4 疑心暗鬼

 慌ててユウタの方へと一歩踏み出した途端、地面がふわっと波打って身体が揺れた。

 びっくりして踏ん張ろうとするけど上手く行かない。

 な、なになになんなの、地面がふわふわする!

 しかも、頭の内側からぐるぐるするような感覚が……。

 うう、気持ち悪い。もしかしてこれ、めまい?


「……でね、ちょっと迷惑だよねって」

「そうね、私達を巻き込まなないで欲しいわね」


 シンディーとシーナの会話が聞こえる。

 二人ともなに話してるの? それよりもわたし気分が悪くて。そう話しかけたいのに、口からは息がもれるだけで声にならない。

 わたしどうなっちゃってるの!?


「あたしたちには正直関係ないよね〜」

「ええ、本当に」

「だってユウタが止めたのに勝手に助けに行って勝手に川に落ちてあげく呪われちゃうとかさあ」


 え、待って。これ、わたしの話?


「あの影に引っ張られたら私達も危ないわ。現にユウタも」

「そうだよ! さっきのはほんっとに、許せないよね」


 ぎゅっと胸が締め付けられるように疼く。

 二人とも、そんな風に思ってたの?

 そりゃあ、そう思われても仕方がないことをわたし、しちゃってるよね。わかってる。だけど、だけど……!

