6 悲劇

 フィオの風にどんなに押し返されても、その形が崩れても、手を伸ばす影。そのただ悲しいだけの姿に胸と右腕が痛んだ。

 あの人はもう人に戻ることは出来ない。消滅するしか救う方法がない。

 それが出来るのは、わたしだけ。


 一歩踏み出す。また一歩。

 そのわたしに合わせて、ユウタも歩を進めてくれる。

 影に近づくわたしたちを、風は阻まない。


 腕が、肩がお腹がほおが、ずきずきと痛む。

 影から絶え間なく流れ込んでくる悲しみが、その痛みを押し広げていく。

 わたしには見えないけど、きっと痣が広がってるんだ。どんどん、痛みが酷くなるし範囲も広がってる気がする。




「白い羽で強く羽ばたき

 君のもとへ飛んでみよう

 遠い空へ向かいここから始めよう

 君の歌がいつかは聴こえる?


 白い羽をそっと広げて

 君のもとへ飛んでみよう

 遠い空をこえて……」




 うう、痛い。痛みに声が霞む。歯を食いしばりたくても歌わなきゃいけないからそれも出来ない。

 思わずぎゅっとユウタの手を握ると、ユウタも強く握り返してくれる。その力に励まされて、痛みを我慢する。

 ユウタ、おねがい、わたしを支えてて。


 影を見る。

 ねえ、あなたはどうして時空の狭間から出られなくなってしまったの?

 あなたに何があったの?

 影になんてなりたくなかったよね。

 だって、こんなに、こんなに痛くて悲しい。

 わたしでさえそうなのに、あなたは……。


 そう思って影へまた一歩踏み出した時だった。

 どこからかわたしとユウタ以外の、誰かの歌声が聞こえてきたんだ。

 思わずユウタと顔を見合わせる。誰?

 澄んだ綺麗な声の女性と、少し高くて張りのある声の男性がデュエットしているみたいだ。なんて綺麗なハーモニーなんだろう。


 影の周りが揺らめいた。四つのもやが立ち上がり、その中から人影が現れる。

 これは、もしかして影が見せている幻!?

 まず目に入ったのはわたしと同じようなプラチナブロンドの男女。その二人の腕や顔には、赤黒い痣が見える。

 影に引っ張られてしまったんだ!!

 二人は寄り添うようにして、歌っている。この二人の歌声だったんだ。

 そして、二人の身体からはキラキラと光があふれている。

 シリアー族!? 間違いない、あの二人はシリアー族だ。


 そしてその二人の左手に現れたのは、ウェーブしたプラチナブロンドの小柄な少女。その髪は肩の上でふわふわと揺れている。

 真っ白な肌と、尖った耳。エルフ族だ。

 三人ともその姿にもやがかかっていて、顔はよく見えない。それでも、エルフの少女が鮮やかなオレンジ色の瞳をしているのはわかった。その色に目が吸い寄せられる。


 そして最後のもやから現れたのは、褐色の肌と黒い髪、そして青い瞳のエルフ族。


「フィオ!!」


 歌うのも忘れて叫ぶ。髪を背中に流しているから一瞬わからなかったけれど、あれは間違いなくフィオだ。

 他の三人とは違って、姿もはっきりと見える。

 個人的に、シリアー族には思うところがある。フィオはそう言ってたよね!?

 これ、もしかしてフィオの記憶なの……?


 後ろを振り返ると、みんながいた。

 そこにはフィオもいる。

 だけど、その顔。

 今までに見たことのない、血の気を失って引きつった表情。


 わたしの記憶を見せられた時も、辛い記憶だった。

 もしかして、フィオも……?


 ——ねえ、これなんなの!?

 ——知るか! いいから倒すぞ!!


 その幻のフィオが発した言葉に、どくんと胸が鳴った。冷や汗が全身ににじんで、一瞬目の前が暗くなる。

 ふらついたわたしを、ユウタの手が支えてくれたけれど、お礼を言うどころじゃなかった。

 倒す!? あのシリアー族の二人は影に引っ張られてるんだよ!? そんなことしたらどうなるか!!


「やめて!! フィオ!!」


 幻のフィオに言ったって仕方がないとか、そんなことわかっていたけど叫ばずにはいられない。

 だめ、絶対にだめだよフィオ!!

 だけどわたしの声は届かない。


 風が巻き起こり、影へと押し寄せる。その風を追うように、素早く呪文を詠唱したエルフの少女が炎を放った。

 風で勢いのついた炎が燃えさかり影に襲いかかる。

 上がった悲鳴は、あのシリアー族の二人のものだったのか、わたしのものだったのか。わけもわからず叫ぶ。

 痣がどくどくと痛んで、身体中を痛みが走り抜ける。

 あの影はわたしを引っ張った影なの!?

 フィオは、あのエルフの少女はわたしも一緒に————。


「リリア、しっかりしろ! あれは幻だ!」

「だって!」


 シリアー族の二人は倒れている。苦痛で身をよじらせて。

 それがどういうことか、わたしは知っている。


 ——絶対に助けるから! 頑張って!


 半泣きになりながら二人に駆け寄ったエルフの少女が、悲鳴のような声を上げている。その場でなにか詠唱して、二人の身体に手をあてがった。

 きっと回復系の魔法だ。でも、二人の苦しみは酷くなっていく。


「やめてぇ————!!」


 フィオの風は手を緩めず、影を押しつぶしていく。

 影の声にならない声が上がった。それに呼応するようにわたしの痣も疼き、激痛が走る。

 あまりの痛みに悲鳴も上げられない。涙があふれる。

 どうして、どうしてこんなことに。

 こんなことがあっていいの?


