褄を合わせ、その筋書きを真実と思い込むようになってきたのはその頃からだったように思う。


 私はというと、「話や態度を合わせること」がもっとも「人間として自然」に見られやすいと学習し、他人から違和感を指摘されることも減っていた。


 世話係のサマンサが、


「ロジャー坊っちゃんは、もしかすると隣家のお嬢様が好きなのかもしれませんねぇ」


 と微笑んで話すと、


「そうか。良いことだ。今後も立派に育てなければな」


 と私も微笑みながら返す。

 古くからの使用人の一人……確か、クレイグだったか……が眉をひそめ、


「……その……お嬢様……いえ、2人目のお坊ちゃまでしたか。ちょっと痩せすぎにも思うんですよねぇ……」


 とぼやけば、


「そうだな、私も情けないと思っている」


 と私も眉をひそめて返す。

 それだけで、以前よりも随分と「自然」に見られるようになった。


「……あの子は吸血鬼じゃない。男の子になりたいだけの、優しい子……。そうよね、あなた」

「そうだな。間違いない」


 ナタリーの虚言や妄想にも「合わせていればいい」と考えれば、付き合うことも楽だった。


 だが、そのやり方にはいずれ限界が訪れる。

 人間は立場や意見を違え、争い合うものだ。……私が「自然」を演じる以上、周りの全てに合わせて同意し続けることはできない。


 更に私は「旧家の当主」としてふさわしい威厳を持っていなければならず、都合のいい人間として甘く見られてはならないと、父からも厳しく教育されていた。

 人格だけならば、いくらでも演じることは可能だが、問題は辻褄合わせだ。……近しいもの同士が対立したのならば、尚更だ。


「あ、あなた……。レックスが……」


 あれは……そうだな。ロデリック、お前が産まれて3年ほど経った頃だったか。青ざめた表情で震えながら、ナタリーは私の元に「友」の罪を告発しにやって来た。


 簡単に言えば、レックスはナタリーへの思慕を諦められなかったらしい。

 ことが起きたのは、レックスが心身の不調のため臨時の休暇をとった時のことだった。妻のドーラがナタリーを泊まりがけの遊びに誘い……そのまま、3日ほどアンダーソン家の地下室に閉じ込めたのだと。

 嫌がるナタリーを押さえつけるレックスを、ドーラが面白がって見ていたと……手を叩いて笑っていたと、ナタリーは泣きながら伝えてきた。


 レックスに話を聞くと、彼も泣きながら私に謝罪した。


「本当は……本当は、君と出会うずっと前からナタリーを好きだったんだ。……つい魔が差してしまって……あんな……。済まない、レイ……!!」


 許されることではないが、どうすればいいのか分からないとレックスは語った。

 アンダーソン家は家名こそ劣りはするが、政界とも繋がりがあり、資産の運用にも成功している。……手を切るわけにはいかないと、病床の父は告げた。


「蓋をしろ、レイモンド。無かったことにすればいい。……お前は複雑だろうが……いいな。


 養育する子に私の血が入っていようが、入っていまいが私にはどうでもいい。だが、一般的に種の違いは苦悩の元になるのだろう。

 私は父の態度に合わせ、葛藤するような表情を作り……無言で頷いた。




 ***




「……ひでぇ話ですよ、ほんとに……我が両親ながら、反吐が出ます」


 だからこそ、表沙汰になれば一大事だと判断されたのだろう。

 私には人の感情など理解できないが……ナタリーがひどくショックを受けていたこと、それが当然のことだとは知識面から判断できる。


「そりゃあそうです。辛かったろうと思います。……それでも、ナタリーさんがアンに言ったことは……って、あれ? 俺が産まれてからの話……? それって……え?」


 ああ、そうだな。お前の聞いた情報はいささか違ったものだろう。

 ロバートは、健康優良児かつロジャーよりも早起きが得意で、兄弟の中でもっとも吸血鬼の伝承から離れていた。

 ほとんどの親族が「純粋なハリス家の子」にしておきたかったのも当然と言える。


 ……ロバートはお前の義弟であり、弟だ。腹違いのな。

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