 二人の姿を探そうとするけど、めまいが酷くてそれどころじゃない。どこにいるんだろう、全然わからない。


 わたし、甘えていたのかもしれない。なにをやっても結局、みんなはわたしのことを許してくれるって。

 でもそうだ、みんなは巻き込まれてるんだ。わたしのせいで、合わなくてもいい危険に晒されて。

 ごめん、ごめんね。


 涙がにじむ。それと同時に、頭の中のぐるぐるが小さくなって、地面も徐々に固く戻り始めた。

 足に力が入るようになる。


「リリア? どうしたの?」


 はっと気がつくと、シーナの手が肩に触れていた。それにびっくりして、反射的に身を引く。

 右腕の痣がズキンと痛んで、その痛みが胸を刺す。無数の針で刺されたようなびりびりとした痛みがほおや胸、そして脇腹に走った。


「——ッう……!」

「痛むの?」


 シーナは、心底心配そうに眉根を寄せてわたしを見つめている。その顔に、さっきのような棘は感じられない。


「う、うん……」

「そう。きっとフィオが影を見つけてくれるわ。もう少しの辛抱よ」


 そう言うシーナの後ろで、シンディーも大きく頷く。その顔も、わたしへの心配が見えている。

 二人とも、いつものわたしの知ってる二人だ。そこに嘘は見えない、気がする……。


 さっきの会話はなんだったんだろう。

 わたしに聞こえないと思って本音を言ったの? それとも。

 シーナの顔が見られない。


「ご、ごめん大丈夫だから。ユウタ見てくるね!」


 瞳を逸らしたのを誤魔化すようにそれだけ早口で言って、ユウタの方へと足を向ける。大丈夫、もうめまいはしない。

 シーナ変に思ったかな。でも、あんなこと言われたら……。


「ユウタ! よかった! 大丈夫?」


 彼の側に座って覗き込むと、緑の瞳が開いた。

 今度は、さっきみたいにぼーっとしてる感じじゃないみたい。


「俺どう……」

「影を浄化した後倒れて。体力を使い果たしたんだろうってフィオが。私もね、影に引っ張られた後ずっと気を失ってたから」

「そうか。ごめんな、倒れてる場合じゃねぇのに」


 ユウタがゆっくりと身体を起こす。


「ユウタ、大丈夫なの? まだ寝てた方が……」

「できるかよ。お前、その痣広がってるじゃねえか」

「あ、うん……でも」

「でもじゃねぇよ。俺のこと心配してくれるんなら、早くその呪いといて思いっきり寝させてくれ」


 ユウタ。本当に、無理ばっかりするんだから。

 でもその原因を作ってるのはわたしなんだよね。本当、早くなんとかしてユウタも、みんなも休んでもらわないと。

 そもそも、もう水も食料も後ちょっとだけだし。


「ユウタ、水飲める?」

「ああ。一口もらっていいか?」

「うん!」


 ユウタのためにと側に置いておいた水筒を渡すと、ユウタは本当に一口だけ飲んで蓋をする。


「それだけでいいの?」

「どうせ水、もうちょっとしかないんだろ?」

「そうだけど……」


 そうだよね、ユウタが水筒の一つを持ってくれてたんだから、量だってだいたい把握出来てるよね。


「ユウタ、良かった目が覚めたかい?」


 見上げると、ジュンとフィオがこちらに歩いてくるのが見えた。


「全快とは行かないと思うけど、どう?」

「そうだな、正直だるい。けど、動けるし行くぜ。リリアの命がかかってるんだ」

「そっか、仕方ないね。ユウタにはちょっと無理をしてもらうことになるけど、リリアのためだしね」

「ああ」


 二人とも、なんて優しいの。

 ありがとう、そう言おうとしてそれは言葉にならなかった。また、頭の中がひどく揺さぶられてるみたいに回り出す。

 また、めまいだ……!


 気持ち悪い。

 わたし今どうなってるの? どんな体勢? なにもかもがぐるぐる回りすぎててどっちが地面かもわからない。

 さっきまで地面に座っていたはずなのに、その感触すらない。


「フィオには迷惑かけたね」


 ジュンの声。

 声ははっきり聞こえるのに、ジュンがどこにいるかもわからない。

 ユウタはわたしの隣にいるはず。だけど、隣ってどこ!?


「ああ、全くだ。お前らもあんなのがいたら大変だな」

「そうなんだ」


 頭をよぎったのは、さっきのシーナとシンディーの会話。

 腕から針で刺されたような痛みがほおや脇腹へと広がる。

 痛い、痛いよ……ジュン、フィオ、誰のこと話してるの?


「お前も災難だったな」

「ああ。いつもこうなんだよ。殺されかけるとか貧乏くじにも程があるよな」


 ユウタまで……!

 違う、ユウタはそんなこと絶対に言わない! ユウタは、本当にいい奴なんだよ!

 そうだよ、ジュンもシーナもシンディーも、きっとフィオだってそんな酷いこと言わないよ!

 言わないと思う、けど……けど、言われてることを否定出来ないのも事実だし……。


「俺が長の孫だからってお荷物押し付けられたんだぜ、やってられるか」


 ユウタ……。

 ユウタは本当は里を出なくたって良かった。長はわたしが一人で里を出るのに反対したけど、それは純血のシリアー族を失いたくなかったから。

 それはわたしにもわかってたよ。だからユウタが一緒に行くって言ったら許してくれたんだってことも。

 長の意図した結果にはならないだろうけど、彼女の意図は理解してたつもり。


 だけど、ユウタの気持ちは?

 ユウタが一緒に行くって言ってくれたのはどうしてなのか、わたし考えたこともなかった。

 里に好きな子がいたんなら余計に、わたしについてくる理由なんてない。


 ユウタはわたしを心配して付いてきてくれてるんだと思ってた。旅に出るって言う頼りない妹を放っておけないからなんだって。

 そう、なんて言うか無条件にそう信じてた。ユウタが付いて来てくれるのは、わたしに家族と同じ愛情があるからなんだって。

 甘えた言い方をするなら、ユウタは絶対にわたしのことを助けてくれるし、側にいてくれる。わたしはユウタにそうしてもらって当然だって思っていたんだと思う。

 だってユウタはわたしにとって大切な大切な幼なじみで、それはユウタも同じなんだからって。


 わたし、なに勝手に勘違いしてたんだろう。

 ユウタがわたしに付いて来てくれたのは、長から言われたからなんだ。ユウタの気持ちを隠させてでも、純血のシリアーの血を保ちたかった。そういうことなの?


 頭の中で大音量の鐘がを絶えず鳴らされているみたいに、頭がガンガンする。

 身体の感覚がよくわからない。それでも、針を差し込むような激痛が右腕から広がるのだけはなくならない。

 痛い、痛いよユウタ……。


 もうわたし、どこに行っても誰といても、ひとりぼっちだよ……。


 痛みが広がる。脇腹を通ってそのままお腹まで刺し貫かれたような痛み。

 ほおから切られて、目をえぐり取られる。

 そのあまりの痛さに、悲鳴すら出なかった。

 急激な恐怖が身体中を這いのぼる。


 わたし、誰かに切られたの!?

 誰に!?