「リリア!!」

「いや、お願いやめて……いや……」


 どうにもならないなんて嫌だ!

 お願い誰か、誰か助けてよ!!


「これは幻だリリア。本当にあったことなんて確証はねえ。あいつが見せてるだけだ。リリアだってありもしない幻を見ただろ!?」

「でもっ」


 そうだったらいい。影が見せているただのデタラメなら。

 でも、それならどうしてフィオはあんな顔をしてたの?

 わたしがユウタを巻き込んでしまった時に、あんなに怒ったのはどうしてなの!?

 どうしてフィオは、影に引っ張られた人以外が影を倒すと引っ張られた人も死んじゃうって、知ってるの!?


「フィオ!!」


 振り向いた先のフィオは、唇を噛んで立ち尽くしているだけだ。

 その顔ははっきりと歪み、硬直している。

 いつものフィオからは絶対に考えられないことだ。これが本当にあったことじゃないなら、惑わされるなって一喝してるはず。


 ——フィオ、早く! 二人がぁッ!!


 エルフの少女が泣いてる。その側で、二人の全身がみるみるうちに痣に覆われて行く。胸をかきむしって、喉を痙攣させて。

 その姿は霞がかかってぼやけていてもわかる。

 影のものなのか、あの二人のものなのか、言葉にならない悲鳴が空気を震わせている。その声はわたしの全身をナイフになって突き刺す。

 痛い、痛いよ!! 誰か助けてよ、あの二人を誰か!!


 ——くそッ、もう少しの辛抱だ!


 幻のフィオが腕を振る。風がひときわ唸りを上げて、影を押しつぶした。

 上がる悲鳴。その空気を震わせる痛みに胸が潰れる。

 息が吸えない。怖い、どうしよう怖い。


「くそっ、痣が!!」


 痛みが全身を貫く。皮膚の表面を痣が覆って行くのが、はっきりと感じられた。

 だめだ、呑まれる。引っ張られちゃだめ。

 でも、怖い。どうしよう、怖い。怖い!!

 二人の悲鳴だけが鼓膜を打つ。

 涙が止まらない。

 どうして。


「待って、待ってよやめて!!」


 後ろでした声はシンディーだ。

 そう思った瞬間に、小柄なシンディーの姿が前へ出た。

 ジュンの呼ぶ声を振り切って駆け出す。


「ねえ、やめてってば!!」


 幻のフィオに駆け寄って手を伸ばすけれど、その手は空を切る。

 触れない、やっぱり幻なんだ。

 だから止めることもできない。

 そのことに目の前が真っ暗になる。


 どうすることもできない。

 これはもう終わってしまったことなんだ。


「リリア、しっかりして!!」


 戻ってきたシンディーの声がすぐ側でしたけれど、目を影からうごかせない。

 影が崩れる。風に溶けるようにその姿が消えて行く。

 それに伴って二人の悲鳴も消えて行く。その、命の灯も。

 全身に震えが走る。


「そんな……」

「おい、しっかりしろ!!」


 急に力が抜けた身体を、ユウタが抱きとめてくれる。

 その行為さえもわたしにとってはもう激痛で、涙がにじむ。

 いやだ、影になりたくない。

 そう思えば思うほど痛みが増して行く。


 シリアー族の側で、エルフの少女が泣いている。幻のフィオも、必死で二人を助けようと呪文を詠唱している。

 でも二人は戻らない。


 ——どうして!? しっかりして二人とも!! ねえ!!

 ——くそッどうなってやがるんだ、なんでッ!!

 ——影を攻撃したら苦しんでた。あれって……ッ、わ、わたしたちが……ッ!!

 ——なんでだよッおい目を覚ませッ!!


 必死で二人の身体を揺さぶるフィオ。でも目は覚まさない。

 こんなことあっていいわけない。大切な仲間を、自分のせいで失くすなんて。

 でも、起こってしまったんだ。

 フィオ、どんなにか……。


「いや……いやだ怖いよユウタ……」


 ユウタの服にすがる。

 嫌だ、あの二人みたいに死ぬのも、影になってあんな悲劇を生むのも。


「影になんかさせねぇ。一緒にいるから歌え」

「失敗したら、間に合わなかったら影になって、みんなを……そんなのいや」

「まだ間に合うだろ!!」


 痛い。どこもかしこも痛い。痣が全身に広がっているのがわかる。

 それなのにまだ間に合うの?

 もしそれが間違いだったらわたしは、みんなを襲うかもしれないんだよ。みんなきっとわたしを攻撃とか出来なくて、そしたらみんなをわたしは。

 ううん、わたしのためを思って攻撃してくれるかも。ユウタが歌ってくれるかもしれない。でも。


「なにがあっても一緒にいる、約束する。だから歌うんだ」

「いや」


 なにがあっても一緒に。そんなのだめだ。

 わたしが影になったら、ユウタもきっとわたしと一緒に影になっちゃう。

 そんなの絶対に嫌だ!!


 幻のフィオたちの姿が揺らめいた。

 ふっとかき消えたかと思うと、その地面から影がむくりとわき上がってくる。

 真っ黒でなにもない影。その影にじっと見られている気がして、冷や汗が吹き出す。

 その瞬間、世界から色が消えた。





 挿入歌「白い羽〜夢を追いかけて〜」https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054917318309

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