 その瞬間に頭をよぎったのは、里で飼っていた家畜。最終的には、絞めて食べるために手塩にかけて育てていた生き物。

 食べなければ生きていけない。それでも、殺すのはかわいそうだった。できるだけ痛くないようにって思いながら絞めていた。

 ああ、それでもこんなに痛いなんて。


「おいっ、リリアどうした!? しっかりしろ!!」


 ユウタの焦ったような声が聞こえる。

 ユウタ、どこにいるの?

 わたし切られてバラバラにされちゃうよ! 怖い!!

 どこなのユウタ、助けてよ!!

 それともわたしを切ってるのはユウタなの!?


 わたしたちには食料がない。

 わたしは家畜みたいに絞められて……。


 いやだ、そんなの嫌だよ。

 でも家畜たちだってきっとそうだった。命を奪って生きるしかないわたしたちは、いつ逆の立場になってもおかしくないのかもしれない。

 それでも、怖い……痛い……!!


「やめて、お願いやめて助けてッいやあぁぁぁ!!」


 身体を刺し続ける刃を払おうともがくけど、ますます食い込むように痛みが走る。

 何度もなんども。


「リリア!! おい聞こえないのか!!」

「ちょっとユウタそっち押さえてよッ! リリアどうしちゃったの〜!?」


 シンディーの泣き声。

 同時にわたしの身体を何かが包み、そして歌声が聞こえた。




「深海に昇る月、揺れて

 空を探す魚を呼んだ。

 それは知ってるよ本当は

 君の声だってこと。

 ……呼んでいる」




 ああ、ユウタだ。いた。

 良かった、わたしを刺したのはユウタじゃないんだね?

 そう思った途端に、痛みがすっと引いていく。




「ねぇ君の後ろを泳いでいい?

 まっすぐに空に上がるよ

 まっすぐに空に昇るよ」




 ユウタが歌っている。わたしを包んでくれているのはユウタの腕だ。そう確信すると、めまいも溶けるようになくなって、代わりに身体の重みを自覚する。

 周囲に淡く優しい光が舞っている。ユウタの光だ。

 わたしどうなっていたんだろう。腕は痛いままだけれど、刺されたり切られたりしている感じはない。

 だけど、本当に怖かった。あの感触がなかったことだなんて信じられない。

 急に胸が締め付けられ、熱いものが上へと駆け上がった。そのまま、まぶたを乗り越えて涙として外へあふれ出す。




「空に咲く為に、

 君の側で、

 空に咲く為に僕は生まれたんだ」




 ユウタの顔が涙に歪んで見えた。

 その表情は、わたしの知っているいつもの優しい顔。それが余計に胸を締め付けた。


「こ、怖かった……ッ」


 すがるようにユウタの首に腕を回して、肩に顔を押し付ける。だめだ、涙が止まらない。

 ユウタのことを子供っぽいって言ってしまったけど、わたしの方がやっぱり子供かもしれない。

 でも、本当に怖かった。殺されるんだって思った。どうしてそんなこと思ったんだろう、そんなわけないのに。


「ああ」


 小さく耳元でユウタの声がして、彼の手が優しく背中をなでてくれる。

 それは幼い頃から幾度となくわたしを助けてくれた、優しい手だ。


「リリア。お前がなにを見聞きしたか知らんが、信じるな」


 頭上からフィオの声が降ってくる。


「それはお前が影に引っ張られているから見た幻だ、覚えておけ。幻に引っ張られるな、自覚しろ。心を乱して引っ張られた分だけ、痣も広がる」


 あれが幻? 幻なのにあんなに痛くて怖いの?

 影に引っ張れるとああなるんだ。それは、わたしがこの呪いを解くまで続くってことだよね?

 ううん、もしも影になってしまったら、永遠に。

 そんなの嫌だよ!


「ファルニア。いいか、俺たちを信じろ。なにがあっても側にいるから」

「うん」


 ありがとうユウタ。そしてみんな。


「水と食事を取れ。急いでだ。影を見つけた。こちらへ向かって来ている」


 フィオの声に歯を噛み締める。

 わたし、みんなのためにもくじけてちゃいけないんだ。

 みんなを信じて、影に立ち向かわなきゃ。

 無事に帰って、みんなでゆっくり休もう。そのためにも。

 そして彷徨い続けて泣いてる、あの影のためにも……。





 挿入歌「深海に昇る月」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054917159485

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